カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「梅棹忠夫の日本の宗教」

2020年7月9日   岡本全勝

梅棹忠夫著・中牧弘允編著『梅棹忠夫の日本の宗教』(2020年、淡交社)を読みました。梅棹先生が亡くなられてから、10年が経ちます。この本は、少々複雑な方法で、できたようです。出版社の紹介には、次のようにあります。
・・・淡交社が昭和44年より刊行した「世界の宗教」シリーズの掉尾12巻は、梅棹忠夫著「日本人の宗教」を予定するも、刊行が叶いませんでした。本書では、梅棹資料室に残されている、執筆のメモ書きに相当する「こざね」約350手掛かりに、氏がどういう話を展開しようとしていたのか、中牧弘允氏が推理しました。本稿を中心に、日本宗教に関する梅棹氏の論考・対談を集めて、幻の「世界の宗教」第12巻「日本人の宗教」を、生誕100年(没後10年)を機に刊行します・・・

中牧先生のおかげで、梅棹先生がどのような視点で、どのような項目を立てておられたかが再現されています。それを見ると、梅棹先生らしい視野の広い研究で、本にならなかったことがとても残念です。
私は、これまでの思想や宗教論が、知識人、提供者側の議論であって、受け手である庶民の視点が抜けていることに不満を持っています。「日本の思想史」「エリート文化と民衆文化
梅棹先生は、「メーカーの論理とユーザーの論理」と指摘されます。そして、ユーザーの立場から、日本の宗教状況を議論する予定だったようです。「宗教状況」という言葉が、ユーザーからの議論になっています。私の言いたいのは、まさにこれです。
この項続く

インターネット上の誹謗中傷

2020年7月4日   岡本全勝

インターネット上での誹謗中傷をどのように防ぐか、大きな課題になっています。匿名での無責任で、度を超した書き込みです。7月1日の朝日新聞「SNSが牙をむく時」と、読売新聞「ネット中傷 開示制度見直し」が専門家の意見を載せていました。

私は、このホームページでも書いているように、匿名が人を大胆にかつ無責任にすると考えています。実名では言えないことを、匿名で発言するのは、卑怯です。
両新聞に載った意見を読んでいると、匿名を守る意見は、言論の自由を守るべき、権力者への批判が萎縮するとの理由のようです。

とするなら、政治的意見や、権力者や著名人への意見は匿名を許すとして、その他の一般人への中傷的書き込みは実名を明らかにできる仕組みにすれば良いと思います。
その判断は、独立した機関が行えばよいでしょう。子どものいじめなど、許されない中傷を防止する機能を果たすと思います。

容器包装プラスチック

2020年7月1日   岡本全勝

6月28日の朝日新聞、「環境 転換点2030 脱・プラ社会:2」は「容器包装の再資源化、道半ば」でした。そこに、「廃プラスチック、再資源化の流れ」の図がついてます。詳しくは、原文を読んでいただくとして。

それ(プラスチック循環利用協会)によると、2018年の廃プラスチック総排出量は891万トンです。ちなみに、最近の米の生産量は、800万トンを下回っています。私たちが食べているお米より、たくさんのプラスチックが捨てられています。そう考えると、恐ろしいことです。
再生利用されているのは208万トン、23%でしかありません。後は、燃やしたり埋め立てられています。
工場や企業から出る分が462万トンです。家庭から出る分が429万トン、うち容器包装が336万トンです。
使い捨ての容器や包装が、圧倒的に多いのです。スーパーマーケットやコンビニでものを買ったり、持ち帰り食品を買うときに入れてもらうレジ袋は、便利ですよね。これらは、使い捨てだから便利なのです。しかし、ゴミ回収に出されず、捨てられた容器や袋は、街、野山、そして海を汚しています。

連載「公共を創る」第46回で、レジ袋の便利さと使い捨てゴミになることを指摘しました。そこでは、レジ袋の使用量を40万トンと紹介しました。いろいろ調べたのですが、正確な数字が出てこなかったのです。ひとまずこの数字を信頼すると、家庭から出る廃プラスチックの1割がレジ袋です。
7月1日から、プラスチック製レジ袋が有料になりました。

授業時間は短縮できるか、2

2020年6月30日   岡本全勝

授業時間は短縮できるか」の続きです。

阿部彩さん(東京都立大学教授)の発言
・・・私は、コロナ禍の前から「夏休みは絶対に短くするべきだ」と主張してきました。
決して「もっと勉強時間を確保すべきだ」という理由ではありません。長期の休みは、家庭間の格差が顕著に表れて、子どもたちの心身に大きな影響を及ぼすという理由からです。

