「梅棹忠夫の日本の宗教」2

梅棹忠夫の日本の宗教」の続きです。その本では、次のような項目が予定されていました。
神社、氏神、祭り、伊勢参り、ハレとケ、地鎮祭と竣工式
仏教、寺院建築、庭園、僧侶、縁起、因果応報、神仏習合、廃仏毀釈、禅、精進料理、巡礼
巫女、恐山、霊験、寄進、修験道
道教、たたり、まじない、大安仏滅、七福神
葬式、墓参り、冠婚葬祭などなど。
その幅広さに納得します。文化人類学の本領発揮です。でも、なぜ先生のような視点からの議論や研究が、広がらなかったのでしょうか。

また、日本人が複数の宗教を信じることについて、それが混じり合っているのではなく、「神々の分業」であると指摘されます。これは、私たちの感覚に合いますよね。お正月は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、神頼みは神道と、目的によって宗教を使い分けているのです。
私は、このような宗教の利用は、生き方の指針や悩んだときの相談として、宗教が機能していないことです。神々の分業は、物を買うように、その時々の目的に合った神を買うのですが、心の拠り所としての神ではないのです。それは、死を迎えたときに明らかになります。

ここは、連載「公共を創る」でいずれ触れなければならないので、しばらく温め続けます。返す返すも、梅棹先生の本が出版されなかったことが残念です。