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私のHPには、下宿人が二人います。というか、いました。(歴史遺産)

カミナリ落ちる

カミナリ落ちる
 町を出まして峠道にさしかかったころ、雲行きが怪しくなってきまた。まだかなり遠いところですけどゴロゴロとカミナリも鳴っています。
「うふふ。一雨来まちゅね。帽子の中のサチョリが騒いでいまちゅ」
「う~ん、困ったなあ。雨宿りのできそうなとこを探さないと・・・」と言っているうちにぽつぽつと大粒の雨が当たってまいりまして、あっという間に土砂降りになってきました。
「地仙ちゃん、あそこの大きな木の下に入ろう」
 雨音がすごいので、先生が大声で言って、やっとすぐ側の地仙ちゃんが聞こえるぐらいの土砂降りです。
 二人は道端の大木の下に入りました。
「ふう、やはり寄らば大樹の蔭、だね。人生においてもそうしてくれば、もう少しよかったのかも知れないけど・・・」と先生が手ぬぐいで顔をぬぐいながら言いましたところ、地仙ちゃんは木を見上げて「センセイ~、ここはダメでちゅ」と言います。
「こっち、こっち」
 地仙ちゃんは先生の手を引いて再び大雨の中に出て、大木から五十歩ぐらい離れたところにあったあまり大きくない木の下に移動しました。
「どうしたんだい、地仙ちゃん。またズブ濡れになっちゃったじゃなか。それに、この木では枝ぶりがあまり広くないから完全な雨よけにはなりそうもない・・・」と先生がぶつぶつ言ってたちょうどその時、
あたりがピカっと明るくなり、 どんがらがっしゃっしゃ~~~ん・・・・・とすごい物音がしました。先生はアタマを抱えてすわりこみます。
 しばらくして先生はそうっと起き上がりました。
「カミナリが落ちたのかなあ」
「ちょうなの。さっきの大きな木に落ちたの。どうやらこの木に落ちてきちょうね、と精霊のカンでわかったの」と地仙ちゃんはにこにこしています。
「はあ、地仙ちゃんのおかげで助かったよ」
 危なかったですね。寄らば大樹の陰、というのは実は危険と隣り合わせなのです。先生ははじめて、地仙ちゃんとおトモダチでよかったなあと思ったほどでした。
「カミナリは①「雷」と書く。上半分は「雨」だけど下半分の「田」は「田んぼ」じゃないんだ。点線の中がもっと古い「雷」の字。稲妻のあちこちに○に十字のマークがある。
この○に十字のマークが「雷」の中の「田」なんだ。この「田」はやはり太鼓の象形だろうといわれているね。大昔のひとたちは、雷さまは自分たちの手の届かない天上でゴロゴロと太鼓を鳴らしているのだと想像していたようだ。
 また、イナビカリのことを示すのが②「電」という字。この「電」の下半分、「田」に尻尾が生えたような形はなんだろうか。実はこれは古い字体を見ると上にも突き抜けていた。要するにこれは「申」という字なんだよ」

