カテゴリーアーカイブ:政治の役割

総理のSNS投稿は行政文書か3

2026年9月7日   岡本全勝

「総理のSNS投稿は行政文書か2」の続きです。総理の発言などの保存についてです。

3 総理のその他(行政の長として以外)の発言
与党総裁としての発言など。これは、現在の行政文書の定義には含まれないでしょう。しかし、総裁として公約を掲げ、それを総理として実行するなら、これも行政にとって重要な資料です。高市総理のSNSの一部も、これに含まれるでしょう。
総理や大臣に関して、法律を作るか閣議了解などで、これら政務に関する資料を保存するようにしてはどうでしょうか。国立公文書館や国会図書館憲政資料室で保管し、一定年限後に公開するとよいでしょう。

4 総理の個人的記録
総理の日記などです。これも、3と共に重要な資料です。アメリカの大統領博物館などでは、保存・展示されています。総理が歴史に名を残すために、これらも保存・展示する仕組みをつくりたいものです。

理想は官邸内に担当官がいて、総理のところに入った資料、総理や秘書官のメモ、SNS原稿などをまとめて、任期終了後に公文書館に送るなどすると、内閣のよい記録になるでしょう。アメリカのケネディ大統領は記録に残すために、若き政治学者のアーサー・シュレジンジャー・ジュニアをホワイトハウスに補佐官として入れ、情報に接する権限を与えました。その記録を基に書かれたのが『ケネディ――栄光と苦悩の一千日(上・下)』(河出書房、1966年)です。

総理のSNS投稿は行政文書か2

2026年9月6日   岡本全勝

「総理のSNS投稿は行政文書か」の続きです。
世間では「公文書」と言いますが、現在はその用語は使わず、定義を変えて「行政文書」と言っています。「政府に「公文書等」はあるが「公文書」はない」

「高市首相のXへの投稿は行政文書に当たらず」では、「「歴史に名を残す」「歴史の審判を受ける」ためにも、行政文書として保存すべきだと思うのですが。将来、伝記や自伝を書かれる際にも、重要な資料となるでしょう」と書いたのですが、識者の意見も聞いて考えました。一律に行政文書として扱うのは(総理の発言などを含めて)、実務上も合理的ではないと思います。次のように分類してはどうでしょうか。

1 かつての公文書に当たるもの
定型化された意思形成過程についての文書。各省協議、法制局、審議会、閣議請議など、かつての「決裁書のついた公文書」。これは、役所としては残さなければならないものです。公文書管理法で、役所に作成と保存の義務がかかっています。いずれ公文書館に移管され、公開されるのでしょう。

2 それ以外の行政文書
現在「行政文書」としているもののうち、1を除いたもの。行政文書の定義は、①職員が職務として作って、②組織的に共用し、③今現在役所が持っていることです。これらは残すかどうか判断されますが、多くの場合、短期間で廃棄されているようです。私は、組織にとって都合の悪いやりとりや記録でも、後世に伝えるために、あるいは「保身」のためにも、残すべきだと思うのですが。「都合が悪いから廃棄する」ようでは、公務員への信頼は落ちるばかりでしょう。

それはそれとして、総理の発言も、職員が書き取って、組織的に共用し、持っているものなら、これに当たります。職員が総理に説明した資料や、総理の行動記録などもここに入ると思います。その中には政策の基礎となった総理指示などもあり、行政文書の中でも重要ですから、1に準じた扱いをすべきでしょう。なお、この場合は行政文書ですから、総理自身も持ち帰ったり、後で直したり廃棄したりすることはできません。総理も「自らの発言は記録として残る」と自覚して、発言するべきです。
この項続く

総理のSNS投稿は行政文書か

2026年8月30日   岡本全勝

8月28日の日経新聞夕刊に、「首相のX投稿は公か私か 政策紹介や反論も発信、公文書に残らず」が載っていました。

・・・高市早苗首相がSNSでの発信を多用している。重要政策の紹介や世論・メディアへの反論にも使う。その投稿は政府が保存する公文書に該当しないと説明している。政権幹部の言動の記録はどう規定されているのだろうか。
「政府の取り組みをどうしてもタイムリーにお知らせしたい場合もある」。首相は4月、首相官邸で語った。記者団からSNSの情報発信について問われた際の答えだ。
首相は平日の公務時間のほか、土日もX(旧ツイッター)でメッセージを発する。投稿件数は2025年10月の就任から26年8月下旬までの300日間余りで700件を超す。「久々に5時間も睡眠を取れた」「ゴキブリが足元を走り抜けた」。公邸の暮らしを記した私的な投稿もある。

