カテゴリーアーカイブ:世界

フランスで、ビール消費量がワインを抜く

2026年9月21日   岡本全勝

9月12日の日経新聞夕刊に「フランスでワイン離れ鮮明 ビールと消費量逆転、好みも多様化」が載っていました。
・・・「フランス人はワイン好き」というイメージが崩れつつある。2025年の国内消費量は初めてビールを下回った。食前酒の選択肢が多様化するほか、種類の複雑さが若者を遠ざけている。消費者ニーズを反映した新形態の製品も生まれているが、普及に向けた壁は高い・・・

記事によると、2025年のフランス国内のワイン消費量は、21億9650万リットル、ビールの消費量は22億1000万リットルで、わずかにビールが上回りました。15歳以上人口で割ると、年間1人当たり39.7リットルで、日本の3リットルの約13倍です。
なお、生産量に占める輸出割合は、イタリア47%、スペイン68%、フランス35%だそうです。

ボトルのワインは栓を開けると、飲みきらなければなりません(酸化が進む。コルクの栓で締めることありますが)。料理店や家庭で飲むときは、数人で飲みます。酒を飲まない人が増え、嗜好が多様化すると、一人で1本飲まなければなりません。そこで、箱入りのワインが売られているとのことです。量が減ると袋もしぼんで、酸化を防ぐのだそうです。日本の醤油容器にもありますね。

フランスでは、ワインとビールを好む人は減って、カクテルが増えているそうです。しかし、ビールに抜かれるとは。ビールはアルコール度が低くて、飲みやすいこともあるのでしょうか。私も夏はビールです。

「欧米に学べ」「アジアに遅れるな」2

2026年9月5日   岡本全勝

「「欧米に学べ」「アジアに遅れるな」」の続きです。
櫻井泰典・前自治体国際化協会シンガポール事務局長が、月刊『地方財務』に「シンガポールの公共政策」を連載しています。8月号で17回になります。小さな国家であり、建国から半世紀あまりの国ですが、1人当たり所得では日本よりはるかに高い国です。
条件に恵まれない国が、どのように豊かな国になったか。日本が学ぶことも多いようです。ところが、日本では欧米には大きな関心を持って、事例を紹介するのですが、アジア各国についてはそうでないようです。

最近の連載では、多文化共生政策(2026年5月号)と、製造業振興(6月号)が勉強になります。
多民族で多宗教、多言語。建国時にはその対立で暴動も起きています。人種対立や宗教をあおる行為が法律で禁止され、選挙や住宅などで調和を進める政策が取られています。
小さな都市国家で面積も人口も限られているのに、製造業が強いのです。生産物の内容は、時代とともに変化しています。それに成功したのです。

「欧米に学べ」「アジアに遅れるな」

2026年9月2日   岡本全勝

明治以来日本は、多くの面で「欧米に学び、追いつけ追い越せ」を国是としてきました。国民の努力によって、特に高度経済成長で経済的に追いつき追い抜き、産業、教育、行政などでも追いついたと思いました。もちろん「輸入し揃えた」のは制度などで、運用は異なっていることも多かったです。

ところが、バブル経済崩壊後の長期停滞で経済が停滞し、他方でアジア各国の追い上げによって、追いつかれ追い抜かれました。すると、次の標語は「アジアに遅れるな」でしょうか。
「輸出額、韓国と台湾に抜かれる」「電柱王国日本」「ビッグマック指数」

第二世界の消失

2026年8月8日   岡本全勝

7月30日の朝日新聞オピニオン欄、鶴見太郎東大准教授の「公正掲げた、第二世界どこへ」から。このような見方もできるのですね。経済成長は、政治や政治的主張も変えてしまいました。

・・・冷戦全盛期、「第一世界」「第二世界」「第三世界」という世界の分け方があった。それぞれ、アメリカ中心の資本主義陣営、ソ連中心の社会主義陣営、発展途上国を多く含む非同盟諸国が相当していた。現在、概して「第三世界」は「グローバルサウス」に置き換わり、「第一世界」は「先進国」「西側」などと呼ばれる。では、「第二世界」はどこに行ったのか。

第一世界と第二世界は、第三世界からの支持獲得をめぐって競っていた。ソ連はより公正な近代社会や反植民地主義を理念として掲げ、人種差別を批判した。それは、アメリカが黒人差別を改善するきっかけの一つとなった。また、社会主義的な分配政策や生活の保障は、資本主義陣営の福祉に対する意識をさらに高めた。
第二世界は、第一世界に対する批判意識の半面で、工業的近代化への強烈な憧れも有していた。国家主導で工業化を推進したことで、短期間で第一世界に匹敵する成長率を達成した。「人種」にかかわらずいかなる人間も進化しうるとの信念から教育も整備し、第三世界の独立支援も行った。植民地が多く残っていた当時、それは第三世界諸国を引きつけていった。
しかしまさにそのことが、第二世界を不利にした。経済水準が向上し、衣食住の不安が低減したことで、人びとの欲望は次の段階に移行した。社会主義は重工業では実績を上げたが、次の段階である個人主義的な消費社会に必要な小回りが不得意だったのだ。また、植民地は次々に独立した。第二世界はその目標を達成したことで消滅したともいえる。その後は陣営の維持が自己目的化し、理念は形骸化した・・・

・・・では、日本国内で「第一世界的なもの」に対抗した「第二世界的なもの」はどこに行ったのか。大枠では後継勢力といえる左派・リベラル勢力は、国内問題を主な関心として、外交政策に関しては、日米同盟を基軸とする保守勢力との差が見えにくくなった・・・

アメリカ、自由主義の失敗?

