カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第272回

2026年10月1日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第272回「これまでの議論ーサービス提供での三元論」が発行されました。

公私二元論では、公益を担う政府と私益を追求する企業が異なる論理で世の中を支えています。それに対し、政府・市場・社会三元論では、三つの領域はそれぞれに得意な分野がありますが、相対立するものではなく協働して世の中を支えていると考えます。企業は私益を追求するだけでなく、その活動を通じて世の中を支えています。前回は東日本大震災での例を挙げて説明しましたが、もう一つの例として、助け合いの仕組みである保険を取り上げました。

第145回の図表「官の提供、民の提供」で、どのようなモノとサービスを、政府、企業、NPOが提供しているのかを、分野ごと(安全、教育・文化、福祉・衛生、社会資本・交通・通信、産業、その他)に、代表的な事業を挙げて分類しました。これを見ると、たくさんの分野で三つの部門が同じようなサービスを提供していることが分かります。
例えば教育では、幼稚園、小中学校、高校、大学は、国公立(独立行政法人を含む)と、私立(学校法人)が存在しています。医療にあっても、同様です。介護保険サービスは民間に開放され、自治体のほかに企業やNPOが担っています。

経済学や行政学の教科書では、行政が提供する公共サービスと、企業が提供する民間サービスとは異なるものと説明されます。しかし、事業主体による区分はあまり有効ではありません。そのことを明るみに出したのは、民営化です。「小さな政府」を目指し、またサービス向上のために、官が担っていた業務を民間に移したり、民間に開放したりしたのです。それらが問題なく進み、公共サービスが特殊であると言えなくなりました。
これらを見ると、利用者にとって重要なのは誰が担うかではなく、サービスの継続的な提供と、一定以上の質が確保されることです。すると、行政の役割は、そのままでは企業が提供しない、しかし必要なサービスをどのように提供するかということとともに、国民生活に重要なサービスについては、提供主体は私企業であれ、NPOであれ、役所であれ、継続性と安定性を保障し、価格や品質の妥当性を監視することの2点になるでしょう。

連載「公共を創る」第271回

2026年9月24日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第271回「これまでの議論ー「政府・市場・社会」の三元論」が発行されました。

豊かな社会を実現したら、「人間らしい生き方への被害」という新しい弱者が発見されたことについて論じています。極めて簡単にまとめると、19世紀には労働者を発見し、次に働けない人たちを、20世紀後半に消費者を、21世紀には社会生活において自立できない人を発見したと言えるでしょう。近代の行政の歴史は、弱者を発見し、それに対する救済の方法をつくってきた歴史です。ところが「人間らしい生き方への被害」の対策は政府と個人との関係の転換を求めています。それは、憲法にも及ぶ大きなものです。

近代市民社会の考え方は、自由権を保障することが政府の役割から出発し、その後、自立できない人生活を保障することが、政府の役割に加わりました。社会権です。現在の憲法学は、この異質な二つの思想を同居させ、「接ぎ木」しています。
しかし、引きこもり、若年無業者、うつ病や自殺の増加といった孤独・孤立問題への支援は、この自由権と社会権という二つの論理には収まらないのです。支援を求める人たちは、国家に対して「××が不足しているので支援してほしい」とは主張しません。その人たちへの支援は彼ら自身の国家への請求権によるものではないのです。

近代市民社会の理想は自由な個人でしたが、後期近代には自由の進展により、孤独・孤立からくる問題が噴出してきました。それは、孤立している個人の生活の不安だけでなく、アメリカに見られるように人々を分断し共同体を壊すことによって、国家としての政治的統合や、社会の安定をも揺るがしています。
社会的包摂には、国民自身の意識と行動が必要です。社会から一部の人たちを排除しているのは、周囲の国民なのです。ここにあるのは、政府対国民の対立の構図ではなく、社会とそれをつくっている大多数の国民と、何らかの理由でそれに入れない少数派の対立です。

