カテゴリーアーカイブ:政治の役割

日本型福祉の前提が崩れ、新しい社会のリスクも

2026年3月30日   岡本全勝

3月8日の朝日新聞「田中拓道・一橋大教授に聞く」「福祉のかたち、政治が向き合う時」から

・・・第2次世界大戦の後、欧州の多くの国で福祉政策をめぐる政党間の競争が起きた。労働者側に立つ左派と、経営者側に立つ右派のせめぎ合いのなかで生まれたのが「ケインズ主義的福祉国家」だ。雇用を確保するとともに、病気や老齢などに備える。働く人たちの不安を軽減することで、経済成長を支えた。
それに対して日本では、福祉をめぐる政党間の競争が見られなかった。革新勢力といわれた社会党が、主に安全保障や憲法を対抗軸にしたからだ。むしろ政権にある自民党が、国民を統合するために、福祉に目を向けてきたといえる。

70年代後半には大平正芳内閣が「日本型福祉社会」を唱えた。公的な福祉を小さく抑える内容で、家族や地域の助け合いに重きを置いた。企業による福利厚生も、公的福祉の不足を補った。
前提になっていたのが「男性稼ぎ主モデル」だ。男性は企業に職を得られれば、企業年金や家族手当などが期待できた。女性は家庭でケア労働に従事することが想定された。
公的福祉は小さかった日本だが、雇用政策はケインズ主義的な面があった。中小企業や自営業者を保護することで雇用を維持し、農村部では公共事業などで雇用を生んだ。雇用が福祉を代替したとも言える。

しかし90年代以降は「日本型福祉社会」の前提が崩れ始めた。バブル崩壊とグローバル化のなかで企業は余裕を失い、家族のかたちも多様になった。公共事業もムダが指摘され、削られていった。日本だけ特殊な環境にはいられなくなった。
新しい時代にあわせて福祉国家をどう再建していくか。大きな課題だったが、残念ながら政治の力はそこに向かわなかった。90年代は政治改革の時期と重なり、政党の離合集散に膨大なエネルギーがつぎ込まれたからだ・・・

・・・いま日本を含む世界が直面するのは、老齢や病気、失業などの「古い社会的リスク」だけではない。産業構造の変化により、不安定な雇用が増えた。家族のかたちも変わり、困難を抱えるひとり親世帯も多い。こうした「新しい社会的リスク」に対応し、就労や育児など現役世代の支援に力を入れなければならない。福祉の中身を変える必要がある。
とくに日本では就労教育や就労支援などの「積極的労働市場政策」と呼ばれる分野が遅れており、その支出はGDP比で欧州の半分程度だ。
医療や年金とその負担のあり方は、数十年にわたる制度に関わることで、政権与党が変わっても簡単に変更はできない。政争の具にすることなく、主要政党による合意が必要だ。一方で「新しい社会的リスク」への対応では、各党が競い合って政策を示してほしい。困難を抱える人たちの声を拾い上げるための回路づくりも求められている・・・

先進国は「投資国家」へ

2026年3月23日   岡本全勝

3月4日の日経新聞経済教室、諸富徹・京都大学教授の「高市政権の「責任ある積極財政」、財源は不透明」から。表題とは異なる部分を紹介します。

・・・首相が演説で最も力を入れたのが危機管理・成長投資による強い経済の実現だ。人工知能(AI)・半導体、造船、資源・エネルギー安全保障・グリーントランスフォーメーション(GX)など17の戦略分野に財政資源を集中投下する。17分野が経済安全保障と密接に結びつきつつ、新たな産業政策として構想されている点に高市財政の本質があると筆者は考える。
これは、近年の産業政策の世界的な潮流と軌を一にする。その国の経済にとって死活的に重要な産業分野を指定し、政府が率先してリスクを取って長期投資することで予見可能性を高め、民間投資を促す。

半導体製造能力の強化を狙って米国のバイデン政権が22年に成立させたCHIPS・科学法、脱炭素投資の推進を狙った同年のインフレ抑制法(IRA)などが代表例だ。トランプ政権はこれらを換骨奪胎しながら、ますます戦略的な産業投資を強化している。
欧州連合(EU)もグリーンおよびデジタル分野の産業育成を目指す多年度の政府投資スキーム「次世代EU」を20年に創設した。日本では政府がGX経済移行債で調達した20兆円を先行投資し、民間のGX投資を促す仕組みが該当する。
地政学的リスクが高まるなか、どの国にとってもエネルギーや重要鉱物、半導体など戦略分野の製造能力とサプライチェーン(供給網)を確保する重要性が高まっている事情がある。

