5月19日の朝日新聞オピニオン欄、泉徳治・元最高裁判事と江島晶子・明大教授の対談「最高裁判断を国際水準に」から。
旧優生保護法をめぐる違憲判決をはじめ、「憲法の番人」としての最高裁の存在感が近年、増しているようにも見える。しかし、これで十分なのか、司法の判断は国際水準といえるのか。制度改革について発信を続ける元最高裁判事の泉徳治さんと、憲法・国際人権法に詳しい明治大学教授の江島晶子さんが語り合った。
―今年は日本国憲法の公布から80年、自由権規約が国連で採択されて60年の節目の年です。人権を守るとりでである最高裁はその役割を十分に果たしているでしょうか。
江島晶子さん 障害のある人たちに不妊手術を強いた旧優生保護法を、立法当時から違憲だった、と判断した2024年7月の最高裁判決が考えるヒントを与えてくれます。賠償請求権が不法行為から20年の除斥期間経過により消滅したものとすることは、「著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない」と述べて、被害者の救済を図ったことは画期的でした。とはいえ、救済にあまりに時間がかかりすぎました。司法だけではなく、人権侵害を救済する仕組みを社会全体でどう整えていくか、という問題を投げかけました。
泉徳治さん いま振り返れば、被害救済すべきだというのは当然のことです。問題はなぜ、当たり前のことに気づけなかったのか。法律で制度が作られると、国民はそれが正しいものと思い込んでしまいます。被害者は声をあげるのが難しい。時間はかかったけれども、被害救済へつながったのは、世界の動きの影響があったからでしょう。例えば、1998年に国連の自由権規約委員会が日本に補償を勧告し、99年にスウェーデンで「不妊手術患者への補償に関する法律」ができています。
江島 外からの目と、当事者や被害者支援団体など内からの声が結びついたことが、被害者救済の推進力になったということですね。
泉 人権は世界共通の課題です。国連の条約機関の勧告に謙虚に耳を傾けること、世界の人権状況を把握して日本国内の人権の向上を図るために、国内人権機関を設置することが必要だということを、旧優生保護法の問題から学ぶべきです。
―戦後の最高裁の違憲判決を振り返ると、法律を違憲としたものが14件、裁判手続きなどを違憲としたものが15件で、計29件です。全体的にどう評価されますか。
泉 大きく三つの時期に分けられます。(1)1973年の尊属殺重罰規定を違憲とする裁判が出る前の段階(2)この判決が出てから2001年の司法制度改革審議会の意見書が出る前の段階(3)その後、です。(1)では自白のみによる有罪判決を違憲とするなど裁判手続きを問題にしました。戦後新しくなった刑事訴訟法が定着しておらず、修正が必要でした。(2)の時代に薬事法の薬局開設距離制限規定の違憲判決(1975年)、「一票の格差」が最大約5倍になった、公職選挙法の議員定数配分規定を憲法14条に違反すると初めて判断した判決が出ます(76年)。
(2)の時期で注目したいのは、中村治朗さんという英米法に造詣(ぞうけい)の深い人物が最高裁の首席調査官にいたということです。いずれの違憲判決もドイツの連邦憲法裁判所の判決や米連邦最高裁の判決などを参照していて、中村さんの影響が大きかったとみられています。
政府の司法制度改革審議会の意見書は、違憲審査制が十分に機能していないとして、憲法問題など重大事件に裁判官が専念できる態勢作りの検討などを提言しました。それ以降、法律を違憲と判断したケースが9件に上ったのは、意見書の影響があったと考えています。裁判官は当然、意識しますから。
この項続く