カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

令和2年の回顧1、復興

年末になったので、今年も回顧を始めましょう。第1回は、復興についてです。

岩手県と宮城県では、計画されていた災害公営住宅と宅地造成が完成しました。道路などのインフラもほぼ完成し、その点では復興はできました。街のにぎわいを取り戻すことなどが残っています。「10年間の道のり」。なお、応急仮設住宅に住んでいる人は、全国で約2千人です。
福島では、3月に常磐線が全通し、あわせて双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域の一部(復興拠点の一部)について避難指示を解除しました。避難指示解除準備区域、居住制限区域はすべて解除され、帰還することが困難としていた帰還困難区域でも復興作業が進められています。新しい段階に入っています。帰還困難区域は放射線量が高く「当分の間は帰還ができない」と宣言した区域ですから、そう簡単に事業が進むわけではありません。「福島復興加速の取り組み

あと3か月で、10年の節目を迎えます。当初は先が読めず、まさに腰だめの数字で、最初の5年と次の5年で10年という期間を設定しました。
がれきが散乱している津波被災地では、がれき片づけに何年かかるかわからず、いつになったら復興するか、どのように復興するかの絵も描けませんでした。5年目くらいに先が見通せるようになり、結果として10年という期間は当たっていました。

福島については、放射線量の減衰がわからず、いつになったら帰還できるかがわかりませんでした。放射線量の高さに応じて、3つの区域に分けて作業をする(賠償を払う)こととなりました。
想定より放射線量の減衰が早く、解除準備区域(緑色)と居住制限区域(黄色)は、10年で避難指示が解除できました。うれしい想定外で、帰還が困難とした帰還困難区域(赤色)も、一部ですが解除の見通しができました。

私は、9月に内閣官房参与、福島復興再生総局事務局長を退任し、11月には復興庁顧問も退任しました。大震災の被災者支援に参画してから9年半でした。
「来年3月まで勤めれば、ちょうど10年なのに、なぜ辞めたのですか」という指摘もいただきました。私も、10年の区切りを念頭には置いていたのですが。9年も従事したことを褒めてください。
役所の組織は、職員が変わっても事務が同じように進むことを想定しています。「あの人でなければ」という評価はありがたいのですが、個人の能力に依存した組織は、長期的には弱い組織です。

なお、このホームページでの分類(カテゴリー)の「災害復興」は、「歴史遺産」に移し替えます。このあとの災害復興の記事は、「復興10年」という新しい分類に引き継ぎます。

帰還困難区域の一部を除染せず避難指示解除

12月26日の各紙が、「政府が、住む見込みのない地域について、除染せず避難解除を決定した」と伝えていました。
「東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示の解除について、政府の原子力災害対策本部(本部長・菅義偉首相)は25日、除染をしていない地域でも解除できるようにする新たな方式を正式に決めた」(朝日新聞、大月規義記者)。

・・・いまの解除の要件は、(1)線量が年20ミリ以下に低下(2)インフラ整備と除染が十分進む(3)地元と十分協議する――の三つ。新方式では、このうち(2)を変更し、土地を活用する自治体などが、地表をアスファルトで覆う造成や、線量計を貸し出すなどの被曝対策を実施することを要件にした。これにより、多大な費用と時間のかかる除染なしで避難指示を解除できるようにした。解除後は人が自由に出入りしたり、事業を営んだりすることができる。
ただ、新方式の適用にあたっては、地元自治体が避難指示の解除後に公園や産業団地などとして使いたいという具体的な利用計画や要望があることや、解除後に人の居住が想定されていないことが前提となる。除染を必要とする従来の解除方式も維持し、どちらを選ぶかは自治体に任せる・・・

この報道の通りなのですが、少し補足しておきます。
原発事故による放射線量の高い区域を、政府(原子力災害対策本部)は、3つの区域に分けました。放射線量が低く早く帰還できる区域(避難指示解除準備区域、緑色)、少々放射線量が高く除染をして帰還を目指す区域(居住制限区域、黄色)と、放射線量が高く当分の間帰還ができない区域(帰還困難区域、赤色)です。

