カテゴリーアーカイブ:社会と政治

法律の背景を知る

2026年7月20日   岡本全勝

民法は、大学で学びました。必須科目でした。学んでいるときは、法学一般に「無味乾燥」な学問だと思い、条文と解釈を覚えるだけで「これで学問かな」と疑問も持ちました。
団藤重光先生の法学入門も受け、各先生方は条文の意義も教えてくださったのですが。学生としては、条文と解釈、判例を覚えたら終わりで、その先は考えなかったのです。例えは悪いですが、自動車の運転技術のようなもので、身につける必要はありますが、真理を追究する学問とは別だと思ったのです。

後に、星野英一著『民法のすすめ』(1998年、岩波新書)を読んで、「なるほど、民法はこのような社会の歴史の変化に対応して、変化してきたのか」と納得しました。大学でも、「自立して平等な市民」という基本を変更した事例として、労働法制や借家人・消費者保護法制を学んだのですが。
憲法については、近代市民革命からの歴史を習うので、その変遷と意義は必須でした。それと同様に、民法も変化してきたことを理解できたのです(遅いです)。民法が社会のもめ事を解決する、社会が円滑に運用される基盤を提供する学問だと、理解できました。

本棚を整理していて、大村敦志著『民法総論』(2001年、岩波書店)を見つけました。「民法総則」(これは民法の一部)ではありません。私の関心は、社会の中の民法、社会の変化に民法はどう対応したかということです。星野先生の本の延長で買ってあったのですね。今となってはいささか古いのですが、私の関心からは問題ありません。引き続き『現代法の動態ー社会変化と法』(2014年、岩波書店)、大村敦志著『人間の学としての民法学』(2018年、岩波書店)も図書館で借りて、一部を斜め読みしました。大村先生の『民法改正を考える』(2011年、岩波新書)も本棚にあります。

法学に限らず、政治行政学や社会学で興味を引くのは、大きな変化があったときですよね。それは対象とする社会や現実が変化したときです。変化が少ないときは学者の出番は少ないです。連載「公共を創る」を書いている問題意識も、これに通じます。
歴史学が、政治史から社会史や文化史に変化してきました。政治史も権力者を中心とした見方から、政府が国民に対しどのようなサービスを提供してきたのか、それに併せて法律はどのように変化してきたのかを説明する歴史学になりませんかね。

「頑張り報われぬ」剥奪感

2026年7月20日   岡本全勝

6月24日の朝日新聞オピニオン欄、木村忠正・立教大学社会学部教授へのインタビュー「生活者2.0 「頑張り報われぬ」剥奪感抱く多数派 ネットの罠が拍車」から。

・・・ 有権者は、どんな価値観や心理から政治家に一票を投じているのか。総選挙後に大規模なウェブ調査をした立教大学の木村忠正さんは、「まじめに頑張っても報われない」という多数派の思いがいま、政治を動かしていると分析する。投票行動を左右する有権者の心理から、日本社会の地殻変動が浮かび上がる・・・

―今年2月の衆院選の直後に実施したという調査で、何が浮かび上がりましたか。
「衆院選の翌日・翌々日に、全国の18~69歳を対象にウェブ調査をし、2千以上の回答を得ました。注目したのは、有権者が投票先を決めるとき、何が影響しているのか、です」
「興味深かったのは、年齢や性別といった属性よりも、『その人がどんな価値観を持ち、どう情報を扱い、どう社会から影響を受けるか』という道徳心理や情報行動が、投票行動に強くかかわっていたことでした」

―具体的に、どんな心理や価値観が影響していましたか。
「最も印象深かったのが、日本社会を覆う『相対的剥奪(はくだつ)感』の強さでした。どの政党を支持するかを問わず、『まじめに頑張る普通の人が報われない』という不満が一様に高かった」
「そして注目すべきは、この剥奪感の出口、つまり不満を向ける先が、政治的な立場によって異なっている点です。右派は矛先を少数者やマスコミに向ける一方、左派は『社会の不平等』や『再分配をしない体制』への抗議というかたちをとっています」