トモにする

トモにする
「あ、ちょう。・・・バクバク・・・ムシャムシャ・・・、お代わり~」
 地仙ちゃんはすごい勢いで食べています。地仙ちゃんの「食」には足りるということなど無いのです。お代わりを待っている間、地仙ちゃんは言いました。「つまりチュウゴクの大むかしはトモグイ集団? やっぱりちょうの?」 また何か誤解しているみたいです。
「「キ」という食器を示す形象を持つ文字には、他にもまず「饗」がある。この字は、「郷」の古い意味が忘れられて集落を指すようにのみ使われるようになった後「一緒にメシを食う」という元の意味を示すために、もうひとつ「食」を付けて作られた文字。つまり「郷」と「饗」は「古今字」に当たる。また、ごちそうを食べる「餐」、メシをこれから食う「即」、食い終わってもう要らないという状態の「既」など数多い。
 またヘンな誤解をしているようだから念のため言っておくけど、トモグイじゃなくて共食(キョウショク)。大むかしのチュウゴクのひとがニンゲンを食っていたであろうことは否定しないけど、「共に食う」ことはトモグイとは違うんだ。
 ①「共」という字は二本の手でお供えモノを捧げている姿を表す字なんだよ。二本の手両方で行うので「トモにする」「共同する」という意味になった。お供えをすること自体はニンベンを付けて「供」の字で表す。ニホン国では「供」の字を使って「お供(トモ)をする」という言い方をするけど、その場合は本来「伴」だろうね。
 また、「共」にさらに手を示すテヘンを加えると「拱」という字ができる。チュウゴクのひとがよくやる両手をそろえて胸の前に持っていくあいさつのしかたのことを「拱手礼」というんだけど、「共」という形象を持つ文字には、神様へのお供えや尊敬すべきひとへのご挨拶など、何となく「うやうやしい」行為が関連しているみたいだね。 ということで、お供えモノをするときの「うやうやしい」キモチを②「恭」という。
 ニホン語で同じくトモと読む「友」も③にあるように二本の手からなっている文字だ。こちらの二本の手はどちらも「又」(ユウ)。現在では「または」という読み方をしているけど、本来「又」は右手を表す文字。「友」はこれを二つ重ねていて、両手で何かを持っている①の「共」と違って、二人が右手で協力している状態を表しているんだよ」
「ふうん・・・、トモダチは二人でクイモノを取り合っているの?」
 先生は誤解を解こうとしましたが、そこへお代わりが来ましたので、地仙ちゃんはまたバクバクと食べはじめました。すごい量です。店のひとたちが地仙ちゃんを見ながら目配せをしたり、ひそひそバナシをしたりしています。
「ふう・・・。ゴチチョウちゃま。もっと食べてもいいけどビヨウやケンコウにも気をつけないといけないから、これぐらいにちておくの」
 ようやく食べ終わりました。
 すごい額のお勘定をすませて、二人は金陵の町に向かって出発します。道々、「センセイとあたちはトモグイ集団になってちまいまちたね~」と話しかける地仙ちゃんに対して、先生が何度も後ろを振り向きながら言いました。
「地仙ちゃん、さっきのお店を出てから誰かに尾行されているような気がするんだけど」
「地仙ちゃんのファンのひと? ・・・センセイ、お勘定をゴマカちたんじゃないの?」
 地仙ちゃんはノンキなものですが、先生は心配でならないようです。

