カテゴリーアーカイブ:ものの見方

アフリカ大陸を正確な大きさに

2026年9月6日   岡本全勝

9月5日の時事通信ウェブニュースが「アフリカ大陸、正確な大きさに 地図移行促す決議採択―国連総会」を伝えていました。

・・・国連総会(193カ国)は4日、各国の実際の面積を正確に反映する世界地図の利用を促す決議を、164カ国の賛成多数で採択した。決議案は西アフリカのトーゴが主導して提出し、アフリカ大陸の大きさを正しく表示することを求めてきた。
決議は各大陸の面積をより忠実に表現する「イコールアース図法」への移行を加盟国や国際機関に促す。米国だけが反対し、ウクライナなど6カ国が棄権した。
16世紀に考案され、世界で主に使われている「メルカトル図法」では、赤道から離れるほど陸地が大きくなり、相対的に北米や欧州が大きく、アフリカ大陸や南米などが小さく描かれてきた。アフリカ大陸は、デンマーク自治領グリーンランドと同等の大きさで表示されるが、実際は約14倍の面積を持つ・・・

メルカトル図法は面積を正しく表さないとは知っていましたが、アフリカ大陸がグリーンランドの14倍もあるとは知りませんでした。球面を平面に写そうとするには、無理があります。イコールアース図法は、メルカトル図法に慣れた私たちにも受け入れやすいです。

異論や逆張りの発想の重要性

2026年8月9日   岡本全勝

長期停滞、「大きな政府」はあり得なかったか」の続きになります。大勢順応、世間に従うことの危険についてです。

大勢に従っていると、自分で判断する必要がなく、楽です。その結果が悪くても、「私が判断したのではない」と言い訳ができます。その反対が、世間がどう言おうと、自分で判断することです。それは労力が必要ですし、結果が悪いと自分の責任になります。バンドワゴン効果という言葉もあります。
その極致が逆張りです。逆張りとは、取引で人気のよいときに売り、悪いときに買うことです。大勢や時流に逆らう言動をする場合にも、「逆張りの主張」と使います。

他人と同じことをしていたら、それと同じだけの利益を得るでしょうが、競争のある世界では負けていきます。これまでにないことを考えるのが、商売であり研究です。そこでは、これまでの通念を疑う、他人とは違うことを考える必要があります。大勢に従わない人が、新しい商売を考え、利益を得ます。

経済が成長しているとき、社会が発展しているときは、大勢に順応しているとその流れに乗ることができます。そして、好循環が生まれます。他方で、経済が不況になり、社会が停滞しているときには、他者と同じことをしていては、同じように低下するだけでなく、社会全体がさらに低下します。各会社や各人が節約すると、経済全体が縮小します。経済学で言う「合成の誤謬」の一つでしょう。日本の長期停滞は、この悪循環に入っていたのではないでしょうか。

その際に、逆張りの発想はなかったのでしょうか。官民ともに、大勢順応やこれまで通りではなく、「これを変えよう」という議論はできなかったのでしょうか。

偶然と必然、本人と社会の評価

2026年8月4日   岡本全勝

偶然と必然、これについて書かれた本も多いですよね。ふと、次のようなことを考えました。

神様や仏様から見たら、私たちの行動と結果は、決められたことで、偶然ではありません。神様がどこまで、大震災を起こすぞと予定しておられるかは、疑問なのですが。その時々の各人の判断は異なります。どの異性を選ぶか、どの本を選ぶか。しかし、その判断をする環境は、偶然ではなく、用意されたものです。
他方で、私たち各人から見ると、偶然と思えることがあります。「あの時あの人と出会ったから、こう変わった」「あの本を読んで目が開いた」とかです。与えられた条件(人、本)は変わらないのに、それに反応するかどうかは人によって異なるのです。