これは政府の役割の大転換を意味する。これまでは産業振興のため規制緩和や法人減税をし、産業立地の条件整備を行うことが政府の役割だった。だが近年は戦略分野の産業に対し、自国内で製造能力を増強する引き換えに政府が公的資金で長期投資するという手法に切り替わった。国家は「投資国家」としての相貌を帯びるようになったのだ。
もちろん財政は拡張的になる。だが、投資国家は収支を長期で合わせる。政府はリスクを取って投資する代わりに将来、成長の果実として税収増を獲得する。税収増が投資コストを上回れば、帳尻は合う・・・

3月21日の日経新聞オピニオン欄、小竹洋之・コメンテーターの「政府の「失敗」か「不作為」か 高市首相の戦略投資はやり方次第」は、産業政策の目的を、市場の失敗の修正に限らず、市場の創造や形成にも見いだす考えがあることを紹介しています。マリアナ・マッツカート、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授によると、社会的な課題の解決を目指す「ミッション志向」の積極的な政府介入を正当化し、「最後の貸し手」にとどまらず「最初の投資家」としての役割を求めるのです。

参考首相官邸ホームページ「日本成長戦略会議

首相が語る責任

2026年3月19日   岡本全勝

3月8日の日経新聞「風見鶏」、峯岸博・編集委員の「高市首相が語る「責任」の重み」から。

・・・「首相はうかつに『責任』という言葉を使わない」。駆け出し記者だった1990年代、先輩からそう教わった。さまざまな不祥事での閣僚交代をめぐり野党から任命責任を追及されても、どの首相もかたくなに責任論をかわし続けた。
任命責任を認めるのはすなわち辞めることを意味するとの不文律があったからだ。「責任」という言葉はそれほど重かった。

日本経済新聞のデータベースで「首相」と「任命責任は私にある」をセットで検索すると、90年代はゼロ件だった。それが2010年代になると急増する。
その多くが安倍晋三政権時代だ。閣僚が辞任するたびに安倍氏は野党が拍子抜けするほどあっさり任命責任を認めた。「国民に深くおわびする」と頭を下げ、それで幕引きが図られた。
刑事責任は刑事罰を、民事責任は損害賠償などを伴うが、任命責任の場合は閣僚が辞めても首相に法的な罰や賠償は科されない。
首相は企業の経営者らとは異なり結果責任が特定されるケースも少ない。歴代政権では競うように「地方創生」や「女性活躍」が叫ばれたが、成果が見られず責任をとって誰かが辞めたという話は聞かない・・・

・・・責任ある態度で積極財政を進められるだろうか。学習院大の野中尚人教授は「中身を考え方や数字、目標、財源などとセットにして、国民に説明を尽くすのが『責任ある』の言葉が意味する本来の姿だ」と指摘する。「それができなければ無責任になる」とも話す。
責任に言及するなら未達の場合は辞める覚悟か、相手が納得するまで説明する姿勢が必要というわけだ・・・

・・・ハリウッド大学院大の佐藤綾子特任教授(パフォーマンス心理学)によると、高市首相は環境によってくるくる変化する「カメレオン型」の表現がうまい。
それによって「約束を破るのではないか、最後まで責任をとれないのではないかとの疑問がでるのを想定し、先に『責任がある』と答えておくのは世論への予防線でもある」という。大風呂敷を広げても「責任ある」と付けると安心感を与えたり、けむに巻いたりできる魔法の言葉のようだ・・・

政権への委任拡大 空洞化する民主政治

2026年3月6日   岡本全勝

2月18日の朝日新聞夕刊、藤原帰一教授の「政権への委任拡大 空洞化する民主政治」から。

・・・日本に限った現象ではない。かつてアルゼンチン出身の政治学者ギジェルモ・オドンネルは、多元的民主主義の条件を備えながら権力のチェック・アンド・バランスが失われてしまった政治体制の類型として、「委任型民主主義」という概念を提起した。ラテンアメリカ諸国で民主化が進展していると信じられていた時代のなかにあって、民主政治の発展は当然のものではないと指摘したのである。
オドンネルがこの概念を提起した1994年から30年が経ち、委任型民主主義、すなわち民主政治の外見のもとにおける政府への委任と権力の集中はラテンアメリカなどの新興民主主義国ばかりでなく、欧州や米国においても政治の日常になってしまった。ナチス・ドイツにおける全権委任法のような授権法を経ることがなくても民主政治は空洞化するのである。

