カテゴリーアーカイブ:経済

既存企業が防ぐイノベーション2

2026年10月19日   岡本全勝

「既存企業が防ぐイノベーション」の続きです。リチャード・ダッシャー、スタンフォード大学特任教授のインタビュー「日本流のイノベーション」から。

―人材の流動性が低い日本企業の終身雇用は、イノベーションの障害となるのでしょうか。
「外部人材が入りにくいのは事実ですが、終身雇用に裏打ちされた、社員と組織の関係性の強さと持続性は、息の長いイノベーションを生み出す背景でもありました。プロジェクトの進展と共に、チームのメンバーが研究所から事業部に異動し、技術営業やマーケティングなどに回って支える人もいる――といった強みです」

―製造業では、工場などの現場重視も強みとされてきました。これも、破壊的イノベーションを妨げる要因になりませんか。
「トップレベルの意思決定において現場が重視される日本企業の『技術経営』は、世界最高のシステムと評価されてきました。一方で、現場には、年功序列に基づくヒエラルキーも存在します。そして一般に、序列の高い人ほど変化に消極的になりがちです。培った経験と実績があり、やってきたことを変えたくないからです」
「つまり終身雇用や現場重視は日本企業の強みを支えてきた半面、既存事業の維持やリスク回避を優先しがちな面もあります。ですから、しがらみにとらわれずに新しい技術やビジネスモデルで社会の課題を急速に解決するスタートアップも、両方が重要です」
「これまで日本では、大企業に就職するか起業するかといえば、圧倒的に大企業を選ぶ若者が多かった。しかし、それでは革新的なアイデアは失われてしまいます。日本はキャリアの柔軟性があまりにも欠けており、スタートアップを行き来できるキャリアを真剣に考える必要があります。一人一人が、より幅広い選択肢を持つことです。そして大事なのは、もし失敗しても他の道があることです」

―日本には、まだ失敗を減点と捉える傾向もあると感じます。
「シリコンバレーでは、失敗は学ぶための機会と考えます。日本が目指すべきは、この『失敗の再活用』であり、それが人材の流動性のカギにもなる。リスクとチャンスは、同じコインの表と裏なのです」

既存企業が防ぐイノベーション

2026年10月18日   岡本全勝

10月2日の朝日新聞オピニオン欄、リチャード・ダッシャー、スタンフォード大学特任教授のインタビュー「日本流のイノベーション」から。
「日本に破壊的イノベーションを生む力がないわけではなく、むしろ産業基盤が強固で、既存のビジネスが破壊されるのを防いできたのです。最終的には、外部から破壊をもたらす者が現れることになります。日本企業も、既存事業の外側に新たな価値を見つける必要があります」が的を射ていると思います。

・・・かつて日本企業は技術革新(イノベーション)を次々と起こし、世界をリードした。だが、近年は苦戦が目立つ。もはや技術大国ニッポンは過去の栄光なのか。イノベーションの中心地である米国の西海岸シリコンバレーに詳しく、日本企業も長年研究してきたリチャード・ダッシャーさんに日本の課題を聞いた・・・

―そもそもイノベーションとは何でしょうか。
「新たな価値の創造によって、変化に対応する、あるいは変化を先取りすることです。人類の歴史上、変化への対応の仕方は『戦う』と『逃げる』、そして『革新する(innovate)』の三つでした。古代人は、地球上で最も強くも速くもない、弱い存在だった。だからこそ、生き残るために道具や武器を発明してきました」
「イノベーションは『破壊的』と『漸進的』の二つに分けられます。たとえば、対話型の生成AI『ChatGPT(チャットGPT)』の登場は、『検索』という人々の行動様式を変えてしまう破壊的なイノベーションです。日本企業ではソニーのウォークマン、ホンダのカーナビ、デンソーウェーブのQRコード、NTTドコモのケータイ絵文字も、世界を変えた破壊的なイノベーションでした」
「ただ本来、日本企業が得意なのは、徐々に改良を重ねる漸進型のイノベーションです。しかも、極めて長期的に取り組む。たとえば、軽量で丈夫な東レの炭素繊維は、航空機や車に使われるようになるまで研究開発に30年もかけています。米国企業ならとっくに打ち切っており、あり得ない。戦後の日本の技術開発は終身雇用に支えられ、漸進型イノベーションを主導してきたのは大企業でした」
「こうしたイノベーションの原動力は、既存事業に付加価値を与え続けることです。日本に破壊的イノベーションを生む力がないわけではなく、むしろ産業基盤が強固で、既存のビジネスが破壊されるのを防いできたのです。最終的には、外部から破壊をもたらす者が現れることになります。日本企業も、既存事業の外側に新たな価値を見つける必要があります」

岩崎薫里・日本総研上席主任研究員の談話
・・・なぜ日本では破壊的なイノベーションが起きないのか。そもそも日本は安全で便利な社会で、何かを劇的に変える必要性があまりないのです。「不便さ」は、破壊的なイノベーションの土壌になる。東南アジアでフィンテック(ITを使った金融サービス)が急成長したのも、「ATMが近くになく、隣の島まで行かなきゃいけない」といった不便さが背景にありました。
人材の多様性も重要です。日本には「奇人変人」も、もっと必要です。とっぴな発想は失敗も多いけれど、成功すると破壊的イノベーションにつながる可能性があります・・・

