カテゴリーアーカイブ:世界

第二世界の消失

2026年8月8日   岡本全勝

7月30日の朝日新聞オピニオン欄、鶴見太郎東大准教授の「公正掲げた、第二世界どこへ」から。このような見方もできるのですね。経済成長は、政治や政治的主張も変えてしまいました。

・・・冷戦全盛期、「第一世界」「第二世界」「第三世界」という世界の分け方があった。それぞれ、アメリカ中心の資本主義陣営、ソ連中心の社会主義陣営、発展途上国を多く含む非同盟諸国が相当していた。現在、概して「第三世界」は「グローバルサウス」に置き換わり、「第一世界」は「先進国」「西側」などと呼ばれる。では、「第二世界」はどこに行ったのか。

第一世界と第二世界は、第三世界からの支持獲得をめぐって競っていた。ソ連はより公正な近代社会や反植民地主義を理念として掲げ、人種差別を批判した。それは、アメリカが黒人差別を改善するきっかけの一つとなった。また、社会主義的な分配政策や生活の保障は、資本主義陣営の福祉に対する意識をさらに高めた。
第二世界は、第一世界に対する批判意識の半面で、工業的近代化への強烈な憧れも有していた。国家主導で工業化を推進したことで、短期間で第一世界に匹敵する成長率を達成した。「人種」にかかわらずいかなる人間も進化しうるとの信念から教育も整備し、第三世界の独立支援も行った。植民地が多く残っていた当時、それは第三世界諸国を引きつけていった。
しかしまさにそのことが、第二世界を不利にした。経済水準が向上し、衣食住の不安が低減したことで、人びとの欲望は次の段階に移行した。社会主義は重工業では実績を上げたが、次の段階である個人主義的な消費社会に必要な小回りが不得意だったのだ。また、植民地は次々に独立した。第二世界はその目標を達成したことで消滅したともいえる。その後は陣営の維持が自己目的化し、理念は形骸化した・・・

・・・では、日本国内で「第一世界的なもの」に対抗した「第二世界的なもの」はどこに行ったのか。大枠では後継勢力といえる左派・リベラル勢力は、国内問題を主な関心として、外交政策に関しては、日米同盟を基軸とする保守勢力との差が見えにくくなった・・・

アメリカ、自由主義の失敗?

2026年8月1日   岡本全勝

7月4日の朝日新聞オピニオン欄に、パトリック・デニーンさんの「米国、思想の地殻変動」が載っていました。

・・・4日に建国250年を迎える米国。その国家の背骨ともいえる自由主義は失敗したのだ――そう説くのが、米国のポスト・リベラル思潮を先導する政治学者で、バンス副大統領の思想的支柱とも目されるパトリック・デニーン氏だ。初来日を機に語った、トランプ政権の背後にある米国思想の地殻変動とは。

―2018年の著書「リベラリズムはなぜ失敗したのか」は大きな反響を呼びました。いわゆる左派リベラルに限らない「自由主義」の失敗を論じていますが、どういうことでしょうか。
「自由主義が危機に瀕しているのは、その理念を実現できなかったからではありません。むしろ、完全に成功したからこそ失敗したのです」
「過去数十年間、米国の左右両派は、まるで共犯関係にあるかのように『個人の解放』を推し進めてきました。左派は社会や文化の面で、右派は経済の面で。それぞれ、伝統や地域共同体のくびきから、個人を切り離すことを優先課題としました」
「民主、共和の両党が自由主義を訴え、米国民には事実上、それ以外の選択肢がありませんでした。その結果、かつて健全だった中産階級や地域社会は破壊され、歩いて生活できる安全な街はぜいたく品となり、私たちは、歴史上最も孤独な社会を生きています」

―あなたの批判の対象は、現代の自由主義にとどまりません。
「米国の自由主義は、1776年の独立宣言や合衆国憲法から始まったのではありません。それ以前の17世紀、プロテスタントと共に英国から新大陸に渡った個人主義、神との一対一の契約という宗教観……建国の父たちは、それを明文化したにすぎません。問題は『個人と国家の二項対立で世界を考える人間観そのもの』にあり、ここから見直す必要があります」

―現実の地殻変動を、どう捉えていますか。
「トランプ現象は、政治的病理の原因ではなく、必然的な症状です。左右のエリート層から見捨てられ、経済的な新自由主義も社会的な進歩主義も望まない労働者の、深い絶望があった。トランプ氏自身は明確な哲学を持ちませんが、直感で訴え、既存システムの『壊し屋』と期待されたのです」

