復興事業の教訓、過大な街づくり批判

復興事業の教訓、人口の減少、その2」に続き、「復興事業の教訓」その3です。
「防潮堤の復旧は過大だったのではないか」「まちの復興計画が大きすぎて、空き地があるではないか」という批判です。そのうちまず、過大な街を作ったのではないかという批判についてです。

実は、街づくり計画は、各地で何度も見直し、縮小しました。計画作りのために住民意向調査を行い、その後も工事に時間がかかるので住民意向調査を繰り返しました。すると、戻りたいという住民の数が当初より減ったのです。
そこで、いくつか計画した高台移転計画を縮小しました。条件の悪い地区を、やめました。
しかし、町の中心での土地のかさ上げ(区画整理)は、計画の見直し縮小は難しいです。一定の区画を限り、その地権者たちの同意を取って、全体の計画を作っています。公共施設の配置、道路の配置、地権者の新しい町での貼り付け、そして公共用地を捻出するために地権者の所有地をどの程度縮減するか(減歩率)を決めています。面として計画を作っているので、これを見直すのは大変な労力が必要です。そして、完成が遅れます。

なお、住民意向調査では時間が経つと、自費で戸建てを建てる人が減り、公営住宅に入りたい人が増えました。これは実施の段階で変更しました。

「地元自治体負担なしが、計画見直しを進めないことになった」との意見もあります。私も、自治体負担を少しでも入れておけば、議会が予算面からより監視機能を働かせたと思います。負担できない自治体は、別途国が予算支援をする必要はあります。

街づくりを担った職員が町役場の職員ではなかったことも、その原因の一つとして指摘されています。被災市町村には能力を持った職員が多数いませんから、他の大きな自治体から技術職員を応援に送りました。ところが、街づくり工事を応援職員だけでやっていて、役場内で孤立しているとの指摘もありました。
これらの点は、今後改善する必要があります。この項続く

参考「朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」」「復旧事業費地方負担なし、関係者の声」。