2026年8月1日   岡本全勝

7月4日の朝日新聞オピニオン欄に、パトリック・デニーンさんの「米国、思想の地殻変動」が載っていました。

・・・4日に建国250年を迎える米国。その国家の背骨ともいえる自由主義は失敗したのだ――そう説くのが、米国のポスト・リベラル思潮を先導する政治学者で、バンス副大統領の思想的支柱とも目されるパトリック・デニーン氏だ。初来日を機に語った、トランプ政権の背後にある米国思想の地殻変動とは。

―2018年の著書「リベラリズムはなぜ失敗したのか」は大きな反響を呼びました。いわゆる左派リベラルに限らない「自由主義」の失敗を論じていますが、どういうことでしょうか。
「自由主義が危機に瀕しているのは、その理念を実現できなかったからではありません。むしろ、完全に成功したからこそ失敗したのです」
「過去数十年間、米国の左右両派は、まるで共犯関係にあるかのように『個人の解放』を推し進めてきました。左派は社会や文化の面で、右派は経済の面で。それぞれ、伝統や地域共同体のくびきから、個人を切り離すことを優先課題としました」
「民主、共和の両党が自由主義を訴え、米国民には事実上、それ以外の選択肢がありませんでした。その結果、かつて健全だった中産階級や地域社会は破壊され、歩いて生活できる安全な街はぜいたく品となり、私たちは、歴史上最も孤独な社会を生きています」

―あなたの批判の対象は、現代の自由主義にとどまりません。
「米国の自由主義は、1776年の独立宣言や合衆国憲法から始まったのではありません。それ以前の17世紀、プロテスタントと共に英国から新大陸に渡った個人主義、神との一対一の契約という宗教観……建国の父たちは、それを明文化したにすぎません。問題は『個人と国家の二項対立で世界を考える人間観そのもの』にあり、ここから見直す必要があります」

―現実の地殻変動を、どう捉えていますか。
「トランプ現象は、政治的病理の原因ではなく、必然的な症状です。左右のエリート層から見捨てられ、経済的な新自由主義も社会的な進歩主義も望まない労働者の、深い絶望があった。トランプ氏自身は明確な哲学を持ちませんが、直感で訴え、既存システムの『壊し屋』と期待されたのです」

―米国の保守陣営内の変化はどうでしょう。米国で主流のプロテスタントの中で保守色の強い、福音派も注目されています。
「過去数十年間、福音派は家族の価値観を掲げつつ、新自由主義経済と結びついてきました。これは、新自由主義のエリートが宗教右派をつなぎ留めるために取引した結果でした」
「しかし、米連邦最高裁が22年、人工妊娠中絶の権利を認めた判決を破棄したことで、彼らは追い続けたかった目標が実現してしまい、どうしていいか分からない状態に陥っています。中絶問題は、保守連合の接着剤としての機能を失いつつあります。反共産主義でまとまっていたレーガン保守連合が、ソ連崩壊で目標を見失ったのに似ているかもしれません」

―あなたが、宗教と政治が一体化した「神権政治」を目指していると警戒する声もあります。
「私が求めているのは、国家と教会の統合ではなく、『文化としての宗教の公的な承認』です。行き過ぎた個人主義や物質主義に対する防波堤として、宗教の文化的なプレゼンスを取り戻すことを主張しているのです。税金を特定の宗教に回さないといった政教分離の伝統は、私も完全に受け入れています。しかしそれと同時に、米国には公的なキリスト教の長い伝統も存在してきました。政教分離と、社会における宗教の文化的な存在感は別物なのです」

―危機意識は分かりました。ではどのように崩壊した共同体を再建し、自由主義に代わる「共通善」を社会に取り戻すのですか。
「もはや自然発生的な回復を待つことはできません。火災報知機の非常ボタンを押す段階です。具体的にはまず、生活圏レベルの自治の再生。家族、地域共同体、中間集団の再建です。自由主義によって破壊された、個人と国家の間にあった、人が人として育つ場所を取り戻すことです。そして、民衆を見下すエリートでも、方向性を失うただのポピュリズムでもなく、民衆の伝統と常識に深く根ざした新しいエリート層を意識的に育てることです」
「歴史上、時代の根本的危機と出合うかたちで、新しい秩序のビジョンを描く思想家が現れてきました。私たちはそうした思想が必要な時代を生きています。しかし、私自身にできることは新しい共通善を規定することではなく、人々に建物が燃えていると知らせ、避難経路を示すことです。そのあとに何を建てるべきか、その叙事詩的なスケールの仕事は、おそらく若い世代が引き受けるべきではないでしょうか」