カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

校閲さんに感謝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆作業についてです。原稿を書く苦労、右筆たちの厳しい指摘は、何度もこのホームページで報告しています。今日は、その後の作業について説明しましょう。

原稿がひとかたまり書けたら、編集長に送ります。編集長は、それを適当な分量に切り分けて、1号ごとのゲラにしてくれます。だいたい紙面で3~4ページになるようにです。私のひとかたまりは、毎回、3~5回分の紙面に切り分けられます。
論旨の流れで、ちょうど切れればよいのですが、なかなかそうはいきません。時には節を入れ替えて、キリをよくすることもあるのですが、たいがいはそうも行かず、文章の流れの途中で、切れてしまいます。

編集長は、分割した毎号ごとに、3本目の表題を付けてくれます。その表題は「なりほどね」と思うことが多いです。時には、私の趣味で、変更をお願いすることもあります。
ゲラになると、読みにくいか所なども目につきます。私の原稿はワープロ(一太郎で作文、送る際にはワードに変換)なので、活字できれいなのですが、誌面の姿になると気づくこともあります。

さて、今日の本題は、その後の作業です。時事通信社の校閲担当者が、ゲラに手を入れてくれます。発行の1~2週間ほど前に、この作業があります。
てにをはの間違いから、事実の確認、読みやすい文章にと、これは神業です。毎回、驚くばかりです。事実の確認は、インターネットで便利になったとは言え、私の記憶間違いや思い違いを鋭く指摘されます。私と編集長が見落とした間違いを「打たれ」、反省と感謝を繰り返しています。
いつもありがとうございます。これなら、文章を推敲せず、雑な文章で送ってあとは校閲さんに任せる方が、よい文章になるかも(笑い)。

私の連載は、毎週木曜日、一月に3回程度の掲載です。なので、毎月、ひとかたまりの原稿を提出し、ほぼ毎週この校閲さんに打たれることのくり返しです。気の休まるときがないのです。
現在まで合計80回余り、2年にわたる連載を続けています。よく続いたものです。一度も締めきりに遅れたことがないのが自慢ですわ。

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
第4章1(2)「新しい不安への対応」のうち、「変わる安心提供の手法」を書きあげました。右筆たちに手を入れてもらい、それを反映して、編集長に提出しました。ゲラにしてもらうと、5回分になりそうです。これで、8月が乗り切れます。

今回も難渋しましたが、苦労しただけのことはありました。右筆たちも、鋭い指摘をしてくれて、ありがたいです。少し時間の余裕ができました。
続き(3)に着手しているのですが、余裕ができるとほかの本に手を出してしまい、執筆はなかなか進みません。このホームページ更新も、結構時間がかかります。

書評欄で見つけた面白そうな本のほかに、さらにいただき物の本が続いて、うれしい悲鳴です。崩れた山から発掘された本に、歴史や科学など面白そうなものが見つかります。もっとも、猛暑続きで、寝る前を含めて、読書は進みません。

連載「公共を創る」第87回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第87回「社会の課題の変化―孤独・孤立問題に政府の取り組み」が、発行されました。前回に続き、孤立問題への取り組みについて説明しています。
イギリス政府が、2017年に孤立問題を検討し対策を取りまとめました。そして2018年に、担当大臣を置きました(スポーツ・市民社会担当大臣(副大臣級)の所掌事務に追加)。
日本でも、2021年2月に、一億総活躍担当大臣が、孤独問題も担当することになりました。特徴的なのは、内閣官房に置かれた担当室が、非営利団体と連携して取り組んでいることです。これらの問題では、行政より先に非営利団体が対応しました。また、行政には、この問題を直ちに担うだけの組織と人員がありません。私の主張している三元論が現れつつあります。このあと、官民連携がどのように進むか、見守りましょう。

さて、格差と孤立は、これまでの生存や安全、豊かさとは違った次元の被害や不安です。豊かな社会を達成し生存の問題を解決したと思ったら、生きがいが問題になりました。有名なマズローの要求5段階説を思い出します。人間の欲求を、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の5段階に分けたものです。生理的欲求と安全欲求が実現されると、社会的欲求や承認欲求が求められます。
そして、ここにおいても「後ろの安心とともに前の希望」が重要になります。昭和後期は貧しく経済格差もあったのに不安が目立たなかったのは、前に「豊かになれるという夢」があったからです。社会が成熟すると、「落第しない程度の成績でよい」「頑張っても仕方がない」という意識が広がります。どのようにしたら、若者に希望を持てる社会をつくることができるか。難しい問題です。

ロシアの文豪トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の冒頭に、有名な文句があります。「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」
確かにそうなのですが、現在日本の社会生活問題には、共通の根があるのです。小説は不幸の違いを描きますが、社会学と行政は共通の原因を見つけ、対策を考えます。
身近な問題から、マズロー、トルストイ。我ながら、この連載は広い範囲です。

連載「公共を創る」第86回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第86回「社会の課題の変化―自由な社会で重要な他人とのつながり」が、発行されました。前回に続き、引きこもりが増えた背景として、生きづらい社会について説明しています。

他人から干渉されない自由は楽しいものですが、他方で、自分で選ばなければならないという「つらさ」も伴っています。しかも、何でも自由に手に入るものではなく、自らの力量や努力によって制約があります。うまくいかないときに、自由は重荷になります。
さらに日本では、「世間の目」という縛りがあります。自由な行動を世間が許さないのです。「我が道を行く人」にとっては負担ではありませんが、「繊細さん」にはつらいことです。

人とのつながり、社会での居場所が、孤立を防ぎます。しかしそれは、待っていても与えられるものではなく、自分でつくらなければなりません。各種の中間集団は、その機会を提供します。血縁、地縁、社縁などが薄れたいま、社会での新しいつながりをつくる必要があります。
他方で、孤独や孤立に悩む人に相談窓口をつくること、その人たちを発見して支援することも重要です。

連載「公共を創る」第85回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第85回「社会の課題の変化―増える引きこもりに居場所の確保を」が、発行されました。前回に続き、孤立の具体例として、引きこもりを説明しています。
彼ら彼女らの内面は、他者からはわかりません。私の読んだ本や見聞から、孤立問題として説明しました。
どのような原因で、引きこもりが起きるのか。本人は、何に困っているのか。何が救いになるのか。そのような状態に追い込む日本社会の「欠点」などを説明しました。
学校や会社などでうまくいかなくなり、居場所がなくなって、引きこもりになるようです。相談できる人がいないことで、一人で悩みます。学校や会社以外の逃げ場、複数の居場所があれば、引きこもりは防げます。

NHKウエッブサイトに、「つらくても相談なんてできないよ 13歳僕の叫び」(6月28日掲載)が載っていました。合わせてお読みください。