日本の政治ではもともと行政権力に委任された権力の幅が大きい。政権与党と野党との間において公平・公正な競争が制度的に保障されてきたと言うこともできない。そして2026年総選挙によって、政府への委任がこれまでになくひろがるだろう。私は日本が独裁に向かっているとはまだ思わないが、チェック・アンド・バランスと政治的競合がこれまでになく弱体化することは避けられないと考える。

では、なぜ高市首相が支持を集めたのだろうか。フランスの政治学者ベルナール・マナンは、主著「代表制統治の諸原理」(初版は1995年刊行)において欧州における代議制は民主主義の一形態としてではなく、本来は民主主義とは異なるはずの貴族支配と結びつくことで生まれたことを論じ、代表制民主主義の誕生を、その内部の緊張を含めて多元的に考察した。
その主著の終章で、マナンは観客民主主義という独特な概念を提起している。かつての選挙研究は有権者の社会的・経済的・文化的背景によって政治的選好を説明できたが、現在では社会・経済・文化的背景が変わらなくとも選挙結果が変わるようになった。それを説明する要因としてマナンが注目したのが、政治におけるパーソナリティーの役割の拡大だった。政治家は有権者に直接呼びかけ、世論はイベントやコミュニケーション戦略によって左右され、コミュニケーションのエキスパートが政治活動家や政党の官僚に代わる役割を果たすのである。

観客民主主義といっても、観客が政治を左右するわけではない。選挙における選択のイニシアチブは有権者ではなく政治家が握っているからである。観客民主主義における有権者は自分の利益や心情を政治に伝える主体ではなく、政治家がコミュニケーションによって操作する客体に過ぎない。代表制民主主義における政治権力への委任はさらに拡大することになる・・・

次世代へ投資する社会保障

2026年2月13日   岡本全勝

1月16日の朝日新聞オピニオン欄「ほころぶ社会保障」の続きです。橋本努・北海道大学教授の「次世代へ投資、少子化対策にも」から。

―社会保障に対する不安が高まっている背景には何があるのでしょうか。
「少子化による人口減への不安です。人口減によって国力や経済力が落ちていくことが明らかだからこそ、社会保障を維持できなくなるのではないかという不安が引き起こされている、という構図でしょう」

―昨年刊行の共著「新しいリベラル」で発表した意識調査が注目を集めましたね。日本の有権者がどのような福祉国家を求めているのかを探る調査でした。
「私たちの調査が可視化したのは、『子ども世代や次世代に投資する』という形の新しい社会保障の実現を求めている人々が2割以上いるという実態でした」
「もちろん2割は多数派ではありません。しかし、これまで見えていなかった2割の存在が可視化されたことには意味があります」

―どういう特徴を持つ人々だったのですか。
「従来の『弱者支援』型の社会保障とは異なり、個人の成長を支援する『社会的投資』型の社会保障を求める人々でした。個人の潜在能力の成長を可能にする社会的環境は『自由』の基礎です。それを求める人々という意味で『新しいリベラル』と名付けました」
「また調査では、従来型のリベラルには高齢世代への支援を重視する傾向が見られた半面、新しいリベラルの人々は子ども世代や次世代への支援を望んでいました。具体的には、子育てや教育などへの支援です」

―社会保障というと、年金や医療を思い浮かべる人が多そうですよね。
「ええ。欧州の国々と比べたときの日本の社会保障給付の特徴は、年金と医療の占める割合が高く、それ以外の割合が低いことです。次世代への投資は『それ以外』にあたります」

―調査結果の分析は、「新しいリベラル」の人々の社会保障ニーズに応える政党は存在していないと結論づけられていました。
「政党や政策について尋ねましたが、積極的に支持されている政党は見当たりませんでした。調査時期が2022年だったことには注意が要りますが、子どもや次世代への社会的投資が必要だと思う人々のニーズをすくい上げる政党がなかったことを示しています」