カテゴリーアーカイブ:歴史

墨の生産量、80年で3%に

2026年3月22日   岡本全勝

3月5日の読売新聞夕刊「伝承のサイエンス」は「奈良墨 黒の秘密 小さい芯・炎から良質の煤」でした。

・・・1400年前の飛鳥時代に中国から朝鮮半島を経て製法が伝わったとされる墨。神社仏閣の多い奈良では伝統的に墨の需要が高く、今では全国の固形墨の9割以上が奈良県で生産され、「奈良墨」は国の伝統的工芸品に指定されている。その原料に科学の光を当て、墨への理解を深める取り組みが行われている。
墨は610年に朝鮮半島の僧・曇徴が日本に初めて製法を伝えたとされる。写経や文書の作成、学問に欠かせず、奈良の地で墨作りが発展した。興福寺(奈良市)の灯明を使って作った墨は、黒みが強く光沢を放ち、高い評判を集めた。
昔ながらの固形墨は、菜種油や松材などを不完全燃焼させた時に出る黒い微粒子の凝集「煤(すす)」と、動物の骨や皮を煮出したコラーゲンなどを含む天然の接着剤「膠(にかわ)」を、10対6ほどの割合で混ぜて作る。香料を加えて練り、型に入れた後、数か月かけて乾燥させる・・・・

詳しくは記事を読んでいただくとして、私が気になったのは次の文章です。小学校と中学校では書道を習いましたが、その後は筆を使いませんねえ。
・・・奈良製墨組合によると、1935年に2265万丁(1丁=墨15グラム)だった固形墨の生産量は2013年に70万丁となり、たった80年で3%にまで落ち込んだ。書道人口の減少に加えて手軽に使える液体墨の普及が拍車をかけ、組合員数も減少した・・・

「高度成長」と「長期停滞」

2026年3月11日   岡本全勝

戦後日本の経済発展は「高度経済成長」「高度成長」と、その期間は「高度経済成長期」「高度成長期」と呼ばれます。この言葉は定着し、また書物もたくさんあります。例えば、吉川洋著『高度成長 日本を変えた六〇〇〇日』(1997年、中公新書に再録、2012年)が手頃に読むことができるでしょう。

私の分類では、戦後の経済を4期に分けています。「高度経済成長期」(1955~1973)、「安定成長期」(1973~1991)、「バブル崩壊後」(1991~2012)、そして「復活を遂げつつある現在」(2012~)です。「経済成長の軌跡2024
第2期は「安定成長期」と名付けましたが、この間には石油危機による成長低下とバブル期が含まれています。第3期は、失われた20年とも呼んでいます。

連載「公共を創る」を執筆する際に、バブル経済崩壊後の日本を何と名付けたら良いか悩んでいます。
経済学者に聞くと、「デフレ経済」や「長期停滞」と呼ぶのが多いそうです。「デフレ経済」は普通名詞としてのデフレを指すとも取られるので、「長期停滞」が良いのかなとも考えています。そして、この長期停滞(失われた20年、または失われた30年)を簡潔にまとめた書物が欲しいですね。経済だけでなく、日本社会について分析と評価をしたものです。

もう一つの悩みは、第4期の始まりをいつに取るかです。ひとまず2012年と置いてあります。そしてその期間を何と名付けるか。これは、しばらく見てみないとわかりません。

福井ひとし氏の公文書徘徊10

2026年3月3日   岡本全勝

アジア時報』3月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第10回「雪のむら消え(上)―文官たちの「二・二六」」が載りました。
1936(昭和11)年2月26日早朝に、陸軍青年将校らが、兵を率いて、首相官邸などを襲いました。今から90年前です。でも、私の生まれる20年ほど前のことだったのですね。大昔のことと、思っていました。

今回の記事は、襲われた内閣側にいた官僚たちの動向を、公文書から追っています。
内閣官房総務課長は、首相官邸敷地内の官舎で、事件を知ります。しかし身動きが取れないので、電話で要路と連絡を取ります。岡田啓介首相は生きていたのですが、それを公表すると、反乱部隊に再度襲撃される恐れがあります。首相が不在では閣議が開けないので、代理を指名する必要があります。首相が生きているのに、もう一人の首相を立てなければなりません。法形式はどのようにするのか。
警察幹部も大変です。陸軍の反乱に対し、警視庁は何をするべきか。陸軍との役割分担が、問題になります。警視庁建物は反乱軍に包囲されているので、幹部は近くの警察署に集まって、対応を協議します。
ほかの省庁は、どのようにしたか。当事者は命がけですが、今から読むとなかなか興味深いです。それにしても、よくまあ、こんな題材を思いつきますね。

