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2006年欧州視察随行記

2006欧州随行記5

(地球の表と裏)
実は地球科学から見ると、アイスランドと日本はとても関係がある。地球の反対側にあってと思うでしょうが、そこが重要なのです。来る前に、島村英紀著「地震と火山の島国-極北アイスランドで考えたこと」( 2001年、岩波ジュニア新書 )で、勉強してきました。これは良い本です。ぜひご一読を。
簡単に言うと、地球内部からマグマが浮き上がってきて、地球の表面の薄皮であるプレートをつくる。その割れ目から吹き出す溶岩が作ったのがアイスランド。そこから、西に行くのが北米プレートで、東に行くのがユーラシアプレート。そしてその薄皮が裏側で出会って、ぶつかりながら沈むのが日本。日本の地震を作っている原因は、遠くたどればアイスランドにある。
アイスランドに聖徳太子がいて、小野妹子に手紙を持たせて日本に派遣すると、「地出ずるところの大統領、書を地没するところの天皇にいたす。つつがなきや・・」となるだろう。
よって、両国とも火山があり、温泉があり、地震がある。もっともこちらの地震は、回数は多いが規模は大きくない。日本は薄皮がぶつかって沈む際に、片一方が引きずり込まれ、それが元に戻る際に大きく揺れる。こっちは、噴水のように吹き上げ両側に分かれていくので、そんなことはない。
地球の割れ目-向こうまで5kmほどある。手前は溶岩の割れ目。
地球の割れ目を見たが、雄大なもの。もちろん、一か所が割れ目ということでなく、長くつながっているはずで、見学地点は地表でよく見えるところ。別に見学した地熱発電所の建物は、割れ目の上に建っていた。毎年2センチずつ股割きにあっていると、聞いた。
見学地点では、割れ目は5キロほどの幅がある。両側は崖が切り立っていて、その間は土と水で覆われ、割れ目そのものは見えない。しかし、崖のあたりでは、溶岩に無数のひび割れが並行して入っている。カステラを手で割る時のように、きれいに一カ所で切れず、いくつものひび割れが並行して走るのと同じだということらしい。それらの割れ目は、幅は数10㎝のものから数メートルのものまで、深さはよくわからない。詳しくは、「地震と火山の島国」を見てください。
(その他の特徴)
火山、温泉などの他にも、アイスランドと日本との共通点はある。まず、漁業。暖流と寒流が出会う島で、良い漁場になる。そして、長寿。これは、肉でなく魚を多く食べていることによるのかもしれない。
短期間の滞在だったが、私たちは多くの見るべきものを見せてもらった。白夜を体験し、といっても途中は寝てしまったが。タラ料理を食べ、地球の割れ目も間欠泉も見た。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が会見した家も見た。冷戦の終了を切り開いた、レイキャビック会談の場所である。アイスランド名物で見ていないのは、オーロラ、氷河、大きな温泉か。
レイキャビック会談の家。手を置いているパネルに解説がある。
(したたかに生きる)
EUには加盟していない。通貨もアイスランドクローネを使っている。しかし、多くの部分はEUと共通にしている。入国管理もEU並み。EUからは加盟を催促されているとのこと。加盟しない一番の理由は、排他的水域=漁業権の問題のようである。EUに入るとその範囲が狭められ、損をするらしい。どうも、良いとこ取りをしているように見える。
街に近い飛行場は近距離用で、これはイギリス軍が作ったのを使っている。遠い方は遠距離用で、これはアメリが軍が作ったものを共用している。現在はNATO軍が管理していて、近く全面的にアイスランドに引き渡される。
第2次大戦時は中立を宣言したが、イギリス軍に、次いでアメリカ軍に占領された。といっても、ドイツに取られないために、保護下に置いたということ。確かに、この中間地点は、戦略上重要だ。もう少し南に位置していたら、昔から争奪戦のまっただ中にあっただろう。レイキャビック会談が行われたのも、中間地点ということから選ばれた。
大国の保護の下に、もらうものはもらっている。冷戦を上手に生きた、と言っていいのだろう。漁業をめぐるイギリスとの戦いについても、「地震と火山の島国」を参照してください。

2006欧州随行記3

7月12日(水曜日)
朝、少し早起きをしたので、近くのハイドパークまで散歩。ホテルの玄関で、リンボウ先生こと林望先生を見かけた。車に乗って出かけられるところだったので、ご挨拶はできなかった。あのお顔とひげだから、まず間違いないだろう。
(イギリス紳士?)
