カテゴリーアーカイブ:官僚論

法令通りとこれまでにないこと

2026年7月5日   岡本全勝

公務員を目指す大学生に、体験談を講義をすることがあります。その際に、公務員には、「法令通りにする仕事」と「これまでにないことを考える仕事」があることを説明すると、多くの学生が驚きます。

「法律による行政の原理」を勉強したのでしょう。もちろん、国民の権利義務に関することは、法令による必要があります。予算の執行は、議決された予算の範囲内で行わなければなりません。しかし、社会に問題が生じているときに、知らぬ顔をするようでは公務員は失格です。国民や住民の幸せために働いているのであって、機械的に法令を執行するのが公務員ではありません。
困っている住民がいるのなら、どのようにしたらそれを救えるのかを考えるのが、公務員の役割でもあります。新しく生まれる課題は、法律や予算には載っていません。改善と改革を考えなければならないのです。

「法令に書かれていません」「予算がありません」というのは、仕事をしたくない公務員が考えた「屁理屈」でしょう。
まことに便利な言葉ですが、そこで立ち止まったり、思考停止したりするのではなく、だったらどうすればよいのかを考えなければなりません。

官僚の出張哀歌が映す国力

2026年6月26日   岡本全勝

6月14日の日経新聞「風見鶏」、「官僚の出張哀歌が映す国力」から。

・・・2024年、約40年ぶりに大型の法改正をして国家公務員は気兼ねなく海外に出張できるようになったはずだった。聞こえてくるのは涙を誘う体験だ。
25年夏にパリの国際会議に出張した霞が関のある課長は施行したばかりの改正旅費法に沿ってホテルを探した。海外の宿泊費は1984年以来の改定のおかげで、課長級なら1泊3万8000円まで認められるようになった。それでも宿泊費上限を下回るものは見当たらない。会議場周辺のホテル価格は高騰していた。
出張ルールは「公務運営上支障のない範囲で検索した最も安価な施設」を選ぶと定めている。結局、片道1時間ほどの郊外から連日通うことにした。どうしても近場に泊まる必要があった同僚は安価なカップル用のホテルを選ばざるを得なかった。「職員の持ち出しを防ぐ」とうたう法改正の理念とほど遠い現実だった。
国内出張でも官僚の哀歌はやまない。国内外から2900万人を集めた2025年の大阪・関西万博。当時、課長級が大阪で認められた宿泊費は1泊1万3000円まで。カプセルホテルや風呂なしの宿を利用するしかなかった職員がいた。
別の官僚は「土日を含んだ連泊は基準額を大幅に超える。途中でホテルを移動しなければならなかった」と打ち明ける。

公務員の経費は税金が原資だ。過剰な支出は厳に慎むべきだが、ほとんどの公務員はぜいたくを望んでいるわけではない。哀歌の裏には円安や物価上昇の勢いに基準額の改定が追いつかない実態がある。
HISの出張費に関する調査によると25年のパリの主要ホテルは1泊平均6万382円で、24年の4万6039円から3割も上がった。法改正で宿泊費用を実勢価格並みに合わせたものの、1泊3万8000円という基準との差は広がるばかりだ。

単なる宿泊代の問題とみていいのだろうか。円安に代表される国力の衰退を直視すべきではないか。
円安は13年ごろに始まったアベノミクス以来の長期の趨勢だ。民主党政権で1ドル=70円台まで付けた円相場は足元で160円近辺まで下落している。日米の金利差や潜在成長率の低さを解消しないまま、為替介入といった対症療法で流れを変えるのは難しい。
政も官も現状から目を背けているように映る・・・