神様は、同じような条件を与えてくれているのに、受け取る人によって、その効果が異なります。客観的に見るのか、主観的に見るのかとの違いとでも言うのでしょうか。

この話を発展させると、大切なもの、価値のあるものが、各人によって異なることもわかります。アルバムや思い入れのある人形は、個人にとってとても重要なものです。他方で、社会にとっては価値は少ないです。「少し古本を処分13」で書いたように、私にとって思い入れのある本も、古本屋にとっては無価値でした。

ジョセフ・ラズ著『価値があるとはどのようなことか』(2022年、ちくま学芸文庫)は、普遍的な価値と個人の愛着との関係を論じています(これも、全部を読んでいません)。確かに、この観点は、あまり議論されていませんよね。

日本は進化論を受け入れたか

2026年7月29日   岡本全勝

変な表題ですが、言いたいのは、次のようなことです。
進化論は、ご存じのように、生物が進化したもの、(神様がつくった)固定されたものではないとする考え方です。ダーウィンが、提唱しました。日本人のほとんどが学校で習い、それを受け入れていると思います。
ところが、生物については理解しているのですが、人がつくっている社会も同様に変化していくものだという認識は少ないと思うのです。生物が不変のものではなく、長時間かけて次第に変化するように、社会もまた停まることなく、変化するものだという認識です。生物界の法則を人間社会に持ち込むのは、次元が違うと批判はあるでしょうが。

ただし、ここで言う社会の変化は、かつて唱えられた「社会進化論」「社会ダーウィン主義」ではありません。「進化」は「変化」であって、「進歩」を意味していません。「進化によってよくなる」とか「生き残ったものがよいものだ」といった価値観を含みません。「適者生存」を主張しているのでもありません。社会は変化を続けていて、人や組織は変化の中で生き残る、残らないものもあるということです。

日本人は、「社会もシステムだ」とは理解したけれど、「プロセスとして変化するものだ」とは理解しなかった。そして生物界とは異なり、作為で変えることができるという理解が十分でないように思うのです。
「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ」の境地です。それは東洋古典の理想だったのでしょうが、近代社会ではそれを許してくれません。特に経済・産業の分野です。昨日まで世界最高水準にあったものが、後発者の挑戦を受けます。それらと戦わないと、負けてしまいます。
経済成長期に、あれだけ新しいことに取り組んだ日本人が、1990年代以降、挑戦を躊躇するようになったと見えるのです。すると、「日本社会は変化することを好まない」あるいは「変化への挑戦を躊躇する」というのは、日本人の特性ではなく、近年の特徴なのでしょうか。

ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン著「アメリカを作った思想 ―500年の歴史」(2021年、ちくま学芸文庫)183ページに、プラグマティズムがダーウィンの進化論の影響でできたことを指摘しています。絶対的起源や絶対的終極を捨て去ったのです。

古典を並べただけでは文学史ではない

2026年7月28日   岡本全勝

間違っていたら、ごめんなさい。
「文学史」とか「××文学入門」と銘打っているのですが、中身は古典や有名な小説の羅列だと思うことはありませんか。「思想史」「哲学史」も同様です。哲学者や思想家の著作を並べただけ、というものが多いと思います。それはそれで意味があるのでしょうが、それでは「文学全集(簡略版)」、「思想家著作(概要)一覧」ですよね。

歴史学だと、各年の事実を羅列した年表や年代記です。それも歴史学の一つでしょうが、読んでも面白くないです。そして何より、「一枚に簡潔にまとめよ」と言われても、羅列ではそれを要約できません。
何が起きたか、何をしたかではなく、思想家や小説家が、置かれた条件の中で何をやったか、何をしようとしたのかを知りたいです。さらに、社会にどのような影響を与えたかです。

もう一つは、支配者の行動を記録しただけでは、歴史や政治史になりません。哲学者の著作を紹介しても、その時代の思想史とは言えないでしょう。庶民が何を考えていたかを無視しては、思想史にならないと思います。

ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン著「アメリカを作った思想 ――500年の歴史」(2021年、ちくま学芸文庫)を読みながら、考えました。この本については、別途紹介したいと思います(いろいろ忙しくて・・・)。