カテゴリーアーカイブ:ものの見方

センメルヴェイス反射

2026年7月17日   岡本全勝

センメルヴェイス反射という言葉を知っていますか。
簡単に言うと、権威ある人たちが、通説に反する新たな知識に触れた際に、それを拒絶する態度でしょうか。

センメルヴェイスは、1818年生まれ、ハンガリーの医者です(ハンガリーは日本語と同じで、名字が先に来ます)。出産した母親が産褥熱という病気にかかって死亡する原因が、分娩を担当する医師の汚れた手にあるということに気が付きます。医師自身が原因で患者が死亡しているという事実を、医師たちには認めたくなかったのです。
まだ細菌が知られていない時代です。彼も、未知の「死体粒子」が原因だと、間違った理由を考えたようです。そうだとしても、消毒すると脂肪が減るという事実は明らかだったのですが。

地動説を受け入れるには、長い年月がかかりました。近いところでは、プレートテクトニクスは、1960年代後半に登場し、欧米では70年代初めには地球科学の支配的な学説となりました。しかし、日本の地質学界ではその受容に10年以上の遅れが生じたとのことです。

コペルニクス的転回とアインシュタイン、ダーウィン

2026年6月22日   岡本全勝

コペルニクス的転回は、ご存じですよね。それまでの「真理」だった天動説に代えて、コペルニクスが地動説を唱え、物事の見方を根本的に変えてしまったことです。英語では、Copernican Revolution と言うそうです。まさに革命です。パラダイムシフトとも呼ばれます。

「コペ転」と短縮しても使われます。
私が経験したコペ転は、世界ではソ連の崩壊・東西冷戦の終結でした。「ドイツ東西統一と新しい分断」。生活では、いくつかのコペ転を経験しました。それはまた次の機会に。

自然科学では、コペルニクスとともに、アインシュタインの相対性理論、ダーウィンの進化論が、それまでの「真理」をひっくり返しました。ところで、コペルニクス的転回という言葉があるのに対して、アインシュタインとダーウィンにはそのような表現がないのか。物知りに聞いてみました。すると次のような答えが返ってきました。

・・・アインシュタインは「アインシュタイン・ショック」というんだと思います。
ダーウィンは・・・「来た!」じゃないですかね・・・

ハハハ

プラスチック文明

2026年5月19日   岡本全勝

5月7日の朝日新聞に「プラスチック文明、自然観まで変えた」が載っていました。

・・・イラン情勢の悪化を受けた石油関連製品の供給不安は、現代文明がどれほどプラスチックに依存してきたかを可視化しつつある。20世紀を通じて日常生活のあらゆる場面に浸透した人工物質は、「夢の物質」や「悪魔の物質」と呼ばれながら、人々の感覚や自然観にも影響を与えてきた。
「プラスチック」は、化学反応によって合成される100種類以上の物質の総称だ。19世紀半ばに米国で発明されたセルロイドや、1907年生まれのフェノール樹脂がその始まりとされる。第2次世界大戦後にポリエチレンなど石油由来のプラスチックが爆発的に普及し、大量消費社会の到来をしるしづける。
木材や陶土などに比べて低コストで、自由自在な造形が可能。鮮やかな色彩や、流線形のデザインをまとった新素材を、当時の人々は「モダン」の象徴として歓迎した。

昨年末に「感覚史入門 なぜプラスチックを『清潔』に感じるのか」を刊行した東京大の久野愛准教授によれば、「科学の力を信奉するモダニズムの時代は、天然素材より人工物の方が優れているとする見方が一般的だった」。
たとえば、戦後に人気を博した食品保存容器「タッパーウェア」は、米国での発売当時、つるりとした手触りやカラフルな見た目が強調され、「39セントのファインアート」と絶賛された。五感に関する特徴では、無味無臭であることもアピール材料になった。都市の近代化においては「におい」の排除が重要視され、食品などを包む透明な容器やフィルムは、その要請に合致し、視覚優位な社会の形成に貢献したとされる。
「新素材の登場は、人々の感覚や感性の再編成を促し、新たな日常として定着していった」と久野さん・・・