食の意味

「食」の意味
 約束です。船から上陸したところで、先生は地仙ちゃんにスキなだけクイモノを食わせてあげなければなりません。
「さあスキなだけ食べて、もう「ニンゲン食べる~」なんて言わないでくれ」と、先生は港町で一番安い料理屋を選んで入りました。
 地仙ちゃんはにこにこです。席についてたくさんのクイモノを注文しながら、「センセイ~、あたちがニンゲン食べちゃうなんて、人聞きのワルいこと言わないでくだちゃいな。センセイじゃあるまいち、よほどのことが無ければ食べないの~」と言っていまして、意外と世間体を気にしているようです。
「地仙ちゃん、あんまり大きな声で「ニンゲン食べる」なんて言わないでおくれよ」
「うふふ・・・。でも、「食」という字をよく見てみると、「ニンゲンがイイ~」と読めまちゅよ。カンジを作ったひともニンゲンをおいちいと思っていたのでちょ」
「う~ん、いわゆる「字源の通俗解釈」の典型的な手法だね。有名なモノに「親」とは木の上に立って(コドモを)見守るひと、という解釈がある。解釈というのはそれぞれの思想の発現でもあるから勝手にやっていいんだけど、漢字を作ったころ、そんな親子関係が規範として意識されていたというのはムリ。
古代の迷信の残滓、ニンゲンの無意識の奥底に今も潜む残虐なココロなど、漢字にはすごく豊かなイメージが籠められているのに、「通俗解釈」は解釈する側の生活常識や道徳でそれを卑小化してしまっているキライがあって、「漢字なんて大したことないぜ」と思われてしまいそうでお薦めできないんだ。
 で、「食」という字は①のようなカタチ。点線の下半分は「キ」というタベモノを盛るための食器の象形、上半分がそのフタなんだよ」
 頼んだ料理が出てきましたので、地仙ちゃんはすごい勢いで食べ始めました。
「②に示したのがこの「キ」という食器を指す文字で、材料を示すタケガンムリ、機能を示す「皿」を除けば、「食」の真ん中と同じ符号が入っているだろう。実はこの「食」という字から、チュウゴクの古代社会のあり方を少し伺い知ることができるんだよ」
「ムシャムシャ・・・メチのことは大切でちゅからね・・・バクバク・・・」
「衣食足りて礼節を知る、というように、衣食が無ければ文化なんて成り立たない(よくよく考えてみると世界のあちこちにハダカのままの文明もあるので、どうも「衣」は必要条件ではないみたいだけど)。
「食」は絶対必要なわけだが、この食の字に関わる文字に、③ア)郷(キョウ、ゴウ)、イ)卿(キョウ、ケイ)という字がある。「郷」は集落を指す文字(「周礼」によれば一万二千五百世帯をいう)。「卿」は高い身分のひと。
 この二つの字は、いずれもフタをとった食器のキを真ん中にして、左右からひとが集まってメシを食うことを表している。今では違う文字になっているけど、古くは同じカタチをしていたらしい。「いっしょにメシを食う」という文字が二つに分かれたんだ。
 このことから、大むかしのチュウゴクでは、食器を囲んでメシを一緒に食う、ということから派生して、「郷」という字で地方行政組織を指し、「卿」という字で指導者層の身分を指すようになったということが判明する。一緒にメシを食う集団を人類学や社会学の世界では「共食集団」と呼び、この集団内で通婚したり、有事に軍事共同体を構成するこ
とが多いんだけど、大むかしのチュウゴクでもこの「共食集団」が構成されていたことがわかるんだ」

 

下宿人のページ

私のHPには、下宿人が二人います。というか、いました。

1 ワシントン特派員
一人は、ワシントン特派員「稲熊君」です。稲熊君は、私の元部下です。今、ワシントン大使館に勤めています。随時載せますので、乞うご期待。
ワシントン特派員報告終了
このHPを豊かにしてくれていた、ワシントン特派員が3年間の勤めを終えて、帰国しました。よって、特派員便りも終了します。ありがとうございました、稲熊君。(2005年4月17日)
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2 肝冷斎主人
もう一人は、中国古典に興味を持っていて「肝冷斎主人」と名乗っています。彼も元私の部下です。著作の一部を載せます。絵も彼の作です。長編がいくつもあるのですが、HPには不向きなので、短編を載せます。画像の処理は、渡邊IT技官・清重IT技官の協力を得ています。
肝冷斎は、自らHP「肝冷斎雑志へようこそ」を立ち上げました。ご覧ください。
(1)地仙ちゃんシリーズ
歌仙ちゃん登場の巻 ②象形文字「チセンチャン」 ③地仙ちゃんの楽器 ④カゼが吹く ⑤フンベツする ⑥清明節 ⑦追い込まれた鬱々庵
(地仙ちゃん旅行編)
チマキの秘密 ②おナカの減った地仙ちゃんはキケン ③食の意味 ④トモにする ⑤カミナリ落ちる ⑥カミナリを拾う ⑦オトコの依頼 ⑧戦士の宴会 ⑨地仙ちゃんのタノシミ ⑩ドンブリはドンブリに非ず ⑪何杯も食べる ⑫タタカイの場にマメはない ⑬とても丈夫な歯のコは何でも食べられる
(戦いの後)
勝敗は時のウンにもよる ②ライバルたちの正体判明する ③ぶすーとする ④市はトゲトゲと関係がある 町と村についても解説する ⑥ボカンと殴る ⑦都会は冷たくてコワい
(到着する)
おうちはブタ小屋? ②ココロにもアラずなのに悲しい
(2)コボルトシリーズ
怒れるコドモたち ②望んでも手に入らないモノ ③精霊の至宝 ④目ざましゲコ ⑤コボルト暦 ⑥大魔ジンの恐怖 ⑦トマト畑のワナ ⑧アナグマ商会あらわる