このうち、解除準備区域と居住制限区域は、既に避難指示を解除しました。その際に、放射線量が高い区域は除染をしましたが、山林については除染をせず、放射線量が低いことを確認して、避難指示を解除しました。「除染をせず避難指示を解除すること」は、今回が初めてではないのです。
なお、当分の間帰還できないとした帰還困難区域について、帰還のための作業をしていることについては、別途解説しましょう。

被災地、宅地造成完了

12月22日の日経新聞夕刊が「東日本大震災被災3県の宅地整備が完了 1万8000戸分を造成」を伝えていました。

・・・東日本大震災の津波で壊滅的な被害が出た岩手県陸前高田市は、被災者が住宅を再建するためにかさ上げした宅地の造成を終えた。22日までに引き渡し手続きを開始。これにより岩手、宮城、福島3県で計画されていた1万8227戸分の宅地整備が震災10年を前にようやく全て完了した。
被災3県で、津波で浸水した地域のかさ上げや高台移転で整備した宅地の内訳は、岩手7472戸、宮城8901戸、福島1854戸。宮城県と福島県では、今年3月に完了していいる・・・

宅地の上に各人が住宅を建てるので、住宅の完成はまだ少し先です。

糸魚川大火から4年

12月22日の日経新聞夕刊が、「糸魚川大火4年 住民4割戻らず 事業所再開も低調 高齢化や後継不足」を伝えていました。
・・・2016年12月に新潟県糸魚川市で108世帯223人が被災した大火で、住民の居住先がほぼ決まった結果、約4割が被害に遭った地域に戻っていないことが22日までに、市への取材で分かった。被災地内で再開した事業所数が半数以下にとどまったことも判明。いずれも高齢化や後継ぎ不足が原因とみられ、復興が一定の区切りを迎える中で、全国の地方都市に共通する問題が浮かび上がってきた・・・

東日本大震災の被災地でも、住民の帰還が進まず、人口減少に悩んでいます。町の再建が遅れた地域ほど住民の戻りが遅いという実態があるのですが。この記事にあるように、地域の社会・経済的条件がより重要です。働く場があるか、若者が帰ってくるかです。
津波被災地でも、住民の戻りは一律ではないのです。宮城県では、仙台市とその周辺は人口が増えています。そこから遠くなるほど、人口の減少は大きいです。
災害を機に人口減少が加速したことは間違いありませんが、三陸沿岸ではそれまでの10年間でも10%人口が減っていたのです。
住民が戻るかどうか。それは災害の大小以上に、社会・経済条件によります。例えば(起こってもらっては困りますが)東京近辺で災害が起きたと想定すると、たぶん町の復旧とともに、人は戻ってくるでしょう。

浪江復興米の販売

12月19日のNHKニュースが、「福島 浪江町 10年ぶりに収穫「復興米」の販売会」を伝えていました。はめ込まれた映像を、ご覧ください。

・・・東日本大震災の津波と原発事故で大きな被害を受けた福島県浪江町で、ことし、震災後初めて沿岸部で収穫されたコメの販売会が行われました。
浪江町は、震災の津波で大きな被害を受けたほか、原発事故で町の全域に避難指示が出されました。
町の沿岸部では3年前に避難指示が解除されましたが、農地の復旧に時間がかかり、宮城県から進出した農業生産法人がことしの春になって地元の農家から借りた水田およそ24ヘクタールでコメ作りを再開しました。
19日は、この秋、10年ぶりに収穫されたコメを味わってもらおうと町内の道の駅で販売会が行われ、栽培した福島県のオリジナル米「天のつぶ」を「浪江復興米」と名付けた2キロ入りの50袋が店頭に並べられました・・・
英語ニュースでも、伝えられています。

浪江町での米作りは、このホームページでも何度か紹介しました。「稲刈り」。
映像には、被災直後の風景も写っていて、黄金色の田んぼと比べ、感慨無量です。関係者の皆さん、ありがとうございます。