ある議員さん曰く。「パリにもロンドンにも、紳士はいないね。岡本さんくらいだ」。「それ、どういうことですか」と聞くと、「帽子をかぶっているのは、あんただけだぜ」。実は、私も気になっていた。山高帽とはいわないが、私のかぶっているような中折れ帽をかぶっている人を見かけない。もちろん、ステッキや細身の傘を持った人もいない。ウイスキーのジョニーウオーカーのラベルにあるような紳士はいない。
そもそも、私たちが英国紳士としてイメージする、背の高い白人の割合が少ない。黒い人や茶色い人が目立つ。パリの町もそうだった。パリ=美人のパリジェンヌと思って探したが、お目にかからない。やはり黒い人が多い。
この時期、観光客が多いからということもあろうが、仕事をしていると見受けられる人もそうだ。
(BBC)
午前中は、BBC放送へ。報道の中立性、受信料確保、インターネット戦略などを聞く。
インターネットのニュース用に、記者が200人、その他のスタッフが200人いるとのこと。NHKのHPでは、テレビで放送したニュースが載るのに、かなり時間がかかる。
(世界戦略)
BBCは英語だから、世界中の人が見るのだろう。日本でも海外放送の拡充が議論されている。さて、何にターゲットを絞るかが問題だ。全世界向けか、アジア向けか。日本人向けか、外国人向けか。日本語放送か、外国語放送か。日本の実情紹介か、もっと国際的な内容か。
例えば、BBCの中近東向け放送は80年の歴史がある。それだけのスタッフと蓄積、背景がある。ひるがえって、日本はどうだ。また、英語は世界中の人が聞く。BBCしかり、CNNしかり。私も、ホテルに日本語放送がないときは、お世話になっている。完全には理解できないが、あらすじはわかる。じゃあ、日本語放送はどうだ。世界に向けて発信して、誰が聞くか。
これは対象者、地域についても同じ。英語で放送したとしても、誰に何を伝えたいか。「国際ニュースを客観的に」なんて言っても、BBCには勝てないだろう。その戦略を絞り込まないと、空に向かって鉄砲じゃない、電波を出すだけになる。
日本は、まずはアジアに対象を絞るべきではないか。アジアの人に向けての発信である。言葉を何にするか。アジアの人に見てもらうのなら、現地の言葉になろう。韓国語、中国語(北京語・広東語)、タガログ語、ベトナム語、インドネシア語、タイ語・・・。これだけでも大変だ。何を発信するか。これも大変な問題。それだけのスタッフをそろえるのも大変。大学にもそれだけの研究者や関係者はいないだろう。
BBCがイギリスの、いや世界の公共財になっている。そして、イギリスの地位を高めている。こうして、英語の影響力、イギリス流のものの見方が、世界を覆う。凄いものだ。
(ハードスケジュール)
第2次湾岸戦争に際し、イギリスはアメリカとともに積極的に戦った。BBCは「客観的に」報道したことで、政府との関係が緊張した。この点も、当方の議員達の関心であり、いくつも質問が飛び交った。ほかにも得るところが多かったが、詳細は省く。3時間経っても議論は続く。
午後は、BT電話会社へ。こちらは、固定電話をすべてIP電話に代えるとのこと。ここも詳細略。
質問状を前もって渡してあるので、議論はかみ合う。通訳も、事前に勉強しているので、思った以上に話が進む。すると次の質問が出る。当方の議員は勉強家だし、日本の状況についてもよく知っている。質問するのはお手の物。
また、大使館、特に総務省から行っている中井君、山口君、河合君がよく手配してくれている。ありがたい。こちらも欲張って日程を入れてある。さらにいろいろ聞きたい。ということで、ますます欲張った日程になってしまう。
毎日のハードスケジュールと暑さで、みんな疲れ気味。最初のうちは、緊張感もある。3日も経って慣れてくると、かえって疲れが出てくるし、日本が恋しくなる。夜は、みんなの希望により、予定を変更して日本食レストランへ。
(2006年7月16日、18日)
(30年後の日本)
訪問先での話に触発されて、バスの中や食事の際に、議員さんたちと日本のあり方を議論する。主なテーマは、まちづくりと国際戦略。
1 まちづくり
「いつ来ても、パリやロンドンはきれいだねえ。農村の風景もきれいだし。日本の街並みも立派になったけど、まだまだだね」「日本は昔に比べれば、はるかに立派になったけど、きれいじゃないよ。東京だって、ごちゃごちゃしているし」「日本も、昔はきれいな風景だったよ」
「こっちに比べて、日本は雑然としているね。まあ、それがエネルギーの表れかな」「悲惨なのは、地方都市ですよ。うちの地元も、中心はシャッター通りで」「道路沿いの立て看板、あれどうにかならないの。こっちはそんなの見ないじゃない」
