カテゴリーアーカイブ:政治の役割

作為の失敗、不作為の失敗2

2021年6月30日   岡本全勝

作為の失敗、不作為の失敗」の続きです。
不作為の失敗の一つに、改革の遅れがあります。環境が変化しているときに、それへの対応に失敗するするのです。改革が必要なのに、それを先送りするのです。
「茹で蛙」(ゆでガエル)といわれるように、徐々に起きる変化は気がつきにくく、対応に失敗することが多いようです。

バブル経済崩壊後の日本の改革の遅れは、これに該当するでしょう。いくつもの行政改革が行われましたが、まだまだ十分ではありません。
また、政府予算も地方財政も、毎年大きな赤字を積み重ねています。歴史的にも諸外国比較でも、突出しています。しかし、歳出はいろいろな理由でふくれあがり、他方で消費税をはじめ税負担は先進国では最低水準です。後世に子や孫からは、恨まれるでしょうね。

日本企業も、技術の進歩や国際競争の激化に対応できず、地位を落としています。電機メーカーが代表でしょう。
責任者たちは「私は間違ったことはしていない」と弁明するでしょうが、従来の路線を続け、転換しなかったことが間違いだったのです。しなかったことの失敗です。しかしその時点では間違いは目立たず、後になってからツケが回ってきます。
「だれも悪くなかったのに、組織は衰退した」です。企業なら業績が悪化し、倒産するのでしょう。国家の場合は、子孫にその負担が回ります。

成功した組織ほど、改革は難しいです。それまでの成功を捨てなければなりません。そして組織の長や責任者たちは、旧来の組織の中で出世してきた人たちです。旧来型の発想が身についた、旧来のエリートなのです。

当事者は大局的に物事を見ることができなくなり、部外者の方がその状況をよくわかることもあります。岡目八目です。
政治家や官僚の評価は、10年か20年後にわかるのでしょう。後世の人から「なぜあの時やらなかったのですか」と問われた時に、明確な説明ができるように心がける必要があります。「気がつかなかった」も「仕方なかったんだよ」という言い訳は、無責任です。「そのときの勢いで(進んだ。止めなかった)」とは、責任者の言う言葉ではありません。

作為の失敗、不作為の失敗

2021年6月29日   岡本全勝

「失われた20年」といわれるような、日本の失敗について考えています。特に、やらなかったことの失敗です。

失敗には、2種類あるようです。やったことの失敗「作為の失敗」と、やらなかったことの失敗「不作為の失敗」とです。
やったことの失敗は目に見えますが、やらなかったことの失敗はわかりにくいです。必要なことをせず、やっておかなかったことが、後に悪い結果をもたらすのです。その時点ではわからず、時間が経ってからわかります。「なぜ、あの時にやっておかなかったんだ」とです。

例えば、東京電力福島第一原発の津波対策です。また、今回の新型コロナウイルス感染症についても、日本のワクチン開発能力の低下が指摘されています。かつては「ワクチン先進国」でした。副作用が問題になり、接種に消極的になって、開発も力を入れなくなったとのことです。「行政の決断と責任

やらなかったことの失敗の一つに、中止しなかった失敗があります。例えば、山登りで悪天候になったり道に迷ったりして、遭難する場合です。引き返す判断をしなかった失敗です。

太平洋戦争はやったことの失敗ですが、やらなかったことの失敗とも見ることができます。動き出した事態で「このままだと失敗するな」と思っていながら止めないことは、不作為です。太平洋戦争に突入した際の日本軍幹部と日本政府幹部が、これに当たるでしょう。
「戦争できますか?」と聞かれれば、軍人は「できません」とは言えません。山本五十六・連合艦隊司令長官が「是非やれと言われれば半年や1年は随分暴れて御覧に入れる。2年3年となれば全く確信がない」と答えた話は有名です。
これは冷静に解釈すれば、「負けます」ということです。陸軍も海軍も「見えていた人」は、止めてほしかったのでしょうね。
この項続く

宇野重規教授「民主主義の危機」

2021年6月23日   岡本全勝

6月17日の朝日新聞オピニオン欄、宇野重規・東大教授のインタビュー「民主主義を信じる?」から。
・・・民主主義の危機があちこちで語られている。ポピュリズムの広がり、日本政治の現状、権威主義体制の台頭、巨大プラットフォーム企業の影響の高まり……。背景に様々な動きがある中、政治学者の宇野重規さんに聞いた。危機の本質は何ですか? 本当に危機なのですか? そして、民主主義を信じられますか?・・・

――昨年10月、日本学術会議の会員に推薦されたのに菅義偉首相から任命を拒否されました・・・学問の自由、日本学術会議法の問題として批判されました。民主主義とつながりますか。
「政権が判断の理由を一切説明しなかったことが問題だと考えました。各人が自分の判断や意見の理由を説明するのは、民主主義が機能するための基本的な条件だからです。私個人の任命拒否が妥当かどうかとは別問題です」
「なぜそう考えるか。どんな判断・意見であっても、まずはその理由が示されることで、議論が始まります。今回の問題であれば、政権が理由を明らかにして初めて、世論の側から疑問や批判も生まれる。政権側もさらに応答していく。こうした意見の応酬こそが、民主主義の基盤なのです」
「民主主義は短期的には誤った結論を導き出すこともあります。ただ、多様な意見が示され続ける社会であれば、振り子のように修正がきく。一方今回のように『理由の提示』がない状況では、健全な論争ではなく、臆測と忖度が誘発される。結果的に、言論や学問の自由も損なわれてしまいます」

