『アジア時報』11月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第17回「大政翼賛会は雲か霧のように」が載りました。
今回は、前回に引き続き、大政翼賛会についてです。前回は設置根拠もない不思議な組織であることが書かれていましたが、終わりもよくわからないままになくなります。
最初の方で、座席表が出てきます。このようなものが残っていたのですね。現在でも各省でつくられているはずですが、公文書としては残らないでしょう。
「「タイプ」と表記されたタイピストが六人います。この人たちにタイプを打ってもらわないと文書が作れませんから、時おりはお菓子でも差し入れて顔を覚えてもらいましょう」という文章(62ページ)は、若い人にはわかりますかね。
「杉森さんの本を読んでいると、人事はあちこちからの寄せ集めで、職場には、先輩が面倒をみたり鬼軍曹が規律を守らせたりといった、 あるいは自由闊達な議論が可能、といった「社風」のようなものが存在していません。」73ページ
「団体としての設置根拠がはっきりしないままで設立され、活動してきたのですが、設置根拠が無いのですから廃止することができませんでした。無くなった日さえわからない。国家に事務を引き継いだわけでもないので、記録も文書も無く、国費補助金を使いながら、財産目録さえ残っていません。」84ページ
「けしからん組織を「お取りつぶし」にすると、その時点では厳格な対応だと喝采を博しても、責任を取って謝罪・賠償する人や失敗の経験を活かすための記録や反省が雲散霧消してしまう。ある先輩がよく言う「お取りつぶしのパラドックス」を思い浮かべてしまいます。」84ページ。
「責任を取る方法4」