いまは共働き世帯が主流なので、夏休みは一日中、留守番という子どももたくさんいます。親の経済状況によって旅行やスポーツ合宿といった体験ができるか、給食がなくても毎日きちんと栄養が取れるか、なども左右されます。
いまは虐待や貧困など様々な事情を抱える家庭が増えています。国や自治体は自治体ごとの格差や、学校単位で生まれた格差には敏感ですが、なぜか家庭間の格差には関心が低く、取り組みも不十分でした。

そんな行政の無関心さが響いたのが、今回のコロナ禍における一斉休校要請です。
苦しい状況にある家庭の支援に動いてきた居場所事業も軒並みストップしました。ドリルを買えたか、親が隣で学習指導ができたか、昼食を提供できたか……。いろいろな場面での経済格差が、休校の前と後で積み重なり、家庭間格差は確実に広がってしまったように思います。
私は、一斉休校は、家庭の事情に対する行政の無配慮から生じた「人災」だったと思います。被害者は「学校に行かない」という道しかなかった子どもたちです・・・

ここには、知識を学ぶという授業以外の、学校の機能が見えます。

授業時間は短縮できるか

2020年6月29日   岡本全勝

6月26日の朝日新聞オピニオン欄「夏休みの短縮、必要?」から。
・・・ 「授業ができなかったからといって、夏休みを短くするのは反対」。5月26日付本紙で、元小学校教員・森田太郎さんの意見を掲載したところ、メールで寄せられた反響は真っ二つに割れました。工夫次第で授業時数は減らせるという森田さんの意見に対し、同じ教員経験者の多くは反対意見でした。ゆっくり学んで理解していく子には、授業で時間をかけることこそ必要だというものです。一方、子どもを持つ親は賛成意見が目立ちました・・・
その背景には、コロナウイルスによる授業の遅れを取り戻すという観点だけでなく、学校教育の在り方についての議論があるようです。

・・・十数年前、教育界で「七五三」という言葉がはやりました。小学生の7割、中学生の5割、高校生の3割しか学習内容を理解していない実態を示した言葉として、多くの教員たちは同意していました。
教師の指導技術が優れていれば、ある程度は時短授業が可能です。しかし、漢字力や計算力など、記憶しなければならない基礎学力を、長い時間をかけることで身に付けていく子も一定数、いるのです・・・

・・・久しぶりの登校日も、学校からの連絡は「友達と遊ぶ約束をしていた子がいるが遊ばせないで」「名札をしっかりつけて」と注意ばかり。そして、夏休みの短縮です。子どもの気持ちを一切考えず、アリバイづくりをしているようにしか思えません。子どもの学習は、授業数だけで決まるものではありません。
もちろん、夏の間も希望する子に補習をするのはいいと思います。一律にやらなくてもいいのではないか、ということです。
もともと、日本の義務教育は、進級の基準がなく、皆勤賞万歳の文化です。これを機にもっと通学の自由度を高くし、どのような状態になれば進級できるのか、基準を明白にすべきだと思います。
もう、子どもは全員黙って学校に行けばいい、という時代は終わったと思います・・・

工藤勇一さん(横浜創英中学・高校校長、前麹町中学校長)
・・・現在、多くの学校がコロナ禍の学習の遅れを取り戻すため、たくさんの宿題を出したり、夏休みを大幅に短縮したりしています。確かに必要な対応の一つかもしれませんが、学習時間を確保することだけに躍起になってしまっては、子どもたちの自ら学ぼうとする力をますます奪ってしまうように思います。
本来、学校は子どもたちが社会を主体的によりよく生きていくためにあるはずで、子どもは自ら主体的になって学んでこそ、最も成長を遂げます。子どもの自律を重視する授業をすれば、たとえ時間が短くても、子どもはきちんと理解できます・・・
・・・長らく日本の教育は、時間をかければ、学力が上がると信じられてきました。決まった時間、授業を受けたら次の項目や学年に進むという「履修主義」が背景にあります。
これからの時代は、身についたら次へ進む「習得主義」へとかじを切るべきです。今回の災厄を、日本の教育のあり方を変えるきっかけにできるのでは、と考えます・・・
この項続く