「こっちは、立て看板を規制しているようです。町によっては、家のかたちや色まで決められているところもあります」「大型店の出店を規制しているところもあるよね」「パリだって、150年前に大改造してつくったんだ」「ヨーロッパの街って、100年前の遺産が残っているのだろ」「田舎はもっと古いままだぜ」
「日本は、いつになったらきれいな街になるかい」「今のままじゃ、それぞれの建物は立派になるけど、街並みとしてはきれいにはならないね」「こちらの街がきれいなのは、豊かなときに立派にした。それが残っている。それと、統一がとれるように規制している。この二つだな」
「このままじゃ、30年経っても、日本の街はきれいにならないぞ」「めいめいが、良いものを作ろうとするだけじゃ、良い街並みはできないね。ある程度の規制をするとか、こういう街がきれいだという共通認識や価値観が必要だね」
「日本にはエネルギーがある、でもそれを自由に放出しているだけでは、きれいにならないということですね」「日本もようやくそれを考えることができるまで、豊かになったんだよ。ついこの間までは、食うのが先だったんだから」
2 国際戦略
「それと、パリにしてもロンドンにしても、街の美しさや立派さを売り物にして、観光客を呼び込んでますね」「そうだ。博物館だって、世界中からぶんどってきた文化財を展示しているんだものね。買ってきたのもあるけど」「芸術の都パリは、もうはやらない。でも演劇なんかも、世界中から人を集める」「パリとロンドンというブランドで、商品を高く売りつける」「昔はこっちへ来たら、衣料品など必ず欲しいものがあったけど、今はないね。日本の方がずっと品質が良いよ」「でも、日本の女性軍は、大挙してブランド品を買いに来ますよ」「そうだ、あんな鞄なんかどこが良いのかね」「えーっ、私も家内と娘に頼まれて、買いましたよ」
「百年前のフランス人やイギリス人が、どこまで将来を考えたかわからないけど、良い遺産を残したね」「また、それを守って、ちゃんと商売にしてます」「それに比べると、日本の絶頂期は短かったですね」「で、ジャパン・アズ・ナンバーワンの日本は、何を残したのかね」「世界からは無理としても、アジアの人たちは日本に何を見に来ますかね。東京ディズニーランドじゃねえ。都庁を見に来るかい」「エッフェル塔には世界中から観光客が来るけど、東京タワーにはアジアの人が来ているのかい」「エッフェル塔って、塔を観に行ってるんじゃなくて、そこからパリの街を観に行っているんでしょ」「ただ大きいとか高いだけでは、観に行かないわな。何か歴史とか、ストーリーが必要だろう」
「BBCもすごいね。日本じゃ、そう簡単にあれだけの海外放送はできないよ」「戦略的にやっているんだね」「日本は、まずはアジアを対象に考えるべきだろう」「それは、みんな異存はないんじゃないか。アジアなしで日本の将来はないよ」「アジアの人が、日本に行ってみたいと言うようにならないとね」
「それも、10年とか30年くらい先を考えて、じっくりとやらなきゃだめだね」「うーん、日本では国会も新聞も、すぐに結果を求めますからね」

2006欧州随行記6

(いすは人をつくる)
30万人といったら、日本では中規模の市くらいの人口規模だ。中核市は、要件が人口30万人以上となっている。横浜市の350万人、大阪市の260万人など政令市は別として、県庁所在市と思えばいい。例えば、宇都宮市や奈良市は30万人より大きい。
その団体が、外交を行い、通貨を発行し、一国としてやっている。空港、税関、パスポートコントロール、放送、通信、郵便、銀行・・。国としての様々な機能を備えている。
日本の市役所と比べるなら、国会は市議会、大統領は市長、各省は各部と思えば、それほどの驚きはない。国会だって、施設だけ見れば、日本の市議会の方がはるかに立派だ。しかし、施設設備でなくその内容、いってみればハードでなく、ソフトとコンテンツがどうかである。
何人もの議員が、「岡本さん。失礼だけど、この国の大統領とか首相は、人口から言えば日本の市長みたいなものだろ。でも、威厳があるねえ。発言も立派だし。うちの地元の市長は、この国より人口が大きいけど、こんなに立派に応対できるかなあ」とおっしゃる。確かにそうだ。
左から、大統領府官房長、大統領、私、大使。
こちらが、相手を大統領だと思うから、立派に見える面もあるのだろう。でも、発言内容は、国のあり方であり、外交についてである。ひるがえって、日本の市長はどうか。まず、私たちが、相手を市長と思うから、大統領ほどには敬意を払わない。これは、差し引こう。発言内容はどうか。市のあり方について、あれほどの発言ができるか。
