10月9日の日経新聞オピニオン欄、門間一夫・みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミストの「「経済成長」は適切な政策目標か」から。指摘のとおりです。内閣府(経済財政部門)や経済財政諮問会議でも、取り上げてほしいです。未来を語る必要がありますが、過去の実績を踏まえない議論は「空論」「希望」に終わる可能性があります。
・・・高市早苗政権は17の戦略分野を中心に官民一体で国内投資を進める。内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」によれば、日本経済の潜在成長率は何もしなければ0.4〜0.5%にとどまるが、高市政権の成長戦略で1.7〜1.8%まで高まるという。
過去の実績はよくない。今世紀初頭の小泉純一郎政権以来、政府は累次の成長戦略に取り組んできた。そのつど潜在成長率は2%前後まで高まるとされたが、結果は逆だ。成長戦略の策定・実行が繰り返された四半世紀の間に、潜在成長率は1%程度から0.5%程度へ半分になった。
この間の成長戦略は強力な政治のリーダーシップのもとで、官民ベストの英知を結集して策定・実行されてきたはずだ。それでも成長率が、かすりもしないレベルで目標未達に終わった現実は、厳粛に受け止めなければならない。
規制緩和、イノベーション(革新)の促進、金融市場・労働市場の改革、人材の育成、財政のワイズスペンディング(賢い支出)などを語ることはたやすい。しかし、成熟段階に達した日本のような国で、「野心的な潜在成長率」を政策目標としたとき、その目標に対応する実行可能な政策手段を定量的にひもづけるのは困難をきわめる。
手段が明確でないのに高めの目標を掲げるなら、それは精神論にほかならない。高みを目指す精神論はあってもよいのかもしれないが、弊害があるなら別である。
経済成長とそのための手段のひもづけが難しいということは、ある政策を「成長には無関係」と証明し、排除するのも難しいということだ。その結果、少しでも成長に関係しそうなメニューなら幅広く正当化され、戦略はおのずと総花的なものになる。
しかし財政状況は厳しく、人的資源の制約も強まっている。「成長」の旗が立つなら何でも予算をつけるゆとりはすでに失われている。国民にとって真の課題は何なのか、その中で民間だけでは解決できず、国の強力な関与が必要な課題は何か。成長という言葉を使わずに厳しく問うべきではないか。
例えば、経済・エネルギー安全保障の強化は、成長に資するかどうか以前に、民間だけでは対応できない死活的な課題なのだから、国民に負担を求めてでも推進すべきであろう。老朽インフラの改善や災害への備えも、国民の暮らしを守るために不可欠な課題であり、それが経済成長につながるかどうかは二次的な論点である。
経済格差が問題なら是正を急ぐべきであり、成長してからその果実を分配するという発想では、問題は永遠に先送りされる。女性活躍も外国人材の登用も、労働力の確保という狭い視点ではなく、多様性や活力のある社会が望ましい、という価値観を推進力にすべきである。
経済成長は高いに越したことはないが、目指して実現できるものではないことも過去25年で証明された。むしろ「成長戦略の一環」という発想が課題の優先順位をあいまいにし、真に必要な取り組みや資金投入が、かえって中途半端になることが懸念される・・・