私は大学3年生の時に、岡義達先生の政治学ゼミを取り、『西園寺公と政局』(全9巻)を読んでレポートを書きました。半年かけた、当時としては力作です。本棚に、本とレポートが残っています。その頃は、戦前の政治をかなり勉強して、政治家の名前なども覚えたのですが、今はすっかり忘れています。

婦人参政権はGHQの指示ではない

2026年2月24日   岡本全勝

男子普通選挙が実現したのは1925年で、去年で100年でした。戦前も女性参政権を求める運動があり、改正法案も国会に提出されたのですが、実現しませんでした。戦後の1945年12月の法改正で女性にも選挙権が認められ、1946年4月の衆議院議員総選挙で実現します。「法の下の平等」を定めた日本国憲法が公布されたのは、1946年11月です。

私は、この改革は占領軍による戦後改革の一つだと思っていました。そうではなく、日本政府が独自に決めたのです。時事通信社の専門誌『地方行政』2025年5月19日号に、山下茂・明治大学名誉教授が「「婦人参政権」付与は閣議決定が先ーGHQからの贈り物にあらず」で詳しく書いておられます。以下の記述も、主にそれによっています。

1945年10月9日に幣原喜重郎内閣が成立し、翌10日の閣議で堀切善治郎内務大臣の提案で、女子にも男子と同じ条件で選挙権を与えることを決定します。11日の閣議で、婦人参政権を含む選挙法改正の骨子を決定し、記者発表します。
夕方になって、マッカーサー元帥が首相を招き、婦人参政権を含む見解を伝えます。首相は会談の中で、その問題は昨日の閣議ですでに決定し、記者発表済み出あることを即答しました。マッカーサー元帥がその取り組みを賞賛したそうです。
12日の閣議で、首相から元帥との会談の模様を報告された閣僚たちは、みなで喜び合ったとのこと。
12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められます。地方参政権は、翌年の1946年9月27日の地方制度改正により実現します。

堀切内務大臣とともに、内務省の官僚たちが準備していたことがうかがえます。実は、幣原内閣の前の東久邇内閣でも、婦人参政権のための取り組みが進められていたのです。9月28日の閣議で、議会制度審議会官制要綱を決定し、審議会でこの課題も取り扱う予定でした。ところが、10月5日に東久邇内閣は総辞職してしまいます。
堀切大臣は内務官僚の時に、アメリカ、イギリス、ドイツに派遣され、男女平等選挙のワイマール共和国も詳しく調査していました。堀切大臣は、退官していた阪千秋氏を内務次官として復帰させ、選挙制度改革に取り組ませます。坂さんは選挙制度の権威で、各国の選挙制度を調査し、1928年には「比選と婦選」を公刊し、「婦選」への賛否両論まで詳しく述べていたのです。

ウィキペディアの「日本における女性参政権獲得までの歴史」にも書かれています。
この記事も途中まで書いて、放置してありました。そんなことばかりです。私は忘れているのですが、パソコンは覚えています。

人災による文化財の損傷

2026年2月16日   岡本全勝

1月26日の朝日新聞が、「文化財 危機と未来 悠久の宝、災害から守るには」を載せていました。
・・・私たちは「大災害時代」を生きている。悠久の時を刻む文化財たちも例外ではない。その歩みは被災と復興の繰り返しであり、それぞれの来歴を知ることは文化財の未来を占うことに等しい。先人が残した宝を次世代に引き継ぐため、いま私たちにできることはなにか。まずは被災の歴史を振り返ることにしよう。
1949年1月26日、奈良・法隆寺の金堂壁画が燃えた。酷寒の模写作業中で電気座布団の切り忘れが原因ともいう。日本が誇るアジア仏教美術の至宝の焼損が放った衝撃は翌年の文化財保護法のスピード制定につながり、被災の日は「文化財防火デー」として痛恨の記憶を後世にとどめている・・・

そして、写真ともにその後の文化財の損傷が載っています。台風や地震は仕方ないとしても、人災、主に火災が多いことに驚きます。
1950年7月2日には、金閣寺が放火で全焼。1954年8月16日には、京都御所内の小御所が、花火大会の打ち上げ花火の落下傘で全焼。1956年10月11日には、比叡山延暦寺大講堂が全焼。1976年1月6日には、平安神宮本殿や拝殿が放火で全焼。2019年10月3日には、首里城が炎上(電気設備からか)。
せっかく長年にわたって大切に保存されてきた建物が、こんなことでなくなるとは。