・・・しかしオイルショックなどで大量消費に対する反省が広がる70年代ごろから、プラスチックは一転、その「主犯格」として批判を浴び始める。燃焼時に出るダイオキシンの有毒性も知られるようになり、身体や環境をむしばむ「悪魔の物質」と忌み嫌われるに至った。
それでも79年には米国のプラスチック生産量が体積において鋼鉄を追い抜く。遠藤さんは言う。「海底ケーブルの被覆膜、飛行機の翼、人工心臓。今や代えの利かない『物質を超えた物質』となったプラスチックは、現代文明を陰で支えながら毛細血管のように社会全体に浸透した」
日常風景にあまねく埋め込まれた結果、逆にその存在が見えづらくなっているのが現在のプラスチックだ。フランスの批評家ロラン・バルトはすでに約70年前、こうした状況を「プラスチックは使用されたという事実の中に完全にのみ込まれている」との言葉で喝破した・・・

多くのプラスチックが土に帰らず、ゴミとして海を漂い、山野を汚しています。海洋ではプラスチックスープと呼ばれるほど溜まり、誤って食べた生物が死んでいます。マイクロプラスチックは、人体に悪影響を及ぼしているようです。便利なのですが、人類は、とんでもないことを続けています。

近代経済学を越えて

2026年5月4日   岡本全勝

私は大学で経済学や財政学を学び、その切れ味に目を開かされました。教科書はサミュエルソンなどでした。財政学は貝塚啓明先生でした。わかりやすかったです。価格が需要曲線と供給曲線の交わるところに落ち着くこと。国民経済計算の三面等価など。
地方財政を職業にしてからは、神野直彦先生に教えを請いました。財政の地方分権、三位一体の改革で、国税から地方税への税源移譲も、神野先生の理論的支えによって実現しました。

ところがその後、いささか不満を持つようになりました。
1つめは、経済学の教科書に載っている分析は、極端な単純化をしています。人はすべて合理的に判断行動し、商品はリンゴとミカンの2つだとか。すべての情報を手に入れて、瞬時に判断するとか。世の中、そんな単純ではありませんよね。「二つの脳、直感と熟慮
2つめは、数式が多用されますが、その割には現実を分析しているとは思えないことです。専門家同士はそれで良いのかもしれませんが、多くの国民は「そんな難しい数式を使わなくても、もっとわかりやすい言葉で説明してくれよ」と思います。
3つめは、数式や分析が精緻化しているのに、現実の経済問題を解決している、あるいは経済問題に取り組んでいるとは思えないことです。日本では、30年間にわたって経済停滞が続きました。格差や子どもの貧困も大きな問題です。それらに取り組まずに精緻化しても、有用とは思えないのです。
4つめは、私が大学で経済学を学んで以降、目を見張るような革新や進歩があったようには見えないのです。

天気予報などは、観測技術とコンピュータによる計算が進んで、精度が向上したようです。このような数式の利用は納得できるます。
門外漢の感想です。経済学者からは反論が、そして「政治学や行政学も同じ、いやもっと有効ではないではないか」との批判が来そうです。

有限な資源としての時間

2026年2月9日   岡本全勝

日本人がつくった社会通念・時間厳守2」の続きになります。織田一朗著「日本人はいつからせっかちになったか」の第Ⅵ章は「資源としての時間が見直されてきた時代」です。

・・・「時間に使われる」のではなく、「自分の時間を〈自分で決めて〉使う」ことが大切なのだ。つまり、本当の豊かさは自分の生活、人生の中で「自分で自由になる時間がどれほどあるか」だとする。確かに幸福とはモノの豊かさで充足されることではなく、精神的な充足感である。
「モノが足りなかった時代」にはモノを手に入れるための金が大切だったが、モノが余ってきた現代に、人生の価値の基準を「金持ち」であることから「時持ち」へと進化させたのだ・・・(p181)とあります。

192ページ以降には、情報化社会になって情報量が加速度的に増えたこと、単位時間当たりに接する情報量の多さ、その摂取と処理・利用にますます時間が取られることを指摘しています。
しかし、過剰な情報は流れていても、処理と利用はされない「無駄なモノ」でしかありません。それに振り回されていると、有限な時間を浪費する「有害物質」でしょう。
この本が書かれたのは、1997年。まだスマートフォンは、世に出ていません。注意と時間泥棒であるスマホによって、さらに自由時間はなくなっているようです。

ところで、162ページに、マーキングペンの生産額が昭和63年(1988年)に急増したことが書かれています。それ以前の7年間は800億円前後で横ばいだったのが、一気に10倍以上の約9000億円に達したのです。「人々が大量の情報を処理するためにマーキングペンを活用し始めたものと推定される」と分析しています。
へえ・・・。印刷機で印刷した資料に、色で線を引いたのでしょうか。その後、印刷せずに画面で見ることが多くなると、マーキングペンは売れなくなったのでしょうか。