―米国の保守陣営内の変化はどうでしょう。米国で主流のプロテスタントの中で保守色の強い、福音派も注目されています。
「過去数十年間、福音派は家族の価値観を掲げつつ、新自由主義経済と結びついてきました。これは、新自由主義のエリートが宗教右派をつなぎ留めるために取引した結果でした」
「しかし、米連邦最高裁が22年、人工妊娠中絶の権利を認めた判決を破棄したことで、彼らは追い続けたかった目標が実現してしまい、どうしていいか分からない状態に陥っています。中絶問題は、保守連合の接着剤としての機能を失いつつあります。反共産主義でまとまっていたレーガン保守連合が、ソ連崩壊で目標を見失ったのに似ているかもしれません」

―あなたが、宗教と政治が一体化した「神権政治」を目指していると警戒する声もあります。
「私が求めているのは、国家と教会の統合ではなく、『文化としての宗教の公的な承認』です。行き過ぎた個人主義や物質主義に対する防波堤として、宗教の文化的なプレゼンスを取り戻すことを主張しているのです。税金を特定の宗教に回さないといった政教分離の伝統は、私も完全に受け入れています。しかしそれと同時に、米国には公的なキリスト教の長い伝統も存在してきました。政教分離と、社会における宗教の文化的な存在感は別物なのです」

―危機意識は分かりました。ではどのように崩壊した共同体を再建し、自由主義に代わる「共通善」を社会に取り戻すのですか。
「もはや自然発生的な回復を待つことはできません。火災報知機の非常ボタンを押す段階です。具体的にはまず、生活圏レベルの自治の再生。家族、地域共同体、中間集団の再建です。自由主義によって破壊された、個人と国家の間にあった、人が人として育つ場所を取り戻すことです。そして、民衆を見下すエリートでも、方向性を失うただのポピュリズムでもなく、民衆の伝統と常識に深く根ざした新しいエリート層を意識的に育てることです」
「歴史上、時代の根本的危機と出合うかたちで、新しい秩序のビジョンを描く思想家が現れてきました。私たちはそうした思想が必要な時代を生きています。しかし、私自身にできることは新しい共通善を規定することではなく、人々に建物が燃えていると知らせ、避難経路を示すことです。そのあとに何を建てるべきか、その叙事詩的なスケールの仕事は、おそらく若い世代が引き受けるべきではないでしょうか」

アメリカの郵便事情

2026年7月12日   岡本全勝

先日書いたとおり、アメリカ・バージニア州(首都ワシントンの隣)まで、書留で書類を送りました。郵便局のホームページだと18日で着くと書いてありますが、「去年の例」では1か月かかりました。今年は次のような経過をたどりました。
5月25日、新高円寺駅前郵便局で投函
5月27日、東京国際郵便局を通過
5月28日、アメリカの国際交換局(USJFKA)へ到着、税関へ

ところが、その後、インターネットで状況を確認しても、まったく動きません。
7月7日、ようやく「到着」と出ました。税関で6週間。といっても、まだ配達はされていません。1か月以上が経っています。内容は紙が2枚で、税関で精密に検査するようなものではありません。郵便物が大量に滞留しているのか、ええかげんな作業なのか・・・。
配達されたのは7月10日でした。

竹工芸、購入者の8割が外国人

2026年6月7日   岡本全勝

5月31日の日経新聞別刷りに「竹の魔術 しなりが導く匠の技」が載っていました。

・・・日本人にとって竹がもっとも身近な植物の一つであることは間違いないだろう。和的な景観を彩る要素としてだけでなく、しなやかで強靱な特性は昔から、人びとの暮らしを支えてきた。近年は厄介者扱いされることもある一方、その秘めた能力に魅せられる人は少なくない。
細い竹ひごが、生き物のようにしなる。岐部笙芳(せいほう)さんの手が交差するたび、目の前で美しい網目模様が広がっていく。大分県九重町にある岐部さんの工房を訪れた。現在全国で3人いる竹工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)の一人だ。
創作は「材料とり」と呼ばれるひごづくりから始まる。真竹を縦に割り、包丁を使ってひごをつくる。細いものは1ミリ以下。端から見ているとわけなく見えるが、均一な幅を保つのは経験のたまものだ。使用する数も作品によっては百本を超えるというから、繊細さに加えて根気もいる・・・