金融業界、定年延長

2026年10月14日   岡本全勝

10月6日の読売新聞に「金融 シニア活用拡大 人手不足深刻 定年延長・給与現役並みに」が載っていました。

・・・金融業界でシニア人材を活用する動きが広がっている。人手不足が深刻化する中、金利上昇や事業の多角化に伴い、多くの人材が必要となっているためだ。定年延長や処遇改善を通じて専門知識や顧客との関係を持つベテラン社員を社内に引き留め、「現役」として活躍してもらう考えだ。

明治安田生命保険・・・は2027年度から定年を65歳から70歳まで引き上げ、退職後は1年ごとに契約を更新する現行の再雇用制度を改める。退職金の積み立ても70歳まで延ばして受取額を増やせるようにし、優秀なベテランを確保する考えだ。
シニアの引き留めは金融業界で相次いでいる。
三菱UFJ銀行は27年度から定年を60歳から65歳に延長し、55歳で「役職定年」として一斉に給与を引き下げる制度も廃止する。シニアでも能力に応じて昇給しやすい仕組みにし、働く意欲を高める考えだ。
メガバンクでは三井住友銀行もすでに65歳に定年を引き上げており、みずほ銀行では55歳の役職定年を廃止している。証券業界でも、野村ホールディングス(HD)は今年度から定年後に再雇用した社員の給与水準を現役世代並みに引き上げ、シニアに活躍してもらう考えだ。

シニアの活用が広がるのは人手が足りないためだ。
帝国データバンクの調査では、正社員が不足していると感じる企業の割合は全51業種の平均51・3%に対し、金融業界は67・1%となり、最も高かった。
金融業界は金利や株価の上昇を受け、過去最高益を更新するなど業績好調だ。資金の運用や融資などで事業拡大の余地も大きく、顧客企業へのコンサルタント(相談)業務など比較的、新しい事業にも力を入れている。
融資判断や運用、新たな保険の開発などは専門性が高く、「経験豊富なシニアの活躍で、事業拡大や新たな領域への進出が可能になる」(大手保険会社)としており、他業界以上にシニアへの期待は大きい。政府も企業に対し、70歳までの就業機会の確保を努力義務としており、活躍の場はさらに広がる可能性もある・・・

味の素は半導体の会社

2026年10月10日   岡本全勝

10月8日のNHKウエッブに「食品メーカーが半導体で好調 社長が語る秘けつとは?」が載っていました。詳しくは記事を読んでください。驚きますよ。

・・・「絶縁フィルム」は、パソコンの心臓部である「CPU」に存在します。「CPU」には、半導体の基板が何層にも積み重なり、回線が複雑に張り巡らされています。意図しない部品に電流が流れ、パソコンがショートするのを防ぐため、ミルフィーユのように挟まれているのが「絶縁フィルム」です。髪の毛よりも薄く、非常に繊細です。
この「絶縁フィルム」に使われているのが、この会社の主力商品「うまみ調味料」の主成分であるアミノ酸の製造技術です・・・

・・・絶縁フィルムは、現在のAI・半導体需要の高まりを受けて、取引が一段と拡大、世界シェアは95%を超えています。
今年度の絶縁フィルムを含む事業分野の利益は昨年度より20%ほど増えて655億円となる見通しで、会社全体の事業利益のおよそ3割を占めると見込んでいます・・・

曲解された「国富論」2

2026年10月7日   岡本全勝

「曲解された「国富論」」の続きです。

・・・ところで、今日の経済学がスミスからの継承を怠ったもうひとつの論点がある。スミスは、18世紀英国では、経済学者というよりもむしろ「道徳哲学者」として高名であった。
「道徳感情論」というもうひとつの主著においてスミスが述べるのは、ある人のある行動の是非を判断するものは、中立的な観察者がどのぐらい共感できるかにあるという。この他者からの共感こそが、道徳的判断の基礎となる。
そのとき、社会はそれなりの共通の価値観を持っており、そこに公正な秩序も形成される。スミスの市場経済論が、直接的ではないにしても、「道徳感情論」を背後に持っていることは間違いない。

彼は、しばしば「私益は公益なり」と訴えたといわれ、人は自己利益を追求すればよい、後は市場の「見えざる手」が適切な秩序を実現してくれる、という。だが、これも無条件の「利己心」を称賛したものではない。経済活動も、「中立的な観察者」による共感に依存するのである。それは、社会的に是認されるような、ある種の「公正さ」を必要とするのだ。

現代の米国流の経済学は、経済行為を、道徳的判断などという価値観から引き離した。経済活動にも、社会的に是認できるものと是認しがたいものがある、という当然の価値判断をいっさい拒絶した。その結果、利益や収益の比較、効率性や成長率への寄与だけが判断の基準になったが、しかし、それもまた、ひとつの価値判断なのである。その結果として失ったものは、経済活動の「公正さ」や「社会の安定」といったもうひとつの価値判断なのである・・・