カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第269回

2026年9月3日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第269回「これまでの議論ー再チャレンジ政策とこれからの行政」が発行されました。
私が「人間らしい生き方への被害」に関心を持つきっかけとなった再チャレンジ政策、その相談窓口の「地域若者サポートステーション」について説明しています。ここで行われている業務は、従来の行政手法とずいぶん違うのです。
その1は、業務の「相手」が、組織でなく個人であることです。従来の行政は業界(企業や団体、あるいはその連合会など)を相手にすることが多く、生活者を直接相手にすることは、苦情対応のような場合を除き多くはありませんでした。
その2は、実現の「形」の違いです。若年無業者の自立支援には大きな施設は不要で、相談を受けて指導できる人が重要です。つまり、人材と技能です。
その3に、「出掛けて行く」ことへの転換です。これまでは、役所は来る人を窓口で待っていました。しかしこの仕事では、こちらから出掛けて
行く必要があります。
その4に、行政以外の担い手が重要かつ必要なことです。若年無業者の自立支援では、行政機関よりも、非営利団体(NPO)が活躍しています。市町村も、それらの組織に仕事を委託しています。
その5に、従来なら家庭に任されていた問題が行政の仕事になるということは、行政が家庭の中に入ることです。

このように、再チャレンジ政策は、行政の在り方を考えることにつながりました。これまでは、行政が社会や企業の先頭に立って、指導や統制をしました。これからは、国民が自由に行動してそれぞれ幸福を求め、企業が自由に競争して社会の利益を高めます。そして行政がその後ろで支える。そのような役割分担が、望ましいでしょう。行政は豊かで平等で自由な社会という目標を達成し、次の役割を模索していたのですが、ここにそれが見えるように思えます。

困った人を救うために、社会保障制度があります。しかし、公的扶助(生活保護)にしろ、社会保険(医療、年金、介護など)にしろ、金銭、現物、サービスの給付が主でした。しかし自立支援は、このような給付だけでは目的を達成することはできず、継続的な相談や助言が必要です。これまでの社会保障制度を超えた、新しい考え方が求められます。これまで行政が前提としていた、近代市民社会像と近代憲法の考え方を変える必要が出てきます。

連載「公共を創る」第268回

2026年8月27日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第268回「これまでの議論ー人間らしい生き方とは」が発行されました。
前回から、第1次安倍晋三内閣で取り組まれた、再チャレンジ政策について説明しています。私が、格差や社会生活問題など「人間らしい生き方への被害」に関心を持ったのは、これに従事したことからだったのです。古典的なリスクとは違った対応が必要でした。しかし、行政はそれを全体として把握していませんでした。

再チャレンジ政策に取り組んでいると、弱者や困っている生活者を生んでいる原因として、日本社会の特性も見えてきました。どこにも明文はないのですが、国民の多くが信じている(あるいは信じていた)「通念」です。
一つ目の問題は、日本社会は「単線型社会」であり、標準型に乗らないと負け組になると考えられていたことです。日本社会の問題の二つ目は、「外部に冷たいムラ社会」ということです。 三つ目は、「仕事優先社会」「会社優先社」だということです。

再チャレンジ政策に取り組んだころは、その背景にある単線型社会、外部に冷たいムラ社会、会社優先社会という「この国のかたち」を変えることは、とてもできることとは思えませんでした。ところが私の予想に反し、この20年間に社会は大きく変わりました。
一つ目の単線型社会については、転職が増え、中途採用も普通になりました。 二つ目の外部に冷たいムラ社会については、疑似ムラであった会社が、従業員の家族を含めて面倒を見ることができなくなりました。三つ目の仕事・会社優先社会も、急激に変化しました。それを崩したのは男女共同参画の進展だと、私は考えています。
男女共同参画も働き方改革も、政府が方向性を示し、法律をつくったりして誘導しました。それは国民の意識改革を後押しする効果がありましたが、何といってもその原動力になったのは、女性の社会進出です。働く女性が増え、男社会の昭和の職場が変化せざるを得なくなったのです。

憲法には男女同権が定められましたが、半世紀の間、実態は変わらず、この20年間に急速に進みました。これは驚異的なことです。
「夫は会社、妻は家庭」という「この国のかたち」を崩したのは、政治の力や指導者層というよりは、国民、特に女性の行動であったように見えます。社会の指導者層は単線型社会での勝者であり、ムラ社会を取り仕切る側であり、仕事優先社会の代表であり、何より男性でした。そのように見ると、これは「男性支配」「男社会」を崩した「革命」なのです。

連載「公共を創る」を本にすると2

2026年8月26日   岡本全勝

連載「公共を創る」を本にすると」の続きです。
連載が完結したら、本にしたいなとは思っているのですが、まだまだ先のことです。そして、本にするには、分量を10分の1以下にしなければなりません。分冊にする方法もありますが、誰も読んでくれないでしょう。

それよりも、現在の「これまでの議論の振り返り」を書くに際して、過去の記事を眺めて、何を書いたか、どのように振り返るかを考えなければなりません。単純な要約なら人工知能でもできます(人工知能に要約させたらどんな文章になるのか、見てみたい気もします。怖いもの見たさ)。
時代は進む」で、次のように書きました。
・・・「公共を創る」も、書き続けているうちに、内容や主張に変化を加えなければならなくなりました。今、これまでの議論を振り返り要約しているのですが、構成なども変える必要があるなあと考えています・・・
この夏の間に、このようなことを考えていました。

「連載「公共を創る」を本にすると」で、「様々な内容に言及したので、こんなことになったのでしょう」と書きました。ただし、気の向くまま好きなことを書いたのではありません。連載を始めるに当たって、主旨と構成をつくり、それに沿って書き進めました。