アイスランドは、ここにも記したように、決して条件の恵まれた国ではない。皆さん声をそろえて、「第2次大戦までは貧しかった」とおっしゃる。独立を果たしたが故に、宗主国デンマークに頼ることができなくなった。自分たちで考え、自分たちで生きていかなければならなくなったのである。
日本の自治でいえば、「補助金が少なくて」とか「税収が少なくて」なんて言っておられない。言う相手がいない。自分たちで稼ぐ、自分たちで節約するしかない。
「椅子は人をつくる」という言葉がある。私たちが見た「小国」アイスランド政府と政府関係者は、まさにこれではないか。一つには、それぞれの人が仕事をこなすことで、立派な威厳のある人に見える。この人たちだって、30万人の市の市長になったら、「市長さんらしく」見えるのだろう。
もう一つは、団体が自立すると、その団体は、その条件の中で立派に運営していくということである。日本の市とアイスランドを比べなくても、日本の県は人口や経済力では、ヨーロッパの中規模国と同じくらいだ。スウェーデン、オーストリアだって、大阪府くらいだから。
国による保護をやめれば、それぞれの地域は立派に生きていく。ヨーロッパの国々が立派に国を運営しているのに、日本人ができないはずがない。万が一、失敗しても、それはその地域の人たちの責任だ。しかも、条件が悪い北欧の国だって特色ある国をつくっているし、日本の分権は、独立しようなどと言っていないのだから。
保護国側の言い分は、「その地域は、まだ、自分たちで運営するだけの能力がない」である。植民地・保護領の独立と、分権は似ている。いずれも、地域が自立を求めるのに、保護者が「まだまだ」という。既得権を失いたくないからだろう。権限も渡さずに「能力がない」というのは、子供にボールを触らせず、「おまえはまだボールを蹴れないから」と言っているようなものだ。最初は下手でも、触っているうちに上手になる。
いすは人をつくる。自立は地域をつくる。(この項、8月6日)
7月15日(土曜日)
(日本へ)
朝の4時に起きて、5時にホテルを出発。7:40の飛行機でパリへ。なぜか、こんな早朝になる。たぶんこれが、アイスランドにとって便利なのだろう。
パリで、昼食などを取って時間待ちをする。19:40発、実際には20:00発の飛行機で、成田へ。
機内で食事をしながらテレビを見ると、ニュースでサンクトペテルブルグ・サミットを報道している。飛行機は、ちょうどフィンランドからサンクトペテルブルグの近くを飛んでいる。この下でやっているんだ。もっとも、現地時間は夜のはず。東へ向かう飛行機は、進行方向に向かって左側の窓、北極よりは、夕日の雲が続いている。右側の窓、南の大陸は夜。パソコンに向かい、こつこつとこの原稿を書いている。
(道中の暮らし)
久しぶりの海外旅行だったが、まずは快適に過ごせた。
機内では長袖シャツのノーネクタイ、すなわちクールビズで過ごす。ネクタイなしでも、失礼でなくなったのがありがたい。もっとも、日本人の間の話だが。長袖シャツは冷房対策。私は、国内を新幹線で移動する際もそうしている。
お金は、例によって現金を使わず。両替もせず。ホテルでの支払い、ちょっとした記念の品だけ。これはカードですませるのが便利。
ティップは、家にあったユーロの小銭を持ってきて使った。イギリスはユーロに加盟せず、ポンドだけど。ロンドンのホテルで、シャンプーが置いてなかった。翌朝「シャンプーください」と英語で書いて、ユーロのコインを置いておいたら、ちゃんとコインはなくなっていた。シャンプーは、ホテル用のあの小さいのが、4つも置いてあった。
必需品が、体洗いのメッシュのタオル。ホテルのタオルは分厚すぎて、体を洗うようにはできていない。これまでの旅行でも持って行くのだが、必ずホテルに忘れてきた。ソウル、パリなどなど。風呂に入ったあと干しておいて、翌朝出発時に鞄に入れるのを忘れる。次のホテルで気がつくが、その時は遅い。今回は、無事なくさなかった。まあ、忘れてもたいしたものではないが、その後が不便なのと自分の注意散漫に腹が立つ。
インターネットは、さらに使いやすくなった。パリでは、電話回線で海外ローミングを使った。ロンドンでは、ラン回線端末があって、差し込むとホテルのHPにつながり、そこからインターネットに入れる。1分50ペンス=約100円。電話回線(市内通話)も同額だが、スピードが違う。一日中つないでおくと、20ポンド=4,000円。
