カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第58回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第58回「日本は大転換期―学校外の子育て機能の低下」が、発行されました。
高く評価された日本の教育制度が、成熟社会になって機能不全を起こしています。近代化手法の問題の一つは、理想をだけを教えることです。立派な国民を育てるために、理想的な生き方を教えます。これはよいことなのですが、理想から漏れ落ちる子どももいます。それへの対応、つまずいた際の安全網の教育が不十分なのです。かつては、それらは家庭や地域に任されていました。

成熟社会の教育問題の3つめは、学校外での教育機能の低下です。子どもの貧困、児童虐待、不登校、いじめ、非行など、これらの対応を教員に求めるのは無理があります。かつて、家族、地域社会が守り教えてくれたことが、できなくなったのです。

ここから見えることは、子どもを教育の対象としてみるのではなく、子育てとしてみることの必要性です。一人では生きていけない子どもを養育することと、一人前に育てることです。学校教育は、そのごく一部でしかありません。

連載「公共を創る」第57回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第57回「日本は大転換期―成熟社会で見えた教育の問題と限界」が、発行されました。
成熟社会日本の問題。労働の次に、教育について議論します。労働が人の生き方と社会の形を表すものとすれば、教育は子どもや次世代の社会への期待を表しています。それが、日本人と日本社会を再生産します。

日本型雇用慣行と共に日本の教育も、日本の驚異的発展を支えた仕組みとして高い評価を得ていました。しかし雇用と同じように、教育も今やさまざまな問題を抱え、批判にさらされるようになりました。それは、発展途上社会に適合した教育の仕組みが、成熟社会ではうまく機能しなくなったからです。

成熟社会での教育の問題。その1は、高学歴化が生んだ問題を取り上げます。
みんなの憧れだった高等教育。高校進学率は1970年代に9割を超え、大学進学率は平成元年の25%から令和元年には54%と急上昇しました。では、みんなが幸せになったか。そうはなりませんでした。
大卒がエリートではなくなり、かつては高卒の人が就いていた職に、就かざるを得なくなりました。他方で、学歴競争はさらに激化しました。

成熟社会の教育の問題。その2は、近代化手法の問題です。
近代化の過程で効率的だった、集団で一律の教育を行うこと、知識を詰め込むことが、成熟社会では弊害を生むようになりました。

連載「公共を創る」第56回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第56回「日本は大転換期―成熟社会で浮き彫りになった労働の問題」が、発行されました。
成熟社会日本の問題、今回は労働について議論します。

日本にのみ特殊と言われている「メンバーシップ型雇用慣行」。これが、発展途上時代には効果を発揮しました。
ところが、何度か紹介したように、日本の労働者の勤労意欲は先進諸国でも低いのです。私は、その理由が、メンバーシップ型雇用慣行にあると考えています。
その他に、労働者の甘え、生産性の低さなども、その原因はここにあります。
これは、40年間サラリーマンをして、30年間管理職をした経験による結論です。

どうすれば、この問題を解決できるか。その答えは、管理職と従業員を区別すること、そして、管理職に管理職の仕事をさせることです。

参考「ジョブ型雇用、日本への導入」「テレワークで見えた日本型職場の弱点」「階統制組織と平等的組織

連載「公共を創る」執筆状況

連載「公共を創る 新たな行政の役割」、定例の執筆状況報告です。
前回書いたように、第3章1(2)その2を、編集長に提出したのが7月31日。それを紙面の形にしてもらい、10月16日分までできたので、一安心。ところが、この油断と、夏の暑さもあり、気がついたら8月下旬でした。

右筆に「執筆が進まないので、もう少し待ってくれ」と連絡したら、「それはスランプですよ。おしりに火がついたら、進むのでは」とのご託宣。その通りです。
「なんで、こんなことをしているのだろう」と自問しつつ、とはいえ、締めきりは待ってくれないので。
それから毎日、時間を見つけては、ああでもない、こうでもないと、書いては消すを繰り返しました。土日には早起きして集中して、ほぼ仕上げました。特に土曜日は雨で気温も低く、はかどりました。ただし、(2)その3を完成できないので、まずは「その3の1」を部分完成させました。
もう一度じっくり読み直し、右筆さんたちに手を入れてもらいます。

とはいえ、土日に執筆を頑張ると、疲れます。

連載「公共を創る」第55回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第55回「日本は大転換期―満足しても現れる問題」が、発行されました。
成熟社会日本の問題。前回までで、豊かさや自由といった憧れが実現すると、成長の低下、目標の分散、孤独、責任などを生んだことを指摘しました。
今回は、満足したことによる問題や、経済的豊かさを追求したことによる問題などを取り上げます。

世論調査では、多くの人が生活に満足し、9割が中流だと答えています。それは結構なことですが、「上」を目指すことなく、「中」で満足しているとも言えます。
また、満足したことで、現実を見ることがおろそかになったようです。社会全体としては豊かになったのですが、貧困に悩む人はいなくなっていません。それどころか、豊かさの陰で経済格差は広がっていました。
満足は、現実にある問題を覆い隠し、またさらなる挑戦を忘れさせるという副作用がありました。
そして、他人と同じことさえしておれば、うまく行くという、依存心をも広げました。
社会の課題に取り組まない、公共の問題に取り組まないという、社会参加意識と政治参加意識の低下も招きました。