―そもそも、なぜ多くの人が「自分は報われていない」と感じているのでしょうか。
「その背景には、資本主義の歴史的な転換点があると考えています。第2次世界大戦後から1980年代頃まで続いた『黄金の例外期』の終焉です」

―黄金の例外期とは?
「主要先進国で、福祉資本主義が例外的に機能していた時期のことです。戦争による富の集積のリセット、教育水準の向上、多くの人を雇用する製造業中心の高度成長という条件がそろい、日本を含む各国で分厚い中間層が形成された。この頃はアメリカでも、中位4割が全体の6割の富を持っていました」
「この中間層の経済的安定を基盤に、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といったマスメディアが国民国家の情報空間を形成しました。メディアが民主主義の基盤となり得たのは、この黄金の例外期のおかげです」
「しかし現在、富は一部の層に極端に偏在し、先進産業国における資産をみると上位10%が7割を得ている。経済学者のトマ・ピケティは、現在の富の集中は歴史的例外ではなく、資本主義の常態だと指摘します。分厚い中間層が成立していた時代こそが例外だったのです」

―この「中流の終わり」は、先の衆院選でどんな影響をもたらしたと考えますか。
「中道改革連合が惨敗したことが、その表れです。中道がスローガンとした『生活者ファースト』という言葉は、かつては均質な普通の日本人という実体を伴っていました。暗黙の前提として一億総中流の安定した生活があった時代には、生活者という概念が意味を持っていた」
「中道支持が比較的多かった60代以上は、製造業中心の産業構造、終身雇用、安定した社会保障といったシステムの恩恵を肌身で知る人々です。しかし、90年代以降に成人した就職氷河期世代やデジタルネイティブにとっては、『普通の日本人』と言われても、リアリティーのない神話のような世界でしょう。この現実を直視せずに『昭和の夢』を語っても、響かない」

希望がないと不満もない

2026年7月19日   岡本全勝

連載「公共を創る」第264回(7月9日)に、次のようなことを書きました。

NHK放送文化研究所が行っている「日本人の意識調査」「今の生活にどの程度満足していますか」という問いには、2024年では、満足している人(どちらかといえば満足しているを含め)が75%、不満だ(どちらかといえば不満だを含め)は24%です。かつてに比べ満足度が低下していますが、4人に3人が満足しています。

NHKのウェッブサイトに、博報堂生活総合研究所との座談会(2019年6月14日公開)が載っています。そこに、若者の生活満足度が上がっていることについて、次のような趣旨の発言があります。
・・・「今の生活に不満がある」ということは、「これから先良くなる可能性がある」ということであり、今よりもっといい生活があるという期待があると、今の生活に不足があると感じられてしまう。しかし、「将来が今より良くなるわけではない」と考えれば、今の生活に満足するしかなくなる。日本の行方や今後のくらし向きについて、「現状のまま特に変化はない」「同じようなもの」という回答が最も多くなっていることとあわせ考えると、「将来への期待がないから不満もない」と理解できるのではないか・・・

確かに、将来に希望や期待がないと、不満も生まれません。それが、この調査結果の「4人に3人が満足」の内容なら、喜べません。

日本の保守、体系的思想より国家の威信

2026年7月7日   岡本全勝

6月16日の朝日新聞オピニオン欄「そもそも保守とは」、小熊英二・慶応大学教授の発言から。原文をお読みいただくこととして。
政治的対立を「保守対革新」として分析することはよく行われます。それが当てはまる場合もあるのですが、国や時代によってその内容は異なります。日本の戦後でも、変化してきました。安易に55年体制を基礎に考えることは、もはや避けなければなりません。アメリカでは、保守党はありません。イギリスでは、長い間、保守党の対立相手は労働党でした。国際政治では、保守対革新という構図は用いられません。政治的対立を思想の対立として捉えることもできますが、多くの場合はその下部に利害の対立があります。