以下、肝冷斎の自己紹介です。

みなさんはじめましてです。
えー、「世の中は冷え冷えとしているので、志と血は温かくなければならないよ。世の中は忙しく騒がしいので、肝と腸は冷ややかでなければいけないよ」というコトバから肝冷斎と名乗ってから十年以上になります。
明・陸徳明の「酔古堂剣掃」の中のコトバだったと記憶するのですが、もしかしたら違うかもチレません。とにかく物覚えが悪くなってきているので、カナシいことです。間違ってたらごめんなちゃいです。
謝ったので間違っていてもいいでしょう。
で、爾来おりおりに書いた文章を、総体として自ら「肝冷斎文集」と名づけております。昔は古典和歌論やホントの随筆や儒学の紹介文だとかも書いていたのですが、別に内容が大したことあるものでもないので、中年以来、少しでも読みやすいモノを作ろうと思いまして、絵入りのおハナシものを書きためているのであります。
で、今回、「ちょっと敬愛」する岡本教授の御尽力でここに発表の場を得ましたので、掲載作品の簡単な紹介をさせていただこうと思います。

①「肝冷斎文集」の中から、現在進行中の二作を載せてもらうことにしました。一つは「歌仙ちゃんのニホン和歌教室」ですが、これはまだ一回分しかありません。「和歌の精霊」歌仙ちゃんを中心にして日本古典和歌を紹介していこうというものですが、設定その他これから肉付けしていく過程であります。
もう一つは「地仙ちゃんの漢字教室」で、二十回分ぐらいあるうちの一部を入れてもらいまちた~。
地仙ちゃんはチュウゴクの大地の精霊です。無職の貧乏文人・鬱々庵センセイのおウチの裏に住んでいて、鬱々庵センセイの漢字講義を受けているオンナのコです。
ヘビのニョロとサソリのサチョリがコブンです。地仙ちゃんが地主の陳さんのムスコをイジメたので、現在鬱々庵センセイはその責任をとらされて、陳さんから立ち退きを求められている状況にあります。
設定は万暦以降アヘン戦争前の江南地方、ただし王朝名不明、鬱々庵センセイは現代日本のことにも詳しい、といういい加減さです。

文中何の断りもしておりませんが、説文解字、康煕字典、周礼正義などのほか、白川静大先生、阿辻哲夫大先生、林巳奈夫大先生、水上静夫大先生、藤堂明保大先生、諸橋轍次大先生、チュウゴクの王力先生などの学説を参考にしています。中でも白川説がオモチロいので主としてこれによっています。時々わたしの自説が混ざってますので注意が必要ですね。

② チュウゴクとかニホン古典のハナシばかりしていると、オンナのひとには嫌われます。そこで欧州のことも書けるんや~、ということを示すために、別途製作しているのが「欧州奇談コボルトちゃん伝説集」であります。
コボルトちゃんは地仙ちゃんのハトコで、大地母神フレイヤさまのおんムスメゴの西洋の大地の精霊ですが、家出して欧州一帯に出没しています。ゲコ(カエル)がコブンです。
ともだちというかライバルにサラマンダちゃん、ゴブリンちゃん、ウンデネちゃんなどがいます。もう60回分ぐらい書いたのですがアホらしいので少しだけ載せてもらうことにしました。

ちなみにわたしは、岡本教授の本職(?)である公務員業務の経歴中で、かつて部下だったのことのある後輩でございます。先輩があの程度だから後輩はさらに・・・、と想像される向きもあろうかと思いますので、岡本教授のシゴトぶりを知らない学生諸氏及びご家族の方に一言申し上げておきます。
岡本教授は、本来は管理監督・行政実務指導の面のプロフェッショナルでありまして、おそらくその面では現在の我が国でも屈指、というと言いすぎなので、百番目ぐらいには入る「名人」なんでっせ。(とか言っていると傷の舐めあいになりますかね。)

