カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載執筆、主題が繰り返される

2026年10月18日   岡本全勝

「連載「公共を創る」を本にすると2」の続きにもなります。

連載を読んでいただいている方は、お気づきのことと思います。同じ話題が、しばしば出てきます。官共業三元論、社会的共通資本、この国のかたち、成熟社会の課題・・・。
全体の構成は執筆前に考えてあって、それに従って文章を書いています。しかし、主題を念頭に、さまざまな角度からそれを説明しているので、どうしても同じ話題が出てくるのです。単行本なら「××ページ参照」と書けば省略できるのですが、連載の場合はそうもいきません。
さらに連載が7年にもなり、同じ話題なのに状況が変わっているものもあります。例えば労働の形の変化で転職が増えたことです。

他方で、「これは以前にも書いたよな」と思っても、探すのに苦労する場合があります(反省)。
4月から「これまでの振り返り」を書いていて、「違った角度からの同じ話題の説明」が明確になりました。

連載「公共を創る」第274回

2026年10月15日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第274回「これまでの議論ー新しい課題に対応する行政への転換」が発行されました。
政府・市場・社会三元論で見ると、政府と市場との関係も「市場への介入」とは違ったものが見えてきます。政府は市場に対し、経済活動が機能する基盤整備や市場経済の欠陥の是正とともに、国民の生活を守り向上させるため、規制をかけ誘導をします。ここでは、長期にわたる経済停滞に関連した産業政策について述べます。

産業政策は明治以来、国を豊かにするという国家目標に向けた政府の主要な政策でした。政府がもたらす新しい知識や、業界の競争と保護を兼ね合わせた行政指導と民間の努力により、産業化と高度化に成功しました。日本は、優れた産業政策によって世界の最先端を行く経済大国になり、目的を達したのです。他方で、1980年代から西欧先進国で始まった新自由主義的改革を日本も採用し、「官から民へ」「小さな政府」へと舵かじを切りました。そこには、民営化などの官の改革のほかに、規制改革、事前調整から事後監視への転換など統治手法の変更も含まれていました。
こうして、政府の産業政策は縮小されました。ところが世界では、先進国も後発国も産業政策に力を入れていたのです。
「骨太の方針2026」(7月21日閣議決定)では、「主要先進国では、官民が連携して大規模かつ長期的な財政支出を伴う産業政策が大きな潮流。経済財政運営の在り方そのものに関するコペルニクス的転回であり、我が国も、こうした時代の変化を踏まえた国家運営が求められている」と方向転換が示されました。

これまで、政府・市場・社会三元論では企業がその活動を通じて世の中を支えていると説明しました。各種のサービスを提供するとともに、働く場を提供することによってです。そして生活者の側からも、安心の基礎には働く場の提供による雇用があります。企業は、経営と引き換えになっているはずの雇用の提供と所得の保障という役割を、十分には果たさなかったのです。

振り返ってみると、どこかで発想の転換はできなかったのでしょうか。それは、企業が新しい分野への投資をし、安定した雇用と給与を確保することと、政府も予算と人員の削減ばかり続けないよう軌道修正することです。もちろん、業績の悪い企業にそれを期待することは無理ですが、政府が何らかの手を打つことはできなかったのかという疑問は生じます。政府がなさねばならなかったのは、そのような発想の提示であり、自らの実行と企業への支援だったのではないでしょうか。

官共業三元論では、政府・市場・非営利活動の3部門が国民にサービスを提供します。その前に課題を見つけることがあります。これについても、三つの部門に属する主体がそれぞれ、あるいは協力し合って、世の中の課題を見つけ、対策を考えることになります。
NPOが困った人を支援し、世の中の課題に取り組んでいます。なぜ行政には孤立防止や子ども食堂への取り組みができなかったのでしょうか。非営利活動家の感度の良さと熱意の強さに、公務員たちが負けているのではないでしょうか。

連載「公共を創る」第273回

2026年10月8日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第273回「これまでの議論ー「提供」から「保障」へ変わる政府」が発行されました。公私二元論でなく、政府・市場・社会三元論で捉えるべきという話を続けます。

連載第146回では、サービス提供について、二元論と三元論とで見え方が違うことを模式図で説明しました。公私二元論では、公共サービスは政府が提供し、私的サービスは企業が提供します。民間委託が進められると、政府が企業などを活用する状態が現れます。
官共業三元論では、政府部門(行政)、市場部門(企業)、非営利部門(NPOなど)の3部門がそれぞれ得意なものを住民に提供します。ここでは、公的サービスと私的サービスの区別はなくなっています。そして3部門の上に、政府がもう一度出てきます。政府のここでの役割は、3部門へのルールの設定、誘導、監視です。公共的なサービスを民間主体も行うことから、継続的に安全で公平に提供されるよう、ルールを定めておくことが必要になります。このルール設定とその適正な運用がなされているかの監視が、ここでの政府の任務です。