目立つのは高市政権が取り組む経済や安全保障政策、外交などに関する書き込みだ。地震や大雨といった災害時には「政府として」と記して対応や方針を示す。自民党総裁選などで中傷動画の作成を依頼したという雑誌の報道に反論をつづったこともある。
投稿は首相の公式な発言に映る。ところが木原稔官房長官は7月の記者会見で「行政文書ではない」との見解を示した。「個人アカウントによる発信だ」と説明した。一方、佐伯耕三内閣広報官が首相の活動を紹介するXの投稿への見解は異なる。翌日の記者会見で「内閣官房の職員である広報官が運用するものは公文書だ」と述べた。
違いはどこにあるのか。行政文書は公文書管理法が規定する。①行政職員が職務上作成・取得②職員が組織的に用いる③行政機関が保有――の3要件すべてを満たすものを指す。広報官の発信はこれにあたるとの見解だ。省庁が作成する内部資料やSNS「公式アカウント」の発信も同様だ。
首相も立場としては行政機関の特別職だ。だが内閣府公文書管理課はXを「1人の政治家として用いるもの」と説明する。原則として行政文書の対象にならないという。①②③のいずれでもないとの考え方だ。

同法のガイドライン(指針)は意思決定の過程の検証に必要な文書は原則1年以上、保存すると求める。文字データに加え、録音や映像なども対象となりうる。
政府は2024年度で2000万超の行政文書を保有する。同年度は新たに300万件ほどが加わった。毎年、保存期間が終了した行政文書の9割前後は廃棄される。そもそも後世になって行政や政策判断の過程を検証できないとの批判もある。
高市首相のXでの投稿はこうした公式記録としてすら残らない。発信者側の判断で削除や訂正も可能だ。ネット上に履歴を保存した「魚拓」が残るとしても、後から内容や経緯を正確に検証しにくい。海外の民間プラットフォーマーに発信の保存や管理を委ねてしまう問題もある。

政治家がSNSで発信する機会は増えている。「公式発信」の線引きと記録を巡るルールが改めて問われる。
海外では記録が進む。米国は国立公文書記録管理局が大統領の発信を保存する。14年のオバマ政権時に大統領記録法を改正し、SNSなどの電子記録を含むと明確にした。
韓国も大統領記録物管理法で大統領の職務に関するSNS発信の保存を義務付ける。英国やオーストラリアは指針などで、SNSは公的な記録に該当するとの認識を示す。英国立公文書館は14年から首相や閣僚のSNSを収集する。スタート時に「将来の世代が歴史上の出来事を理解するために閲覧できるようにする」と理由を掲げた・・・
この項続く

 

相変わらず文化予算の少ない日本

2026年8月15日   岡本全勝

7月27日の日経新聞オピニオン欄に、坂本英二・特別編集委員の「文化軽視の政治いつまで 「日本美術館」は不要ですか」が載っていました。詳しくは原文を読んでいただくとして。そこについている表に、各国の代表的な美術館の来館者数や大きさ、職員数が載っています。

職員数について。
フランスのルーブル美術館は2000人、オルセー美術館は880人。
アメリカのメトロポリタン美術館は2000人、ニューヨーク近代美術館は750人。
日本の国立近代美術館は職員数74人、東京国立博物館は114人。

う~ん。そんなにも差があるのですね。経済大国と言っていたのは、何だったのでしょうか。「エコノミックアニマル」という蔑称もありました。

「美術館、日本の特徴」で、博物館・美術館は、訪日外国人にとって観光名所となり、日本の文化の歴史や水準の高さを知ってもらうよい方法だと書きました。

教育の政治的中立性

2026年8月14日   岡本全勝

7月31日の朝日新聞オピニオン欄は、「「政治的中立」に潜む政治性」でした。
・・・沖縄・辺野古沖で平和学習中の生徒らが死亡した事故をめぐり、文部科学省が異例の「違法」認定を下した。「政治的中立」に反するとの判断だが、見落とされていることはないか・・・

手塚洋輔・大阪公立大学教授の「行政と現場、見解交わして」から。
・・・政治的中立は使い方や時期によっても異なり、たえず変化し、多義的です。
政権与党の考える中立、野党にとっての中立、教育現場にとっての中立と、それぞれの中身は違っていて、何が違反なのかは行政と教育現場の対話によって探り、「相場観」を作りあげるしかありません。
しかし、文部科学省の違法認定は、どう中立を判断するのかという枠組みを確立させないままであり、行政組織として拙速でした。自民党やメディアからの非難の高まりを回避するための判断だったようにみえます。学校側への聞き取りはしたものの、正式な見解が出る前に判断をし、対話を軽視してしまった。教員は、自ら省みる能力と責任を持つ専門家集団であり、その「自律性」をまずは重視すべきです。

もしも今回のことが辺野古でなかったら、政治的中立の問題ではなく、安全管理が中心に問われていたかもしれません。もしも当事者の学校法人が大学を運営していなければ、文科省ではなく、都道府県の私学担当部署に判断が委ねられていたと思います。森友学園で園児に教育勅語を暗唱させていたことなど、過去には政治的中立が問題視される事案がありましたが、文科省が是非を示すことはありませんでした。今回の判断は、様々な条件が重なった結果でもありました。

学校側の対応にも問題があったと思います。弁護士だけで第三者委員会を構成しましたが、民間企業の不祥事の対応ならば、それでいいのでしょうが、ここで問われているのは平和学習という正解が一つではない問いです。弁護士だけでなく、他校の教員や教育の専門家を入れるべきでした。
行政も学校も、教育の専門性に関する検証を放棄したことが問題で、今後の参考になりません。これは文科省と一学校法人だけの問題ではなく、広く教育に関わるからです・・・

教育基本法
(政治教育)
第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。