国会議員事務所への紙資料配布取りやめ

2026年5月29日   岡本全勝

5月27日の読売新聞に「国会議員事務所への「紙資料」配布取りやめ、小泉防衛相「時代遅れ」…これまではHPの発信内容も届ける」が載っていました。

・・・小泉防衛相は26日の記者会見で、防衛省職員による国会議員の事務所への資料配布を取りやめたことを明らかにした。職員の負担軽減が目的で、小泉氏は省庁の国会対応などの業務について「時代遅れになっている。一つ一つ業務改善につなげたい」と述べた。
これまでは同省のホームページなどで発信した内容についても、職員が東京・市ヶ谷の防衛省から永田町の議員会館に紙の資料を届けていた。休日や祝日に資料を配ることもあったといい、職員から改善を求める声が出ていた。
今月中旬に開かれた小泉氏と職員との意見交換の場で同様の意見が出たため、小泉氏が取りやめを決めた。同省文書課は「議員からの個別の問い合わせなどには、引き続きしっかり対応する」としている・・・

まだ、こんなことをやっていたんですね。ほかの省庁は、どうなっているのでしょうか。
私が現役の時は、分厚い資料、白書などを届けていました。でも、国会議員全員に配っても、ほとんど読まれません。それに目を通していたら、いくら時間があっても足りません。欲しい人だけ、紙資料を請求すれば良いことです。

官僚のやりがいをなくす要素

2026年5月8日   岡本全勝

近年、官僚のやりがいが小さくなったと聞きます。現役幹部に聞くと、その一つが、新しい政策への挑戦がなくなったことだそうです。そうですね、官僚を志す人たちは、決められたことを処理するのではなく、新しいこと、社会の課題と取り組むことを望んで、この職業を選んだ人が多いでしょう。「定例と企画、異なる仕事

ところが、新しい政策に取り組む機会が減ったようです。私が考えるその理由は、次の通り。
1 日本が成熟社会になって、一通りの行政サービスをそろえたこと。
とはいえ、次々と新しい課題は生まれています。
2 予算要求枠の制限(概算要求基準、シーリング)が厳しく、新しい政策を考えることが難しいこと。
多くの場合、前年同額または前年度以下です(物価上昇分を加味することもあり)。新しい政策を要求するには、既存予算を削減しなければなりません。しかし、30年以上続くシーリングで、削減できそうな予算は、もはやありません。
3 仕事が忙しく、新しい政策を考える余裕がないこと。職員数は削減されたのに(近年は少し増えています)、仕事の量が増えていること。

2と3は、行政改革を長年続けた代償です。官も民も縮小思考になり、発展がなくなりました。

官僚は国家を考えることができるか

2026年5月5日   岡本全勝

連載「公共を創る」第253回「政府の役割の再定義ー官僚に仕事をさせるために」(3月26日号)で、各省各局の分担管理に収まらない新しい課題をどのように官僚機構が取り上げるのか、全体を見る仕組みが必要であることを主張しました。
しかし、ここに一つ難しい問題があります。明治から昭和後期まで、官僚が存分に力を発揮し、日本の発展に貢献しました。それは分担管理原則に沿って、各官僚と各局が所管行政を整備拡充したからです。発展期には、部分最適が全体最適になりました。もちろん、すべての部門が同じように拡大したのではなく、濃淡はありました。

ところが発展期が終わると、限られた資源(予算や人材)を配分するのに優先順位をつけなければなりません。部門によっては、縮小や廃止もあります。これは、分担管理原則ではできないことです。そこで、これまでに取られた手法は、一律削減です。
また、これまでにない分野に仕事を広げなければならないこともあります。それが「楽しいこと」ならよいのですが、「嫌なこと」「難しいこと」なら、既存組織は手を出しません。また、それらにつぎ込む資源を生み出すために、既存予算を削減することにも抵抗します。

全体を見渡して、優先順位をつけること。そのような部門をつくり、役割を与えれば、官僚は案を作ることはできます。しかし、民主主義では、その決定は官僚にはできないことで、政治家の仕事です。他方で、政治家は各種の利益団体を代表しています。ここにも、難しさがあります。
部分ではなく、全体を考える官僚をどのように育てるか。そのような組織と仕組みをどのようにして組み込むか。それが課題です。

同じことは、会社員にも言えます。それぞれが、自分の部門の業績拡大を考えていると、拡大期にはよいのですが、選択と集中をしなければならないときには、縮小の判断ができません。「新・官僚の類型