次に、政府の役割が、福祉提供国家から安心保障国家へ転換しつつあることを述べました。この表現には、「福祉から安心へ」という目標の変化と、「提供から保障へ」という手法の変化の二つを含んでいます。
福祉から安心へという目標の変化は、「人間らしい生き方への被害」という新しいリスクへの対応を意味します。西欧近代国家は「安上がりの政府」「夜警国家」から出発し、「積極国家」「サービス国家」に転換し、さらに「福祉国家」と呼ばれるようになりました。本稿では、福祉国家からさらに「安心国家」に変化しつつあると考えています。国家の主な役割が、福祉の提供から安心の提供へと変化しているという認識です。もちろん、福祉サービスが減るのではありません。安心国家は、夜警国家の治安、福祉国家の豊かさに加えて、生活や人間らしさを含めて安心の範囲を広げるものです。
提供から保障へという手法の変化は、政府が自らサービスを提供する方式から、政府がサービスの継続的な提供と質に責任を持ち、その実施については民間を利用する方式への変化です。

連載「公共を創る」第272回

2026年10月1日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第272回「これまでの議論ーサービス提供での三元論」が発行されました。

公私二元論では、公益を担う政府と私益を追求する企業が異なる論理で世の中を支えています。それに対し、政府・市場・社会三元論では、三つの領域はそれぞれに得意な分野がありますが、相対立するものではなく協働して世の中を支えていると考えます。企業は私益を追求するだけでなく、その活動を通じて世の中を支えています。前回は東日本大震災での例を挙げて説明しましたが、もう一つの例として、助け合いの仕組みである保険を取り上げました。

第145回の図表「官の提供、民の提供」で、どのようなモノとサービスを、政府、企業、NPOが提供しているのかを、分野ごと(安全、教育・文化、福祉・衛生、社会資本・交通・通信、産業、その他)に、代表的な事業を挙げて分類しました。これを見ると、たくさんの分野で三つの部門が同じようなサービスを提供していることが分かります。
例えば教育では、幼稚園、小中学校、高校、大学は、国公立(独立行政法人を含む)と、私立(学校法人)が存在しています。医療にあっても、同様です。介護保険サービスは民間に開放され、自治体のほかに企業やNPOが担っています。

経済学や行政学の教科書では、行政が提供する公共サービスと、企業が提供する民間サービスとは異なるものと説明されます。しかし、事業主体による区分はあまり有効ではありません。そのことを明るみに出したのは、民営化です。「小さな政府」を目指し、またサービス向上のために、官が担っていた業務を民間に移したり、民間に開放したりしたのです。それらが問題なく進み、公共サービスが特殊であると言えなくなりました。
これらを見ると、利用者にとって重要なのは誰が担うかではなく、サービスの継続的な提供と、一定以上の質が確保されることです。すると、行政の役割は、そのままでは企業が提供しない、しかし必要なサービスをどのように提供するかということとともに、国民生活に重要なサービスについては、提供主体は私企業であれ、NPOであれ、役所であれ、継続性と安定性を保障し、価格や品質の妥当性を監視することの2点になるでしょう。

連載「公共を創る」第271回

2026年9月24日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第271回「これまでの議論ー「政府・市場・社会」の三元論」が発行されました。

豊かな社会を実現したら、「人間らしい生き方への被害」という新しい弱者が発見されたことについて論じています。極めて簡単にまとめると、19世紀には労働者を発見し、次に働けない人たちを、20世紀後半に消費者を、21世紀には社会生活において自立できない人を発見したと言えるでしょう。近代の行政の歴史は、弱者を発見し、それに対する救済の方法をつくってきた歴史です。ところが「人間らしい生き方への被害」の対策は政府と個人との関係の転換を求めています。それは、憲法にも及ぶ大きなものです。

近代市民社会の考え方は、自由権を保障することが政府の役割から出発し、その後、自立できない人生活を保障することが、政府の役割に加わりました。社会権です。現在の憲法学は、この異質な二つの思想を同居させ、「接ぎ木」しています。
しかし、引きこもり、若年無業者、うつ病や自殺の増加といった孤独・孤立問題への支援は、この自由権と社会権という二つの論理には収まらないのです。支援を求める人たちは、国家に対して「××が不足しているので支援してほしい」とは主張しません。その人たちへの支援は彼ら自身の国家への請求権によるものではないのです。

近代市民社会の理想は自由な個人でしたが、後期近代には自由の進展により、孤独・孤立からくる問題が噴出してきました。それは、孤立している個人の生活の不安だけでなく、アメリカに見られるように人々を分断し共同体を壊すことによって、国家としての政治的統合や、社会の安定をも揺るがしています。
社会的包摂には、国民自身の意識と行動が必要です。社会から一部の人たちを排除しているのは、周囲の国民なのです。ここにあるのは、政府対国民の対立の構図ではなく、社会とそれをつくっている大多数の国民と、何らかの理由でそれに入れない少数派の対立です。

続く「第4章 政府の役割再考」「2.社会と政府」(第97〜150回)では、これらの変化を念頭に、これからの政府の役割を検討するために、社会と政府の関係を見直しました。
「政府対国民」では対応できない課題も、世の中(広義の社会)は「政府・市場・社会(狭義の社会)」の三つからできている、と考えると分かりやすいです。そして、企業は私益を追求するだけでなく、その活動を通じて世の中を支えているのです。それは、慈善活動などの社会貢献ではなく、企業活動そのものが果たしている役割です。