フランス語の明晰性とその限界

フランス語は明晰であると言われます。「明晰ならざるものフランス語にあらず」(Ce qui n’est pas clair n’est pas français.)は、18世紀の作家のことばです。何をもって明晰かどうかを判断するか、難しいですよね。それは神話だとも言われます。フランス語の単語の綴りと発音のずれ(発音しない文字がある)を見ただけで、明晰でないと思うのですが。

ただし、フランスは言語を明快にするために、努力をしています。国家機関のアカデミー・フランセーズが、フランス語の規範を定めているのです。アカデミー・フランセーズは、1635年にリシュリューが創設しました。中世の封建国家だったフランスを、近代統一国家・絶対王政の国に仕立て上げたのがリシュリューで、彼は統一国家言語を作ろうとしたのです。その反面、方言が抑圧されました。

もう一つ、色摩力夫さんが、著書『黄昏のスペイン帝国ーオリバーレスとリシュリュー』(1996年、中央公論社)で、スペインの哲学者オルテガの説を引用して、次のように指摘しています(337ページ)。
「フランス語は明快であり、明快なものはフランス語である」との格言が、自縄自縛に陥った。言葉と理念の明快を求めるのは美徳である。しかし、言語による「表現」の明快と、表現される「もの」の明快とは関係がない。「もの」には明快でなく難解なものも多い。難解なものをどのように表現するか。表現の明快を求めるあまり、難解なものまで明快であるかのように表現するのは虚偽である。フランス文化はこのような誤りに陥る危機にあるのではないか。