―高市早苗政権は「保守強硬派」とも言われます。日本で「保守」とはどう定義できるのでしょう。
「保守とは相対的なもので、地域や時代によって変わります。共通の定義はできません。例えば、アメリカやヨーロッパ、日本といった地域でそれぞれ、保守の中身や結びつく争点は異なっています」
「国際プロジェクトの『世界価値観調査』からの分析では、ヨーロッパや北米では経済的争点が左右と結びつく傾向が強かったのですが、ほかの地域は必ずしもそうでなかった。東アジアでは家族に関する争点、国家の威信に関する争点と結びつく傾向があった。そして国家の威信では、冷戦との結びつきが大きな軸だったと思います」

―どういうことでしょうか。
「韓国や台湾の政党は、『アメリカとどういう関係をもつか』『自国は(北朝鮮や中国と対比して)どういう国なのか』で二大陣営に分かれます。日本も『アメリカとどういう関係をもつか』『日本は平和国家なのか』が争点で、それが日米安保や自衛隊、憲法9条に結びついていた」
「また1950年代の保守派の改憲論は戦前志向でしたから、家族や男女平等に関わる憲法24条も関係していた。『軍隊がないと一人前の国家ではない』という発言が男性の政治家からなされることも多かった。当時の護憲論は、こうした『国家の威信』や『家族の秩序』をめぐる争いで、それが結果的に『外交・安全保障』に分類されていた」
「第2次大戦後に形成されたこの争点が60年代以降も政党間の分岐を作っていて、経済は右・左を議論する基準になっていません。どの政党も減税と財政出動をセットで唱える傾向は明治期からあり、そこは今でも変わっていない」
「そもそも自民党や社会党という戦後の主要政党は、特定の明確なイデオロギーはなかった。はっきりしたイデオロギーや組織基盤を持っていたのは共産党と公明党だけでしょう」

―「革新」「リベラル」はどうみたらいいのでしょうか。
「日本の政党政治における『リベラル』とは『非共産党・非自民党』ということであって、体系的思想はなかったと思います。ただし10~20年ほど前までは、そこに『日本は平和国家であるべきだ』という要素もあり、日本の民衆の支持を得ていた。しかし世代交代が進み、この『平和主義』への支持は減少した」
「ただし日本政治における『保守』は、それ以上に体系的思想はなかった」

日本の土地所有権の「強さ」

2026年6月9日   岡本全勝

6月3日の日経新聞中外時評は、斉藤徹弥・上級論説委員の「土地所有権は成熟に向かう」でした。

・・・近代国家制度に影響を与えた19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルは、土地はみんなの財産であり、土地の私有が許されるには、地域のみんなに便宜をもたらすことが条件になるとした。
この私的所有と公共の福祉は不可分という考え方は土地所有制度の基本になる。欧州は地域の総意で土地利用や建築を規制し、古い街並みを残してきた。日本はなぜそうならなかったのか。土地所有の歴史に詳しい松尾弘・慶大教授の解説はこうだ。

土地所有制度は個人の利益と公共の利益を調和し、土地が生む利益を最大化する。だが明治政府が地租改正で私的所有権を導入すると、公共の福祉と不可分という理解が不十分なまま、土地の取引や利用の自由化が進んだ。
土地は価値を生み、国の財政を安定させた。だが自由化の成功は規制を難しくする。公益による規制は私的所有権を外から制限するものとの理解が定着してしまった。
当時は市町村が頻繁に再編され、欧州のように地域で土地利用の計画を考える仕組みができなかったのも大きい。将来どんな土地にしたいか、理念がなければ景観は守れない。時間はかかっても地域の理念を地道に育むべきだ。

地価高騰、外国人の取得、景観・環境、空き地、所有者不明――。現代の土地問題は明治以来、市場原理では解決できず、公共の福祉が問われる事態への備えを怠ってきた帰結である。
松尾氏はこの未成熟な土地所有制度がいま、試行錯誤を経て発展してゆくプロセスに入ったとみる。公共の福祉のため土地の私的所有権を制約し、国や自治体、地域が関与を強めつつあるからだ・・・

私は、日本人は個人主義(集団より自分を優先する)の社会だと考え、その一つが土地の所有権の強さだと思います。地域のことを考えず、私権を優先します。ちなみに日本人は集団主義と言われますが、あれは嘘でしょう。同調圧力が強く、それに従っているだけと思えます。