レイキャビックのホテルは、ラン回線端末があって、これは無料だった。空港のビジネスラウンジには、パソコンが何台か置いてあって、インターネットが自由に使える。出発までの時間待ちにこれはいいと座ったが、私のHPを始め、NHKのページも開けない。正確には、日本語のページが開けない。「言語に対応するブラウザがない」との表示がでる。「次のうちから選べ」と表示が出て「Japanese」選ぶが、対応できないらしい。何度か試みて開くと、ほとんどが文字化けしている。
もちろん、NHKインターナショナル(英語ページ)は開くことができる。そうなんだ。インターネットは国境をなくすというが、世界言語は英語なんだ。BBCとCNNは、私たちもお世話になる。しかしそれは、英語だからだ。
(電話は嫌い)
議員の多くは、海外でもつながる携帯電話を持ってきた。せっかくの海外なので、私は持ってこなかった。私は電話は大嫌い。できれば電話のない国に行きたいと、いつも思っている。こちらからかけるのは仕方ないとして、こちらが何かしているときに突然かかってくる電話は、身体に悪い。しかも、そのような電話は良い話でなく、緊急の用件か悪い話が多い。だから、出たくない。
アイスランドでパソコンを開くと、本省からのメールで「異動内示をするので、できるのなら次の時間帯で官房長に電話するように」との指示が来た。時差もあるし、早く聞いてどうなるものでもないと思い、「帰国してから受けて良いですか」と返事をしておいたら、「本人が良いのなら、それでよい」と返事が来た。
日曜日に日本に着き、月曜日は海の日でお休み。火曜日に出勤して、官房長に帰国の報告をしたら、その週の金曜日付での内閣府官房審議官への異動を告げられた。
総務課長の仕事は、しんどいけれどおもしろい仕事。まだまだ続けたかったが、総務課長2年半、通常国会3回は、総務省だけでなく各省を見渡しても、前例のない長さらしい。いつかは、後輩に譲らなければね。

2006欧州随行記4

7月13日(木曜日)
今日は、飛行機でアイスランドへ移動。所要3時間だが、ここもイギリスとの間で1時間の時差があるので、時計の上では2時間。
飛行機はアイスランド航空。30万人の国が飛行機会社を持っている。ロンドンとの間は週14便、コペンハーゲン(旧宗主国)との間は27便。アメリカとは、ワシントン7便、ニューヨーク7便、ボストン7便の他、いくつもの便がある。ロンドンまで3時間、ニューヨークまで6時間。良い位置にいるわけだ。
使用機材は、200人から300人乗り。それだけの需要があるということだろう。漁業と観光で成り立っている国だから、観光客が多いのか。私たちの乗った便も、ビジネスクラスは満席だった。あとで聞いたら、年間60万人の人が訪れるらしい。国民の倍の数だ。それも、夏の期間だけだろう。到着した飛行場も、利用者でごった返している。
パリ、ロンドンと違って、雨。気温は12度くらいとのこと。夏から、一挙に晩秋の気候になる。
(議会)
早速、議会訪問。議長を表敬したあと、議場を案内してもらう。10年ほど前に、2院を1院にした。議員数は63。小学校の教室くらいの、こぢんまりとした部屋。各議席に、電子投票のボタンがある。投票結果は、壁に総数とともに、議席ごとのランプでも表示される。議員の中から選ばれる閣僚席にも、ボタンはある。
おもしろいのは、議席の指定がくじ引きでされること。会期の始めに、箱の中から、数字の書かれた木の球をめいめい取り出す。隣り合わせになった議員がけんかをしないようにとのこと。それなら、党派別に座った方が良いような気もするが。
(街)
総人口30万人のうち20万人近くが、首都レイキャビックとその周辺に住んでいる。周辺部は大きなアパートがたくさん建っているが、レイキャビックの中心街は、こぢんまりしたきれいな街。議事堂も、首相府も、商店街も歩いて回れる。そう言えば、かつて行ったノルウェーのオスロも小さくてきれいな街だった。
(白夜)
白夜の国の夏なので、真夜中でも明るい。カーテンを閉めても、明るい。ある議員は翌朝、「岡本さん、夜の3時も明るかったよ。眠れなかった」とのこと。この時期、太陽は北から上がって、北に沈むとのこと。もっとも、冬は南から上がって、4時間ほどで南に沈む。毎日が真っ暗。これはつらいらしい。
7月14日(金曜日)
朝は、嵐。横なぐりの雨が降っている。
(エネルギー先進国)
午前中は、エネルギー庁長官との意見交換。
この国は、水力と地熱でエネルギーの大半をまかなっている。環境先進国。安い費用で発電し、温泉熱で各戸にお湯を供給している。蛇口からお湯が出て、暖房もお湯。化石燃料(石油、ガス、石炭)は車と船と飛行機に使っている以外は、ほとんど使っていない。