――ポピュリズムや権威主義体制の台頭も「危機」と言われます。警鐘を鳴らすのは重要ですが、常に「危機だ」と言われると釈然としない部分があります。
「『オオカミ少年』のように見えてしまうということですよね。ただ、私はいま『これまでの危機』とは違う局面にあると考えています。民主主義の基本的な理念の部分が脅かされているのです」
「私たち自身の中に、『平等な個人による参加と責任のシステム』自体を否定する感情が生まれつつある。自分たちが意見を言おうが言うまいが、議論をしようがしなかろうが、答えは決まっている。ならば誰か他の人が決めてくれればそれでいい――そういう諦めの感覚に支配されること。これこそが民主主義の最大の敵であり、脅威だと思います」

7か国財務相会合、対面会議で困難案件に合意

2021年6月12日   岡本全勝

6月9日の読売新聞に「課税合意「サプライズ」法人税最低15% G7財務相、対面で結束」が載っていました。
・・・ロンドンで開催された先進7か国(G7)財務相会合は5日、世界共通の法人税の最低税率や米IT大手などを対象とする「デジタル課税」の導入に向けて具体的な水準で一致した。対面形式の復活やG7の結束を示したい思惑が重なり、「サプライズ」の合意を生んだ。
「歴史的なことでしょうな。つくづくそう思います」。麻生財務相は8日の記者会見で満足そうに振り返った。
G7会合前、米国が法人税の最低税率を「15%以上」と明記することを強く求めたのに対して、議長国の英国は慎重な姿勢を示していた。日本政府内では当初、共同声明に具体的な数字を盛り込むのは難しいとの見方が大勢だった・・・

・・・雰囲気を一変させたのは、約2年ぶりとなる「対面」の会議形式だった。オンライン会合は事務方が仕切った段取りに沿って行われるケースが多く、政治家同士の微妙な駆け引きには向かない。7か国の財務相は今回、顔と顔をつきあわせて個別会談や非公式の意見交換を重ね、急速に相互理解を深める。麻生財務相はG7が結束を示すことの重要性を説いて回った。
「デジタル課税の具体策を明記できれば、英国は『最低税率15%以上』を受け入れるかもしれない」。会議前にあった漠然とした期待が、時間を経るにつれ確かなものに変わっていく。
会合の終盤。英国のスナク財務相が「利害対立はあるが、我々に大事なのはメッセージを出すことだ」と呼びかけると、室内に大きな拍手がわいた・・・

・・・世界では法人税の引き下げ競争が40年近く続き、米調査機関タックス・ファンデーションによると、1980年に40・11%だった世界の平均税率は2020年に23・85%に下がった。税制は工場やオフィスなど物理的拠点を根拠に課税しており、国境を越えてネットビジネスを手がける巨大IT企業に適切に課税できていない。国際的な最低税率の設定とデジタル課税のルール作りは、こうした問題を是正する狙いがある。
ただ、国際的な合意への道のりは険しい。法人税率を低く抑えるなど税制優遇で海外企業を誘致してきた国々が反発している。財務省内では「G7の合意は一里塚」との声がある・・・

「国会」がない国際社会では、合意を得るのが難しいです。この動きが進むことを期待します。日本のマスメディアは、このような国際行政についての報道が少ないですが、もっと伝えてほしいです。
リーマン・ショック後の麻生内閣の国際貢献(IMFへの1千億ドルの拠出)について、官邸の記者会見ではまったく反応がありませんでした。記者クラブにいる政治部記者が、ことの重要性を理解してくれませんでした。担当した浅川・総理秘書官(現アジア銀行総裁)と、がっかりしたことを思い出します。

個人の尊重、個人データの保護と利活用

2021年6月10日   岡本全勝

6月2日の朝日新聞オピニオン欄「DX(デジタル化による改革)なんのため?」、曽我部真裕・京都大学教授の発言「利活用で個人の尊重を」から。

・・・民間ではDXが進み、行動履歴までもがデジタル技術で個人データとして記録され、やり取りされています。
なぜ行政のDXだけがこんなに遅れたのか。理由は、個人データの「利活用」よりも「保護」に長らく重きが置かれてきた歴史にあります。
プライバシーという権利は日本国憲法には明記されていませんが、13条が定める「個人の尊重」から導き出されて保護されてきました。データの「利活用」は、情報の漏洩や乱用などは13条で保障されるプライバシー権の侵害になります。さらに、個人のデータがプロファイリングなどのデジタル技術で分析され、意思や選択を操作されることは、「個人の尊重」を脅かすとみなされてきたのです。

しかし、コロナ禍は、行政が個人データを適切に扱えないことが、別な意味で「個人の尊重」という価値を損ねていることをあぶり出しました。この苦い経験を踏まえてこれからの行政は「個人の尊重」を保障するために、データの積極的な利活用に踏み切るべきではないでしょうか。
その際、自分のデータがどこでどのように使われているかを知ることができる透明性の高い仕組みにすることが不可欠です。また、霞が関のシステム改革や民間人材の登用も必要になるでしょう・・・