「著作と講演」カテゴリーアーカイブ

立命館大学講義2

立命館大学講義」の続きです。出席した学生からの感想文と質問に目を通し、回答を大学に送りました。100人近くの学生、それも多くの人は長文で書いています。全てに目を通すのに、時間がかかりました。

私の伝えたかったことが学生に伝わっていて、うれしかったです。そのほか、次の話が多くの学生に響いたようです。
・公務員に必要な3つの資質(体の健康、心の健康、人付き合い)
・新聞を読むことの意味(ニュースを知るのではなく、たくさんあるニュースの中から重要度を知る、興味のないニュースを知る、解説に意味がある)

次のような感想もありました。少し改変して載せておきます。
「公務員とは事務室で机に向かっているだけと思っていたのに、違うのですね」「公務員の仕事に対する印象がすっかり変わりました」「より一層、公務員になりたくなりました」
「言われたことだけをするのではなく、何か付加価値をつけることの重要性を知りました。今やっているアルバイトでも実践します」
「アルバイト先で店長から叱られ、やめたいと思うことことがありますが、それも精神力を鍛える訓練の場と思って頑張ってみます」
「出社恐怖症になったという話が印象に残りました」

連載「公共を創る」目次9

目次8」から続く。「目次1」「目次2」「目次3「目次4」目次5」「目次6」「目次7」「全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

6月26日 226政府の役割の再定義ー政治家と官僚の関係
7月3日 227政府の役割の再定義ー官僚の意見を聞かない「政治主導」
7月10日 228政府の役割の再定義ー異論に耳を傾けることの大切さ
7月17日 229政府の役割の再定義ー英・独に学ぶ官僚の中立性確保
8月7日 230政府の役割の再定義ー
8月21日 231政府の役割の再定義ー
8月28日 232政府の役割の再定義ー

連載「公共を創る」第225回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第225回「政府の役割の再定義ー政治家に求められる能力」が、発行されました。政治家による政策議論について、国会が本来期待される機能を果たしていないことを指摘しています。

社会では、絶えず問題が生まれます。それを、「誰がどのように、そしてどの方向に解決するか」。家族と親族、企業、地域社会、中間団体、宗教、慈善活動やNPO、そして地方議会、国会、行政、司法のうち、誰がまずは責任を引き受け、誰と誰が発言し行動するのか。誰も引き受けない場合、あるいは意見の対立が解消しない場合は、最終的に誰が解決するのか。国によって、解決する主体、あるいは解決することを期待される主体が異なり、またそれら主体の力関係が違います。
同じ近代民主主義国、資本主義自由経済国家であっても、英国、フランス、ドイツ、米国、そして日本は、よってきた歴史と社会が異なり、「国のかたち」が違います。これを考えるのに役立つ書物が、近藤和彦著「イギリス史10講」(2013年、岩波新書)です。英国では、議会が解決の場であるだけでなく、主体になるようです。この本については、このホームページで、たくさんの論点に分けて紹介しました。「覇権国家イギリスを作った仕組み」~「覇権国家イギリスを作った仕組み、9」。番外も「覇権国家イギリスを作った仕組み、12

日本の国会においては、異なる意見や利害を議論して調整することが少ないと指摘しました。では、どこで調整しているのでしょうか。実態として、日本では、内閣、その中でも各省の官僚機構が解決主体として働くものと期待されているようです。
官僚に求められる能力と現実の問題について述べたので、政治家に求められる資質についても書いておきました。

これで、「政治の役割」のうち、「政治主導の在り方」を終えて、次回からは「政治家と官僚の関係」に入ります。

人事院初任行政研修

今日6月17日午後は、北区西ヶ原にある研修合同庁舎で、初任行政研修の基調講義をしてきました。
対象者約800人が7組に分かれて受講します。私の担当のE組は、113人です。ほかの班は、別の講師が別の主題で基調講演をします。
政策事例研究なので、東日本大震災の対応を話しました。駆け出しの官僚向けに、「明るい公務員講座」もいくつか話しました。私もいろいろな経験をしてここまで来たことなどです。「一人で悩むな」「心の回復力」も。
皆さん、熱心に聞いてくれました。2時間の講義と、30分の質疑にしました。次々と手が上がり、時間を超過しました。うれしいですね。

主題については、課題を与えます。参加者は、18の班に分かれて議論し、次回にそれを発表します。次回は、入間市の研修所です。「2024年度

研修生の皆さんへ、話題にした資料にリンクを張っておきます。
「明るい公務員講座」3部作
私のホームページ「人生の達人
Public Administration in Japan』(2024年、Palgrave Macmillan)の「第19章 Crisis Management

連載「公共を創る」第224回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第224回「政府の役割の再定義ー議論が乏しい「ムラの慣行」」が、発行されました。

政治家による政策議論について、国会と野党の役割を考えています。
先の衆議院選挙で、自公政権は少数与党になり、政府案を与党の数の力で押し通すことが難しくなりました。すると、与野党で議論して妥協し、結論を出す必要が出てきます。野党の意見を取り入れることで、より多くの国民に支持される政策が実現する可能性も出てきます。
一方で、首尾一貫した政策体系を示して、その対立の形で各党が国民の支持を獲得するために競い合うなら良いと思うのですが、政策体系の背景を持たずに、論点ごとに有権者にこびるようなポピュリズムに走ることになると、良くない結果を生むことになりかねません。

議会制民主主義とは、政治家と政党がそれぞれの主張を立て、国民の同意獲得競争をして政権に就き、政策を実行する。その場が国会であり、国民の間のさまざまな利害を調整する場です。政治学の教科書にはこのように書かれていても、それぞれの国がそれぞれに異なる社会と歴史を持っているので、国によって実際の運用は異なります。
日本では、国会が議員間の討論の場になっていません。議員が政府に説明を求め、問題点を追及する場となっているのです。与野党が議論を重ね、政府提案あるいは与党提案を磨き上げて、さらに良い法律や予算にするという意識と経験が希薄です。

この背景には、日本においては、人前で、意見の異なる人同士の間で議論することが少ないことがあります。討論の経験がないし、討論している人から学ぶ機会もないのです。しばしば「和を以もって貴しとなす」という言葉が使われます。聖徳太子の十七条憲法以来の日本の伝統であり、あるいはそうあるべき規範と思われているようです。
しかし、すべての事が最初から最後まで「和である」=一致するはずがありません。それは結局のところ、意見の対立を表面化させないこと、対立がある場合はウラの世界で調整をつけることが良いとされる、社会通念だということができます。

対立が少なく皆が協調するべきという「ムラの慣行」と、オモテの場で議論せず、意見の対立をなるべく表面化させないでいたいという日本社会の深層意識が、討論やそれに基づく修正は避け、野党は政府批判だけをするという我が国特有の国会審議の背景にあるのでしょう。それは、これまでのムラ社会、世間、そして国会を貫く、「この国のかたち」です。