電気も輸出したいのだが、輸送技術とコストの関係で、実現していない。「電気が余っていて、東京の消費量はまかなえるよ」と笑って説明してくれる。現在の電気の輸出方法は、アルミニュームの精錬。アルミは電気の缶詰とも言われる。ボーキサイトを輸入して、安い電気でアルミにする。これを輸出すると、電気を輸出していることになる。効率のよい蓄電池が開発されれば、電気そのものを輸出できるのだろう。電線で輸出できなくはないが、ロスが大きい。
次の課題は、化石燃料を使っている残りのもの。特に車を対象としている。電気を使ったハイブリッド車=トヨタのプリウスも説明してくれた。これも課題は、蓄電池。今取り組んでいるのは、水素ガス。バスを3台実験的に走らせている。電気で水を分解し水素を作る。これを燃やして電気を作る。出てくるのは排気ガスでなく、水。もっとも、効率は50倍くらい悪いとのこと。「まだまだだめだ」。
地球温暖化による氷河の減少も、写真で見せてくれる。さらに、「おもしろいのを見せよう」」と言って、未来予測も動画で見せてくれる。大きな氷河が、あと100年でなくなってしまう。「もっとも、いろんな条件でのシミュレーションだけどね」と笑っているが。
(行革の実験)
続いて、財務省次官との意見交換。この国も、1991年以降民営化を進めている。小さな国なので、いくつもの国営企業を持っていたのだろう。漁業などの会社を民営化したあと、国営銀行2行とを民営化した。なるべく国の管理が及ぶように、国内で株を持ってもらうように意図しながら進めたが、いずれも失敗し、一度は延期した。その経過を説明してくれる。もう一度やり直して成功した。その際は、「結局は価格がすべてを決めたね」ということだった。
エネルギーの説明は、写真もあればグラフもあって、理解しやすい。民営化も同じようにパワーポイントを使って説明してくれるが、こちらは文字ばかりでなかなか難しい。通訳さんも、専門用語に手こずる。私の拙い英語で、何とか理解する。
(大国と小国)
さらに、首相と大統領にも表敬訪問。アイスランドは、東京に大使館を持っている。日本側は、アイスランドはオスロ大使館の管轄で、レイキャビックに事務所を置いている。大統領は「30万人のアイスランドが東京に大使館を置いているのに、なぜ日本は本格的大使館をアイスランドに置いてくれないのか」「中国は、アイスランドに非常に興味を持っている。大規模な訪問団も来た。我が国は日本ともっと関係を持ちたいのに、日本からは企業が進出してくれない」と強くおっしゃる。
また、「お互いに食糧輸入国であるなど共通な位置にいる。早く貿易自由化交渉をまとめよう」とも言っておられるとのこと。おっしゃるとおりだ。
捕鯨でも日本と同じ主張をし、日本が国連常任理事国入りを目指したときも、真っ先に賛成してくれた。このような国を、大事にする必要があるだろう。
(自然)
地熱発電所を見学したあと、時間があるので、間欠泉と地球の割れ目まで車を走らせる。真夜中まで明るいので、体力さえあれば活動できる。
町中を歩いている限りは、風景は、北欧の他の街と変わらない。しかし、一歩郊外に出ると、全く違った風景になる。空港から街までの道路の両側は、溶岩原が広がっている。その上にこけが生えているだけで、草や木はない。こけさえ生えていないところもある。
鹿児島の桜島の溶岩原が、ずーっと広がっていると思えばいい。このあたりでは、放牧もできない。歩くと足首をねんざしそう。アメリカのアポロ計画の際、ここで月面着陸の訓練をしたらしい。風景が月面に似ているから。
島自体が、まだできて新しい。溶岩が十分風化せず、土がない。気候が厳しく、木や草が育たない、ということだろう。誕生してまだ若い頃の地球を想像させる。
さらに車を走らせると、牧場が広がる。ここはかろうじて草が生えている。羊、馬、牛がのんびりと、とはいえない厳しい気候の中で、草をはんでいる。馬肉もこの国の名物。
北海道と四国を足した面積に、30万人が住んでいる。広々としたきれいな国だ。
(氷の国)
アイスランドIceland=氷の国という命名は、半分正しく、半分間違っている。緯度は、ロンドンやパリからは北、北極圏に近い。日本より、はるかに北にある。カムチャッカ半島くらい。ちなみに緯度を南に当てはめると、南極の昭和基地になるらしい。大きな氷河もある。草木が茂らない。夏は白夜になり、秋や春にはオーロラが見られる。ここまでは、確かに氷の国。