執筆の趣旨
なぜ、いま、公共を考えるか。それは、次のような理由です。
1 日本が、大きな転換期にあること。
2 公私の区分が、揺らいでいること。
3 その結果、行政(中央省庁と地方自治体)も、取り組むべき課題と手法の転換を迫られています。
これからの行政のあり方を考えるために、広く公共の中で行政を考えます。

全体の構成
第1章 大震災の復興で考えたこと
1 想定外が起きたー政府の役割を考える、2 町を再建するーまちとは何か、3 哲学が変わったー成長から成熟へ
第2章 暮らしを支える社会の要素
1 公私二元論から官共業三元論へ、2 社会的共通資本
第3章 日本は大転換期
1 成長から成熟へ、2 成熟社会の生き方は
第4章 政府の役割再考
1 社会の課題の変化、2 社会と政府、3 政府の役割の再定義

執筆はこの構成を外れていないのですが、それぞれの章や項の中が膨れ上がったのです。特に第4章2は53回、第4章3は官僚について書いたので102回にもなってしまいました。私の関心の中心はこれからの行政のあり方なのですが、行政の役割が変わったこと、変わるべきことを考えるためには、広く社会の変化を考える必要があるのです。それが、本稿のミソなのですが、それ故に考察が広がりました。

連載「公共を創る」を本にすると

2026年8月24日   岡本全勝

連載「公共を創る」は毎回4ページです。1ページ目は22字×20行×3段=1,320字。2~4ページ目は22字×28行×3段×3ページ=5,544字。合計6,864字。400字詰め原稿用紙で17枚です。毎回きちんと4ページが埋まるわけではないので、この文字数より少ないです。

岩波新書は、1ページが630字だそうです。400字詰め原稿用紙で1枚半程度なのですね。単純に換算すると、連載の1回分が新書の10ページになります。連載は月に3回で、新書だと30ページ。1年だと360ページになります。
また岩波新書は、1冊が原則224ページだそうです。連載「公共を創る」だと、22回分で1冊になります。連載は現在、260回を超しています。新書に換算すると、10冊を超えます。へえ~。

こうしてみると、とんでもない分量ですね。
原稿用紙17枚は、万年筆の手書きだったら、とても書き続けることはできないでしょう。ワープロのおかげです。その時々は、分量は意識せず書いていたのですが、7年も書き続けると、こんなに溜まってしまいます。「公共を創る」という主題なのですが、様々な内容に言及したので、こんなことになったのでしょう。
「粗製濫造」ではないのですが。手書きなら(万年筆を持つ手が疲れることもあり)、じっくり考え文字数を少なくするでしょうが、ワープロだと、頭の赴くままに書いてしまいます。もちろん読み返して、論旨に関係ない文章は削除し、それぞれの文章もできるだけ簡潔になるようそぎ落とします。この項続く。

連載「公共を創る」第267回

2026年8月21日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第267回「これまでの議論ー新しいリスクへの対応を」が発行されました。

前回まで、社会の変化によって新しいリスクが生まれていることを説明しました。これら新しいリスクに、政府は急速に対策を講じています。
武力攻撃、大規模災害、感染症について、日本は危機管理に目覚めたと言えます。
第2次世界大戦後の半世紀にわたり、日本では自然災害がしばしば発生しましたが、国内でも対外的にも大きな危機に直面することはありませんでした。国際的には、島国であることと、ソ連の脅威はあったものの、米安全保障条約の下で米軍が駐留し、中国や北朝鮮は日本を脅かす存在ではありませんでした。治安も良く、「日本人は安全と水は無料で手に入ると思い込んでいる」と表現されたのです。
ところが1990年代に入り、国内ではこれまでにない大規模な自然災害が発生し、国際的には北朝鮮と中国が軍事力を増強し日本への脅威が現実のものとなりました。それまで、国家の危機管理は日本政治と行政の重要な課題ではなく、対応組織も法制度も十分ではありませんでした。しかし度重なる危機に直面し、組織や法制度を順次充実させてきたのです。

政府は、新しいリスクに対して積極的に対応しています。そこには、政府自らの対応力を強化したもの(防災や武力攻撃)、再発防止策や事業者への規制(食品や製品事故)、罰則の強化(ハイテク犯罪)、国民への啓発や要請(新型コロナウイルス対策、環境保護)、救済拡大(消費者保護、健康被害)があります。ただし政府が対応してきたのは、主に古典的リスク「身体や財産への被害」と「経済社会活動への被害」です。格差や社会生活問題など「人間らしい生き方への被害」には、これらとは違った対策が必要なのです。

再チャレンジ政策を担当して、弱者支援や生活者支援という視点で行政機構を見渡してみると、三つの問題が見えてきました。
一つ目は、行政は、所掌事務にとらわれて、バラバラになってしまうことです。二つ目は、これに取り組む組織(課や局)と政策は多くの場合、事業振興やサービス確保などに取り組む各省の主たる業務ではなく、活用できる資源や人材の専門性に強みがないことです。三つ目に、生活者保護を第一の任務に掲げた役所がないことです。

再チャレンジ政策では、困っている人、もう一度挑戦しようとする人を主な対象としました。ところがそのためには、支援を必要としている人への対策だけでなく、障害となっている「制度の改正」と「社会意識や慣行の見直し」も必要だったのです。人、制度、慣習への働き掛けです。男女共同参画社会も同様です。1986年のいわゆる男女雇用機会均等法の改正から進み始めましたが、男女の平等扱いを法定しても、職場での処遇、時間外勤務の縮小、家庭での偏った役割分担、子育て支援などの社会の側の仕組みがある程度出そろって、ようやく実現し始めました。