・・・(訓練学校の)1年の課程を終えた後も学び続け、展覧会で受賞もした。だが、作品づくり一本で食べていくのは難しい。問屋の求めに応じてつくった小物は一つ3000円。月に10個が精いっぱいだ。バブル期にはバッグが高値で売れたこともあったが、崩壊とともに需要は激減。アルバイトをしながらの制作が続いた。
第二の転機は25年ほど前だ。ある日、日本の竹工芸に造詣が深い米国人ロバート・コフランドさんが通訳を伴い工房を訪れた。「作品を見せてほしい」と請われ、2点を注文して帰った。その後、米国で個展を開催することになる。
いまも購入者の8割を外国人が占める。団体が山あいの工房にバスで乗り付けることもあるそうだ。「元の竹から変化して様々な形に変化する。実演すると『なんなんだこれは』と驚かれる」。竹が醸す日本文化への憧憬もあるのだろう・・・

世界が認める日本料理

2026年5月28日   岡本全勝

5月17日の日経新聞別刷りに「京都・菊乃井から気鋭の料理人続々 和食国際化が結ぶもう一つの果実」が載っていました。紙面では別の表題です。

・・・欧州の都市に住む日本人ジャーナリストと話をすると、和食の国際的な広がりは我々の想像以上だと痛感する。パリのおにぎり屋の繁盛ぶりは言わずもがな、先日はベルリンみやげにイタリア産の米とベルリンの水道水で仕込んだSAKEを渡された。マドリード在住30年のライターは「日本食は常食化した」と指摘し、浸透度合いを「日本におけるスパゲティ」に喩える。

025年の日本の農林水産物・食品の輸出額は1兆7005億円と、13年連続過去最高を更新した。食品メーカーや飲食チェーンの地道な努力に加え、和食のユネスコ無形文化遺産登録(13年)もひと役買ったに違いない。
「日本料理アカデミー」(日本料理の国際的な発展と認知、世界への普及を目指すNPO法人)の中心として、ユネスコ無形文化遺産への登録をはじめ、外国人料理人受け入れ制度の導入など、和食の国際化に尽力したのが京都「菊乃井」の村田吉弘さんである。海外でセミナーやデモンストレーションを精力的に行い、和食の特質、だしやうまみを知らしめた功績は大きい。

現在、東京・青山で「てのしま」を営む林亮平さんは、その渦中で村田さんの右腕の役目を担った。01〜17年の菊乃井在籍中に、国際会議や首相官邸での晩餐(ばんさん)会、20カ国以上での和食普及イベントを手掛けた。「連日様々な案件が持ち込まれ、厨房は米国、韓国、イタリアなどからの研修生で国際色豊か。伝統や慣習に支配されがちな日本料理界に多様な考え方や価値観が吹き込んだ時期でした」と振り返る。
研修生のために、暗黙の了解を言語化する必要もあった。調理技術はもちろん、献立、歳時記、器や道具、部屋の設(しつら)えの由来や根拠を問い直し、「日本料理とは何かを日々考えていた」と言う・・・

次のような文章があります。
・・・青森県弘前市「陽」の成田陽平さんは東京、南仏、パリで計7年のフランス料理歴を持ちながら、下積みから再スタートを切った転向組。パリのミシュラン三つ星「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で働いている時、訪れた村田さんに「フランス料理をやっていても、フランス人の上に立てない」と言われたのがきっかけだった。
「日本料理には二十四節気七十二候に基づく献立の考え方があり、コースを構成する皿数も多い。料理を取り巻く要素を理解するにも時間がかかる。でも、料理人人生で必ず役立つ」と身を投じ、9年間の修業を経て、22年に故郷で開業した。
独立にあたり、村田さんから贈られた言葉があるという。「拝顔直下」。足元を見よ、との意だ。今、成田さんが意識するのは「京料理から遠ざかること」。菊乃井で学んだ日本料理の枠組みと技術の上に、いかに郷土性を持たせるかに心を砕く・・・

いいですね。かつて私たちはフランス料理に憧れました。結婚式の披露宴はフランス料理でした。私の年になると、そして世界が、日本料理の素晴らしさが理解するようになりました。
西洋へ憧れから、脱皮したということでしょう。世界が認めると、日本人もその良さに気がついた、自信を持ったということだと思います。日本食とともに、観光地もそうです。