しかし、気温は、夏で6~14度くらい、冬でもそんなに下がらない。零下10数度にはならない。冬を比べると、北日本の方が断然寒い。これは、メキシコ湾流(北大西洋暖流)が流れているから。この暖流と寒流がぶつかって、よい漁場になる。タラやししゃもが名物。ニシンはかつてはよくとれたが、今はもっと北の漁場らしい。
この島の西側に、グリーンランドGreenland=緑の国がある。これは命名間違い。こちらは、氷河に覆われていて、とても人が住めたところではない。どうも命名が、逆だったようだ。
アイスランドの天気は、よく変わるらしい。曇ったり、雨が降ったり、日が差したり。私たちの滞在中もそうだった。
メキシコ湾から来た水が、地球の割れ目に雨を降らせ、そんなことも知らず羊は草を食べている。

2006欧州随行記2

(東西の農村風景の差)
こちらは、変化の少ない風景だ。たぶん、これは千年近く続いた景色だろう。日本も農村では、つい40年前まで、2000年間にわたって「弥生式風景」が続いていた。田んぼとわらぶき屋根の農家である。それが、急速に変化した。西ヨーロッパと日本は、同じように、農業が主体の時代から産業革命を経て、さらにはIT革命の時代に入っている。どうして、一方は景観が残り、もう一方は急激な変化をしたのか。以前から、気になっていた。私が考えた結論は、次の通り。
1 生産力の差
麦畑・牧場と水田とでは、単位面積当たりの収穫カロリーが違う。牧場に至っては、一度植物を育ててから、それを飼料にして牛や豚を育てる。効率は悪い。水田の方が、たくさんの人間を養える。だから、日本は狭い面積に、大勢の人間が住んでいる。
欧州でも日本でも、農業時代は千年から2千年の長きにわたって続いた。その間に、それぞれ秩序ある風景を作った。産業革命以降、経済発展を始めると、農業の生産性を上げる他は、それ以外の産業を入れなければならない。面積当たりの人口が多い日本は、必然的に、工場やその他の建物が混み合ってくる。
今でも、可住地面積当たりの人口は、日本の方がはるかに大きい。彼らは日本の新幹線に乗って、「どこまで行っても家が続いている」「街が続いていて、東京と思っているうちに京都に着いた」と驚く。ヨーロッパでは、街と街との間は離れていて、その間に農地がある。
2 洋風化
日本はさらに、近代化とともに洋風化を受け入れた。生活の様式としては西洋化であり、アメリカ化である。台所や風呂から始まって、トイレ。畳の部屋から洋室へ、屋根の瓦もガラス窓も、今までのものも残しつつ、新しいものを取り入れた。いわば雑居状態。
その際に、木造家屋は建て替えてしまった。また、技術の進歩というか、選択肢が広がって、いろんな素材・形・色の家が建った。それ自体は進歩であり住みやすくなったので、批判することではない。向こうは、昔ながらの家で不便の中で暮らしている。しかし、日本は秩序の美はなくなった。
これに比べ、ヨーロッパは近代化とアメリカ化はしたが、洋風化はしていない。
3 石造り
そして日本は、家を建て替えることに金をつぎ込んだ。その際に、公共空間、例えば電線類地中化などにまで、手が回らなかった。
これは、今後とも続くであろう。向こうは、煉瓦や石造りの建物の骨格と外観はそのままで、内部を造り替える。こっちは、基礎から立て替える。こっちはフローの文明、あっちはストックの文明というのは、矢野暢元京大教授の卓見である(「フロ-の文明・ストックの文明 」)。伊勢神宮の遷宮を、日本人のきれい好きとほめる人もいる。それを否定はしないが、あっちに比べ金がかかる。
「鉄筋コンクリート造りは大丈夫だろう」という人がいるが、これはなお、たちが悪い。まず、50年前にできた鉄筋コンクリート造りの家に、今も住んでいる日本人はほとんどいない。この結果が物語っている。何かを変えない限り、50年後も同じことを言っているだろう。次に、最近のコンクリートは50年もつと思えない。劣化が激しいらしい。
4 農業国
なぜ、フランスやイギリス、ドイツで、きれいな農村風景が残っているか。もう一つの理由は、彼らは農業国だ。
(イギリスへ)
しばらくして、トンネルに入る。ドーバー海峡をトンネルで抜け、2時間ほどで、イギリス側のアッシュフォード駅に到着。ただし、フランスとイギリスとで1時間の時差があるので、時計の上では1時間。ここからロンドンまでは、あと1時間かかるとのこと。
アッシュフォード駅は、アッシュフォード・インターナショナル駅と表示してある。これまでは内陸部の駅だったのが、突然、国境の駅になった。
バスで移動し、カンタベリー寺院を見てから、訪問先のシェップウエイ区へ行く。
(市民税増税騒動?)
