ココロにもアラずなのに悲しい

「家」というのはイヌ犠牲やブタ犠牲によって清められた建物を意味し、ブタ小屋のことではないのです。地仙ちゃんは説明を聞いてわかったのでしょうか。
「カンレイサイのおウチは、ブタ小屋ではないのね。でも温かいカテイではないのね」
「家庭が温かいものかどうか・・・、冷たい家庭というのも十分あるが・・・。
「家庭」の①「庭」(テイ)といのも大昔の儀式の一端を垣間見せるオモシロい字だよ。「庭」の訓である「ニワ」というのはもともとニホンの民家において「屋根の下だけど土間になっていて、屋内作業のできる空間」を言ったのだが、今では「家屋などに付設された屋根のない空間」を指す言葉になっている。
チュウゴクの「庭」も、今では屋根の無いところを指す文字だけど、字の構成としては②「廷」にわざわざ屋根をあらわすマダレを付けた文字だ。「廷」は、「壬」(テイ。壬(ジン)とは別の字)の置かれた宮中の中庭を現し、「壬」とはナニかというと、「奉呈」などの「呈」の字の下にもある形象で、ナニかを載せてお祀りする台座らしい。
で、この壬の置かれた中庭(廷)には屋根が無かったのだけど、わざわざ屋根をつけた「廷」を指すのが「庭」。「家」と「冢」の関係と同じだね。もともとはそういう意味だったんだけど、ニホン語の「ニワ」と同様に、いつの間にか「庭」は屋根の無い中庭、一方「廷」は「宮廷」のように建物の一部を指す文字になってしまったワケだ。ちなみに「庭」は論語の「過庭」「庭訓」の故事からコドモにモノを教える場所ということになり、「家庭」と熟して家族のつながりを現すコトバになった」
とか言っているうちに地仙ちゃんはもう興味津々で耐えられなくなってきたのでしょう、肝冷斎のお家の閉ざされた扉をドンドンとたたき始めました。
「カンレイサイ、おマエは包囲されているの、モタモタちてないで出てきなちゃ~い!」
「あ、地仙ちゃん、そんなにドンドン叩かなくても・・・」
「ピリピリ~(地仙さま、落ち着いてください)」
なにしろチカラが強いコです。ドンドンと叩いているうちに、どかん、ばりばりーっ、とすごい音を立てて、もともとボロかった長屋の扉は真っ二つに割れてしまいました。
これはいけません。ひとのおウチをコワしてしまったのです。さすがにマズいので、「扉は「戸に非ず」と書くから、叩いても開かなくてコワれてちまったの・・・」と言い訳をブツブツ言い出しました。
「いや、扉を「戸に非ず」と読むのはゴマカしだよ。漢字の作られ方には「仮借」という手法があって、発音の似ている別の意味の文字を持ってきて文字の本来の意味でない意味に使うことがある。
③「非」というのはもともとは「あらず」という否定を意味する文字ではなくて、通説では「鳥の羽の象形」、最近では「両側に歯のある櫛の象形」だと言われている。羽や歯が両側にあるので、「並ぶ」のほか「反対」とかいう意味も出て、そこから「非ず」の意味に借りたというつながりで説明される。
で、片側だけの戸が④「戸」、両側に開く戸が「扉」。「戸」が「並んで」いるというわけだね。なお、葦などで作られた戸が「扇」という文字の本来の意味」
「では「悲しい」のキモチは「ココロにもアラず」ではなくて「櫛のココロ」なの?」
「「悲」は「痛なり」とされ、櫛を使うときにぎしぎしと痛かった、そのキモチが「悲しい」につながったのだろうといわれているよ」
家をコワしておいてノンキに漢字の解説とは、センセイも常識にアラずのひとですね。