3月9日の読売新聞、「東日本大震災10年」に関する全国世論調査から。
・・・被災地の復興が「進んでいる」と思う人は、「非常に」4%と「多少は」66%の計70%に上った。震災から1年後の2012年調査(面接方式)で「進んでいる」は25%だったが、5年後の16年調査(郵送方式)で初めて5割を超え、今回調査で7割に達した。
復興のスピードについては、「想像していたより時間がかかっている」が59%を占めた。地域別では、北海道・東北と関東は6割台、他の地域は5割台と差がみられた・・・
3月9日の読売新聞、「東日本大震災10年」に関する全国世論調査から。
・・・被災地の復興が「進んでいる」と思う人は、「非常に」4%と「多少は」66%の計70%に上った。震災から1年後の2012年調査(面接方式)で「進んでいる」は25%だったが、5年後の16年調査(郵送方式)で初めて5割を超え、今回調査で7割に達した。
復興のスピードについては、「想像していたより時間がかかっている」が59%を占めた。地域別では、北海道・東北と関東は6割台、他の地域は5割台と差がみられた・・・
3月2日の福島民報に、復興に関する住民の評価調査が載っていました。「復興施策評価52.2% 評価できない39.4% 双葉郡8町村住民」
・・・東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から十年となるのを前に、福島民報社が実施した双葉郡八町村の住民に対する聞き取り方式の意識調査と双葉郡以外の県民への電話による調査では、国と県の復興に向けた取り組みへの評価を尋ねた。双葉郡八町村では、評価するとの回答が計52・2%で過半数を占めた。ただ、評価できないとの回答が計39・4%あった。
さらなる復興に向けて求めたい取り組みは「医療・福祉の充実」が42・0%と最多となった。社会基盤整備や除染などが進む一方、住民が安心して生活するための環境整備の強化を求めている実態が明らかになった・・・
・・・理由を自由回答で聞いたところ、「高く評価する」と回答した葛尾村の七十代男性は「除染をやってもらえたことが一番大きい。ただ、一部が除染されていないのは気掛かりだ」とした。「おおむね評価する」と答えた富岡町の六十代女性は「除染や建物の解体、地域の整備、災害公営住宅の完備などが少しずつ進んでいる」と理由を挙げた・・・
半数もの方が、評価してくださっています。もちろん、厳しい意見もありますが。
大震災から10年ということで、出版物も多いです。ひょうご震災記念21世紀研究機構編『総合検証 東日本大震災からの復興』(2021年、岩波書店)が、多方面から復興を検証しています。
五百旗頭真先生の「復興思想の変容」に始まり、次のような分類で、23の論文が並んでいます。
・巨大地震・津波の衝撃
・原子力災害と福島の復興
・地域のくらしと住宅の復興
・産業・雇用と教育の復興
・復興を支える仕組み
・記憶の伝承と教訓
最後は、飯尾潤先生の「東日本大震災の復興から得られた46の政策提言」と、御厨貴先生の「災後の時代とは何か」で締めくくられています。(インターネットで、目次を見ることができないのが残念です。)
このような多面的な角度から検証ができるのも、それだけさまざまな面から復興に取り組んだから、新しい政策に取り組んだからだと思います。
日経新聞夕刊「人間発見」。今週は、佐藤良一・農業法人紅梅夢ファーム社長の「農で福島取り戻す」です。
・・・東日本大震災から10年。農業法人「紅梅夢ファーム」(福島県南相馬市)社長の佐藤良一さん(67)は、住民や農業者の大半が戻らない同市小高区で、米作りなどの営農再開をけん引してきた。自らも9代続く農家。その取り組みは、かつての古里を取り戻す挑戦にほかならない・・・
・・・避難指示は2016年7月まで続きました。区内2900ヘクタールの農地を避難した住民の助けも受けて徐々に整備し、震災翌年の12年に原発事故の被災自治体で初めて水稲の試験栽培を実現しました。14年には一部を出荷できる実証栽培、そして営農再開へつなげました。
17年に立ち上げた紅梅夢ファームは、避難している地権者から預かった農地も活用し、県のブランド米「天のつぶ」などを作っています。天のつぶはアイリスオーヤマグループを通じ、パックご飯などで全国に販売しています。会社で耕す田んぼは、17年の9ヘクタールから22年に150ヘクタールまで広がる計画です・・・
紅梅夢ファームは、このホームページでも何度か取り上げました。
あの日2011年3月11日から、10年が経ちました。その9年半を、復興に従事しました。しばしば使う表現ですが、「長かったけど早かった」というのが、私の感慨です。多くの市町村長も、同感してくださいます。
これまでにない災害で、当初は先行きも見えず、走りながら課題を解決してきました。津波被災地では、5年目くらいで先が見えてきました。もっとも、その後も次々と新しい課題が出てきたのですが。原発被災地では、まだ避難指示が解除できていない地域もあります。津波被災地とは違った、難しい問題です。
テレビや新聞も、関連の報道で埋まっていました。10年という一つの区切りを思わせるものでした。
津波被災地では工事が終わり、復興はほぼ完了しました。10年でここまで来ると予想した人はいなかったでしょう。また、産業再開、コミュニティ再生支援に乗り出すと考えた人もいなかったでしょう。その点では、及第点をもらえると思います。にぎわいの回復など、残された問題もありますが、地域の人たちで解決していって欲しいです。
原発被災地では、まだ復興は始まったばかり、まだ着手できないところもあります。しかし、10年でここまで帰還できると想像した人も少なかったでしょう。予想に反して、放射線量の減衰が進んだからです。もっとも、まだまだ長期間にわたる対策が必要です。政府が最後まで責任を持って、復興を成し遂げて欲しいです。
5年目の節目には、次のようなことを書いていました。まだ復興事業の真っ最中でした。「5年目の3月11日」。また「東日本大震災 復興が日本を変える」をまとめました。
さて、次の10年はどのようなことができて、どのように評価されるか。行政の役割は、過去を振り返ること以上に、これから何をするかが重要です(「官僚の仕事は未来との対話」「日経夕刊コラム」)。2031年に、胸を張れるように努力してほしいです。