(肝冷斎の著書)
このHPに、地仙ちゃんシリーズなどを連載していた、元下宿人「肝冷斎」が、本を出版しました。
肝冷斎雑志 中国古典うろうろ散歩」(2010年、パブリック・ブレイン)です。表紙を見ると、あの懐かしいイラストが出ています。
本人曰く、「中国古典を題材に、たいへん勉強になる本です。わかりやすくてちょっとひねくれていて、愛らしいカット入り。重要個所は、漢文、書き下し文、和訳も併録しています。「なぜ、大丈夫というのか」「狼狽の由来とは」などなど、30以上の項目があるので、これ一冊読むだけで、賢くなれる・・・かも」
新書サイズで、700円と値段もお買い得です。ただし、一般書店では取り扱ってないので、アマゾンで注文しなければなりません。
なお、肝冷斎は、ホームページの方も休まず、増殖中です。

レーガン元大統領の国葬

6月5日に93歳で死去したドナルド・レーガン元米国大統領の国葬が、11日11時30分から、私の職場からも程近いワシントン大聖堂で行われました。ゴルバチョフ、サッチャーなどという懐かしい名前と共に、日本からは中曽根元首相が国葬に参列しました。大統領経験者の国葬としては、1973年のジョンソン元大統領のとき以来、31年ぶりです。
11日は、連邦政府機関も証券取引所も休みだったのですが、残念ながら私の職場は平常どおり。当日は、主要道路の封鎖、いつもよりずっと多い警官&パトカーの数、上空を飛ぶヘリコプターなどが、「厳戒態勢」であることを感じさせていました。
日本でレーガン元大統領の死がどのように扱われたのかは知りませんが、米国においては、レーガン元大統領の死後、氏が残した業績を検証する追悼番組、新聞の特集記事等が、「これでもかっ~」というくらい相次ぎました。毎日の新聞の2~3面以上を必ずレーガン元大統領の記事が占め、毎日のニュースでもその大部分が氏にまつわるニュースに充てられていました。
もちろん、その論調は、冷戦の終結を導いたこと、「レーガノミックス」による成果等レーガン元大統領に対する賞賛一色。「二十世紀で最も偉大な大統領に列せられる」「ベスト3に入る大統領」など、最上級の賛辞が贈られていました。
レーガン元大統領の遺体を収めた棺は、9日にカリフォルニア州からワシントンに運ばれ、連邦議会の議事堂に安置されており、11日の国葬当日まで夜を徹して一般弔問が行われました。弔問に訪れた人は全米各地から数十万人、弔問に並び始めて弔問が終わるまで6,7時間かかるとのことでした。このことからも、元大統領の死に対する米国民の感情がどれほどのものであったか、理解してもらえるのではないかと思います。
今や、レーガン元大統領のスローガンであった「小さな政府」や「規制緩和」は、日本を含む各国の政策の主流になっています。しかしながら、、私が大学で経済を学んだ1990年前後には、その経済政策は、「ラッファー曲線」という変な経済理論を基に財政赤字を急増させるとともに、貧富の差を増大させるなど(少なくとも私が大学にいたころには)どちらかといえば否定的に捉えられていたような気がします。また、レーガン時代の「強いアメリカ」を彷彿させるブッシュ現大統領の外交政策も、支持の声がある一方、多くの批判を受けているのも事実です。
11日は朝から、「3大ネットワーク」すべてが国葬の生中継していました。ミーハ-な私は、「なぜ故レーガン元大統領はこんなに人気があるんだろうか」「やはり亡くなったときにその人の悪口を言うことはないよね」などということを考えつつ、小雨の中、オフィスから少しだけ外に出て、同じように最後の見送りをする多くのアメリカ人とともに、マサチューセッツ通りを通り抜ける故レーガン元大統領を乗せた車列を眺めたのでした。