トモにする

トモにする
「あ、ちょう。・・・バクバク・・・ムシャムシャ・・・、お代わり~」
 地仙ちゃんはすごい勢いで食べています。地仙ちゃんの「食」には足りるということなど無いのです。お代わりを待っている間、地仙ちゃんは言いました。「つまりチュウゴクの大むかしはトモグイ集団? やっぱりちょうの?」 また何か誤解しているみたいです。
「「キ」という食器を示す形象を持つ文字には、他にもまず「饗」がある。この字は、「郷」の古い意味が忘れられて集落を指すようにのみ使われるようになった後「一緒にメシを食う」という元の意味を示すために、もうひとつ「食」を付けて作られた文字。つまり「郷」と「饗」は「古今字」に当たる。また、ごちそうを食べる「餐」、メシをこれから食う「即」、食い終わってもう要らないという状態の「既」など数多い。
 またヘンな誤解をしているようだから念のため言っておくけど、トモグイじゃなくて共食(キョウショク)。大むかしのチュウゴクのひとがニンゲンを食っていたであろうことは否定しないけど、「共に食う」ことはトモグイとは違うんだ。
 ①「共」という字は二本の手でお供えモノを捧げている姿を表す字なんだよ。二本の手両方で行うので「トモにする」「共同する」という意味になった。お供えをすること自体はニンベンを付けて「供」の字で表す。ニホン国では「供」の字を使って「お供(トモ)をする」という言い方をするけど、その場合は本来「伴」だろうね。
 また、「共」にさらに手を示すテヘンを加えると「拱」という字ができる。チュウゴクのひとがよくやる両手をそろえて胸の前に持っていくあいさつのしかたのことを「拱手礼」というんだけど、「共」という形象を持つ文字には、神様へのお供えや尊敬すべきひとへのご挨拶など、何となく「うやうやしい」行為が関連しているみたいだね。 ということで、お供えモノをするときの「うやうやしい」キモチを②「恭」という。
 ニホン語で同じくトモと読む「友」も③にあるように二本の手からなっている文字だ。こちらの二本の手はどちらも「又」(ユウ)。現在では「または」という読み方をしているけど、本来「又」は右手を表す文字。「友」はこれを二つ重ねていて、両手で何かを持っている①の「共」と違って、二人が右手で協力している状態を表しているんだよ」
「ふうん・・・、トモダチは二人でクイモノを取り合っているの?」
 先生は誤解を解こうとしましたが、そこへお代わりが来ましたので、地仙ちゃんはまたバクバクと食べはじめました。すごい量です。店のひとたちが地仙ちゃんを見ながら目配せをしたり、ひそひそバナシをしたりしています。
「ふう・・・。ゴチチョウちゃま。もっと食べてもいいけどビヨウやケンコウにも気をつけないといけないから、これぐらいにちておくの」
 ようやく食べ終わりました。
 すごい額のお勘定をすませて、二人は金陵の町に向かって出発します。道々、「センセイとあたちはトモグイ集団になってちまいまちたね~」と話しかける地仙ちゃんに対して、先生が何度も後ろを振り向きながら言いました。
「地仙ちゃん、さっきのお店を出てから誰かに尾行されているような気がするんだけど」
「地仙ちゃんのファンのひと? ・・・センセイ、お勘定をゴマカちたんじゃないの?」
 地仙ちゃんはノンキなものですが、先生は心配でならないようです。