カテゴリー別アーカイブ: 報道機関

報道機関の横並び意識

12月1日の朝日新聞オピニオン欄「記者会見に求めるもの」、林香里・東大教授の「各社横並び、主体性持って」から。

・・・記者クラブという器ではなく、その空間にいる記者のマインドセット(思考の癖)が問題なのです。例えば、安倍政権で官房長官への取材で、各社担当記者が携帯やICレコーダーを事前に回収袋に入れていたと伝えられましたが、横並び意識が表れています。
日頃から他社の記者と団体行動で動いていると、記者一人ひとりの立ち位置がどこにあるのかという、自分の主体性を失って、思考停止になりがちです。

これは、ジャニーズ問題の報道にも表れました。長く沈黙を続けた大手メディアは、英国の公共放送BBCが報じたあと、批判しても安全という空気が作られると一斉に報道を始めました。ですが、ほとぼりが冷めると一気に引いていくという同じ構図が繰り返されるのではないでしょうか。テレビ局は似たような検証報道をしたものの、芸能事務所や広告会社とテレビ局の問題という構造的な問題には踏み込めていません・・・

地方テレビ局の挑戦

地方のテレビ局の多くは、東京の放送局網に所属しています。演劇やスポーツ番組などは、全国どこでも同じものを見ることができます。独自の番組を作ることもありますが、その割合(放送時間)は多くありません。それは、ニュースについても同じです。全国ニュースの時間が長く、地方ニュースの時間は短いのです。

地方テレビ局の報道部記者は、地域のニュース取材に力を入れ、記事と映像を作っているのですが、放映時間の関係で没になることもしばしばです。
かつてある地方局の方に「それなら、せっかく作った映像を、会社のホームページに載せて、誰もが見ることができるようにしたらどうですか」と提案したことがあります。私の意見が通ったわけではありませんが、各局でそのようなサイトを作っているようです。福島中央テレビの例。放映されたニュースだけでなく、放映されなかったニュースも載ると、記者もやりがいがありますよね。

もう一つ短いニュースではなく、30分などの長い時間である主題を深掘りする番組もあります。富山テレビはこの秋から、「シンそう富山」を放送するようになりました。しかも、毎週です。これを作るには、かなりの労力が必要だと思います。それをインターネットで見ることができます。政治に関するものもありますが、地方鉄道の存続や熊対策など地域ならではの内容もあります。一度、ご覧ください。

ご苦労さま、坪井記者

朝日新聞夕刊、題字下の「素粒子」、5年8か月書いてこられた坪井ゆづる記者が、11月30日で引退されるとのことです。
30日の素粒子の最後に、次の文章がありました。
「これにて「×  ×印」は書き納め。5年8カ月、あまたのおしかりに深謝します。」

かつては、地方分権の論陣を張ってくださいました。素粒子は、私と意見が異なることもありましたが、短い文章で社会を切り取る術は、素晴らしいものがありました。
字数の決まっている各行の頭の文字をつなげると意図が読める文章(在原業平のカキツバタの歌と同じ)は、頭をひねられたでしょうね。
ご苦労さまでした。

クラウドファンディング

クラウドファンディングという言葉を、よく聞くようになりました。上野の科学博物館が実施したところ、1億円の予定に9億円集まったとか。ところで、クラウドファンディングという言葉は、分かったようでよく分からないので、調べました。

クラウド(群衆)とファンディング(資金調達)組み合わせた言葉とのことです。ウィキペディアによると、「多数の人による少額の資金が他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを意味する」。
インターネットで使われるクラウドは雲ですが、こちらは群衆なのですね。

さらに、「クラウドファンディングという言葉はカタカナ語としては新しい言葉ではあるが、後述の通り古くから使われている言葉である。また、全く同じ意味としてロシア語由来のカンパという言葉もある」
なるほど。それなら、募金と言えばよいのに。あるいは特定目的募金でですかね。
(追記)
読者から、「群集型資金構築」ではどうかという提案がありました。

次のような説明もあります。
「クラウドファンディングは資金提供者に対するリターン(見返り)の形態によって下記の3類型に大別される。
・金銭的リターンのない「寄付型」
・金銭リターンが伴う「投資型」
・プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」」

商品だけでなく、事物にもカタカナの名前を付けて新奇性を売ることが多いです。でも、内容を理解してもらい、長く覚えてもらうなら、従来からある日本語を使うとか、それを改変して新語を造るべきでしょう。このような言葉は関係者がつくりますが、それをそのまま使う報道機関に責任があると思います。

新聞は人が書くので信用できない?

11月5日の朝日新聞「日曜に想う」、沢村亙・論説主幹代理の「偶然を楽しむ、人生が広がる」に次のような話が載っています。

・・・4年前の本紙オピニオン欄で、作家の真山仁さんが、高校生21人とジャーナリズムをテーマに議論する企画があった。
毎朝、新聞を読んでいたのは1人だけ。「新聞が信用できない」に挙手したのは7人。ここまでは想定できた。ショックだったのは、その理由だ。
人が書く記事は主観が入るので正しい情報ではない。つまり「人が伝えること」への不信である。人工知能(AI)が記事を書くことに「良い方法です」という反応もあった・・・