区(ディストリクト)は、日本の市町村に当たる。シェップウエイは、ドーバー海峡に面した保養地。人口約9万人。ここは、2年前にカウンシルタックス(日本での固定資産税。イギリスの町ではこれが唯一の市税)を39%引き上げようとしたが、国からストップがかかり最終的には19%引き上げた。その状況を聞く。
まずは、「どうして一時に、それだけもの増税が必要になったか」という問をする。それまではサービスを抑えていた。選挙が終わってから、一時に上げた、との答え。最初は39%を考えたが政府に反対され、29%に変更したがそれも否定され19%になった。
次の問は「住民は反対しなかったのか」。答は、反対はなかった、サービスが上がるのなら良いとのことだった。金額にしてそんなに大きな額でない、とのこと。
さらにいくつか質問するが、「政治的に複雑だ」「説明するのは難しい」との答が返ってくる。当時与党だった党が分裂したほどだから、いろいろあるのだろう。
フォークストンとあるのは、シェップウエイの中心の町です。
(議長職)
議長が、何人かの議員と職員とで応対してくれる。市長職は1972年に止めて、今は議長が首長を兼ねている。もっとも、市役所は与党リーダーを中心に、議院内閣制を取っている。ちなみに議長は、議員を39年務めたとのこと。既に年金生活者で、議長職に年間5000ポンド=100万円支給される。議会は年に9回。1回の所用は3時間程度。夕方に開く。この点については、拙著「新地方自治入門」p338参照。
ここでも、長時間のお相手をしていただいた。議長は、市民税増税より、街の自慢を聞いて欲しいらしい。保養地であること、そのために海岸を整備していること。さらには、昔ながらのケーブルカーが動いていることなど。老人夫婦がたくさん散歩している。その人たちを目当てにしたアパート(日本でいうマンション)も、増えているらしい。
下の駅から上を見る。左のかごが上に上がっている。右にも、もう一つケーブルがあったが、廃止された。
(古いものを大事に)
このケーブルカーは、一見の価値、試乗の価値があった。ドーバー海峡の崖の上の街と、下の海岸とを結んでいる。その間50メートル、高低差30メートル。1885年製。鋼鉄製のロープの両端にかごがあり、一方が上がると他方が下がる。ここまでは、どこにでもあるケーブルカーと同じ。
上から見たところ。客室の下に水を入れている。
違うのはその動力。かごの下にタンクがあって、そこに水をためる。かごが上の駅に着くと、係員がレバーを倒して水道から水を入れる。上のかごAに水がたまると、重みでかごAが下がる。下に着くと、水を捨てる。すると軽くなる。今度は、上に着いたかごBに水を入れ、そちらBが下がってくる。上下のかごの人数差=重量差がわからなくても、必要量だけ水が入るとかごは下りる。優れもの。もちろん、ブレーキがあって、突然下りたり、激突したりはしない。水は循環して使っている。パンフレットには One of the oldest water balanced cliff lifts in England opened 1885 と書いてある。
ローテクも良いところ。産業遺産並みだ。「日本だったらどうだ?」とのある議員の問に、「日本だったら、とっくの昔に電気モーターに替えたでしょう」と私は答えた。「そうだよな」。
終了後、バスでロンドンへ移動。約2時間でロンドン着。今日も、大使から説明を受ける。