続く「第4章 政府の役割再考」「2.社会と政府」(第97〜150回)では、これらの変化を念頭に、これからの政府の役割を検討するために、社会と政府の関係を見直しました。
「政府対国民」では対応できない課題も、世の中(広義の社会)は「政府・市場・社会(狭義の社会)」の三つからできている、と考えると分かりやすいです。そして、企業は私益を追求するだけでなく、その活動を通じて世の中を支えているのです。それは、慈善活動などの社会貢献ではなく、企業活動そのものが果たしている役割です。

連載「公共を創る」第270回

2026年9月17日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第270回「これまでの議論ー制度ではなく課題の所管を」が発行されました。

「人間らしい生き方への被害」というべき新しいリスクとそれに苦しむ弱者は従来の社会保障制度では救済できず、さらに憲法の考え方にも変更を迫るものです。再チャレンジ政策はこの課題に取り組んだのですが、不十分なままに終わってしまいました。
ところがその後、「人間らしい生き方への被害」「社会生活で苦しむ弱者」への対応は、政策としての統一的方針がないままに、事実上は進展しました。例えば、男女共同参画、働き方改革、子育て支援などは、政府の取り組みとともに、国民の意識の変化と社会の仕組みの転換によって大きく進んでいます。
このほかにも、社会保障制度から漏れ落ちている「弱者」への支援の動きが広がりました。民間では「子ども食堂」です。政府の中でも、2024年から内閣府に政策統括官(共生・共助担当)が設置され、厚生労働省社会・援護局が、地域共生社会の実現に取り組んでいます。

私は、「生活省」(または生活者省)の設置を主張しています。それは、ここで議論している社会生活問題に本格的に取り組むためであり、行政の任務が大きく変わったことを明らかにするためにも必要だと考えるからです。生活者、消費者、社会的弱者を行政の対象とし、その人々を守り、支援する施策です。そのような施策を任務としている課や局を、統合して一つの省をつくるのです。私が対象と想定している事務と部局は、次のようなものです。
【共生社会の実現など】内閣府政策統括官(共生・共助担当)、男女共同参画局
【消費者の保護など】消費者庁、食品安全委員会
【子育てや家庭を対象とする事務】こども家庭庁
【働き方改革】厚労省雇用環境・均等局
【社会的弱者を対象とする事務)厚労省社会・援護局
【定住外国人を対象とする事務】出入国在留管理庁在留管理支援部

公務員の仕事の仕方や発想の仕方に、二つのものがあります。一つは制度を所管するという発想であり、もう一つは課題を所管するという発想です。生活省は、各省に分かれている部局の組織と制度を一つに統合するとともに、「課題を所管する役所」にすべきでしょう。

ところで政府の在り方について、我が国は約40年、「小さな政府」を目指して、業務を切り出して民間に委託したり、民間への規制を緩和したりしてきました。「新自由主義的改革」と呼ばれるように、自由と平等を求める近代の一つの方向であったと言えます。しかし、その努力により目標はほぼ達成したように見えます。
他方で新しい社会の課題が発見され、行政需要は減るどころか、増えているようです。2001年の省庁再編時に各府省設置法に列記されていた929の所掌事務は、2026年度には1157に約2割増えています。人口は減りつつあるのですが、政府と行政への期待は膨らんでいるように見えます。経済産業分野についても、政府による関与を縮小してきたのですが、近年はそれについても政府の役割が再認識されています。

連載「公共を創る」第269回

2026年9月3日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第269回「これまでの議論ー再チャレンジ政策とこれからの行政」が発行されました。
私が「人間らしい生き方への被害」に関心を持つきっかけとなった再チャレンジ政策、その相談窓口の「地域若者サポートステーション」について説明しています。ここで行われている業務は、従来の行政手法とずいぶん違うのです。
その1は、業務の「相手」が、組織でなく個人であることです。従来の行政は業界(企業や団体、あるいはその連合会など)を相手にすることが多く、生活者を直接相手にすることは、苦情対応のような場合を除き多くはありませんでした。
その2は、実現の「形」の違いです。若年無業者の自立支援には大きな施設は不要で、相談を受けて指導できる人が重要です。つまり、人材と技能です。
その3に、「出掛けて行く」ことへの転換です。これまでは、役所は来る人を窓口で待っていました。しかしこの仕事では、こちらから出掛けて
行く必要があります。
その4に、行政以外の担い手が重要かつ必要なことです。若年無業者の自立支援では、行政機関よりも、非営利団体(NPO)が活躍しています。市町村も、それらの組織に仕事を委託しています。
その5に、従来なら家庭に任されていた問題が行政の仕事になるということは、行政が家庭の中に入ることです。

このように、再チャレンジ政策は、行政の在り方を考えることにつながりました。これまでは、行政が社会や企業の先頭に立って、指導や統制をしました。これからは、国民が自由に行動してそれぞれ幸福を求め、企業が自由に競争して社会の利益を高めます。そして行政がその後ろで支える。そのような役割分担が、望ましいでしょう。行政は豊かで平等で自由な社会という目標を達成し、次の役割を模索していたのですが、ここにそれが見えるように思えます。

困った人を救うために、社会保障制度があります。しかし、公的扶助(生活保護)にしろ、社会保険(医療、年金、介護など)にしろ、金銭、現物、サービスの給付が主でした。しかし自立支援は、このような給付だけでは目的を達成することはできず、継続的な相談や助言が必要です。これまでの社会保障制度を超えた、新しい考え方が求められます。これまで行政が前提としていた、近代市民社会像と近代憲法の考え方を変える必要が出てきます。

連載「公共を創る」第268回

2026年8月27日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第268回「これまでの議論ー人間らしい生き方とは」が発行されました。
前回から、第1次安倍晋三内閣で取り組まれた、再チャレンジ政策について説明しています。私が、格差や社会生活問題など「人間らしい生き方への被害」に関心を持ったのは、これに従事したことからだったのです。古典的なリスクとは違った対応が必要でした。しかし、行政はそれを全体として把握していませんでした。

再チャレンジ政策に取り組んでいると、弱者や困っている生活者を生んでいる原因として、日本社会の特性も見えてきました。どこにも明文はないのですが、国民の多くが信じている(あるいは信じていた)「通念」です。
一つ目の問題は、日本社会は「単線型社会」であり、標準型に乗らないと負け組になると考えられていたことです。日本社会の問題の二つ目は、「外部に冷たいムラ社会」ということです。 三つ目は、「仕事優先社会」「会社優先社」だということです。

再チャレンジ政策に取り組んだころは、その背景にある単線型社会、外部に冷たいムラ社会、会社優先社会という「この国のかたち」を変えることは、とてもできることとは思えませんでした。ところが私の予想に反し、この20年間に社会は大きく変わりました。
一つ目の単線型社会については、転職が増え、中途採用も普通になりました。 二つ目の外部に冷たいムラ社会については、疑似ムラであった会社が、従業員の家族を含めて面倒を見ることができなくなりました。三つ目の仕事・会社優先社会も、急激に変化しました。それを崩したのは男女共同参画の進展だと、私は考えています。
男女共同参画も働き方改革も、政府が方向性を示し、法律をつくったりして誘導しました。それは国民の意識改革を後押しする効果がありましたが、何といってもその原動力になったのは、女性の社会進出です。働く女性が増え、男社会の昭和の職場が変化せざるを得なくなったのです。

憲法には男女同権が定められましたが、半世紀の間、実態は変わらず、この20年間に急速に進みました。これは驚異的なことです。
「夫は会社、妻は家庭」という「この国のかたち」を崩したのは、政治の力や指導者層というよりは、国民、特に女性の行動であったように見えます。社会の指導者層は単線型社会での勝者であり、ムラ社会を取り仕切る側であり、仕事優先社会の代表であり、何より男性でした。そのように見ると、これは「男性支配」「男社会」を崩した「革命」なのです。