カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第254回

2026年4月2日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第254回「これまでの議論ー大震災の復興から見えた論点と方向性」が発行されました。今回から、「第5章 社会は創るもの」に入ります。

2019年4月から250回あまり続けてきたこの連載ですが、一通りのことを述べたので、いよいよまとめに入ります。連載の表題は「公共を創るー新たな行政の役割」です。その趣旨を第1回で書きました。
・・・なぜ今、公共を考えるのか。
それは、これからの行政を考えるには、これまでの行政の範囲を超えて、より広い視野で捉えなければならないからです。
日本の行政は、豊かさという目標を達成しました。他方で、私たちの暮らしとそれを支えている社会が、大きく変化しています。住みよい社会をつくるには、広く公共を考え、その中での行政が果たすべき役割を考える必要があるのです。
そこで、公共とは何か、どのように変化しているか、そしてこれからどのように変えていくべきか。それを考えたいのです・・・
この7年間、社会ではいろいろなことが起こり、私も書いているうちにいろいろなことに気付きましたが、この問題意識は改める必要はなさそうです。

連載は、「第1章 大震災の復興で考えたこと」から始めました。それは、東日本大震災の復興で私が体験し考えたことが、公共の変化を考える出発点だったからです。
それまでの災害では、政府や地方自治体の役割は、避難者の生活支援や仮設住宅の提供などをする(応急対策)ほかには、公共インフラや公共施設を復旧すること(災害復旧)でした。住宅の再建や事業の再開は、個人の責任でした。ところが、東日本大震災では、公共インフラなどを復旧しても、まちのにぎわいは戻りませんでした。
一つには、人々の暮らしには、商業などのサービス提供と、働く場が必要だということです。それらは民間の役割と考えられてきたのですが、過疎と高齢化の進んだ地域では、政府が支援しなければ再開されませんでした。もう一つは、人と人とのつながりの重要性です。家族をなくした人、ご近所付き合いが絶たれた暮らしは、孤独と孤立を生みました。それを防ぎ緩和するために、政府は乗り出しました。
これらは、従来の公私二元論、すなわち、政府(公)は(国力増進のための産業振興や社会の安全と安定のための規制を除き)民間企業の活動(私)には介入しない、政府は(紛争が起きた際の解決のための民事裁判を除き)個人の生活(私)に関与しないという原則では、整理しきれない活動でした。しかし、現実に問題が起こっており、誰かが対処しなければなりません。住民や非営利団体(NPO)の声にも押されて、少しずつ原則を破って仕事を広げていきました。

「第2章 暮らしを支える社会の要素」では、第1章での議論を踏まえて、従来の社会の見方を変えることを提案しました。その見方を変える一つは、公私二元論から官共業三元論への転換です。私は、大震災からの復興での経験で、NPOやコミュニティーなど非営利活動の存在と重要性に気がつきました。また公私二元論は、個人は自立し、互いに対等な関係に立つという前提で、いくつもの「弱者」を隠していました。

連載「公共を創る」目次11

2026年3月27日   岡本全勝

目次10」から続く。「全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

第5章 社会は創るもの
1 これまでの議論
4月2日 254これまでの議論ー大震災の復興から見えた論点と方向性
4月9日 255これまでの議論ー成熟社会に対応した見方への転換
4月16日 256これまでの議論ー社会・経済システムの大転換を成し遂げるには
5月7日 257これまでの議論ー
5月14日 258これまでの議論ー
5月21日 259これまでの議論ー
6月11日 260これまでの議論ー
6月18日 261
6月25日 262
7月2日 263
7月9日 263
7月16日 265

連載「公共を創る」第253回

2026年3月26日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第253回「政府の役割の再定義ー官僚に仕事をさせるために」が発行されました。
社会の未来に関する議論に関して、官僚の発言が少なくなっていることを述べています。各分野の政策に一番通じているのは各省の官僚です。得られた知識や考察をもとに、意見を世に問うてほしいものです。

その際にお願いしたいことは、ぜひ、個人の名前で公表してほしいのです。その分野で長く、あるいは広く仕事をしてきた官僚の個人の意見は、決して無用なものではありませんし、多くの場合、今後の議論に役に立つであろうと思われます。発表することによって、やがて私見が組織の公的な見解になることもあるかもしれません。また、組織の政策にならなかったことも重要なのです。「この政策を決めるにはこのような背景があった」「このような案もあるが、採用されたのは別案である」「このような問題があるが、対応は将来に持ち越されている」といったことを書くことは、意義があると思います。他方で、こんなことを匿名で書いたのでは、無責任な「怪文書」になる恐れがあります。

官僚の発言が減ったもう一つの理由は、社会に新しく生まれてくる問題がこれまでの所管にすっきりとは収まらず、各省組織の中に拾いあげにくいことも考えられます。各省各局の分担管理に収まらない新しい課題を、どのように官僚機構が取り上げるのかが大きな問題です。そのためには、個別バラバラに見える諸課題を統一的な視点から位置づけ、総合的に対策を考え、実行する仕組みをつくることが必要なのです。
地方自治体には企画部や企画課がありますが、国では各省や各局にそのような組織はあっても、内閣にはありませんでした。内閣官房があり、内閣の重要政策に関する企画、立案、総合調整を所管しています。しかし、特定案件についての各省間の調整にとどまっているようです。
根本に戻ると、将来の日本を考え政策を考えることに関して、官僚の発言が減ったことの大きな理由は、目標と役割の再設定に遅れているからです。

官僚機構を再び活性化し、活用するためには、新たな官僚論が必要です。ところが、このような議論が本格的になされているようには見えないのです。公務員制度改革も取り組まれましたが、重要なのは、成熟社会における行政の役割、そして政治主導での官僚の使い方です。それは、制度論に収まるものではなく運用論が主になるでしょう。これについては、政治家、研究者、報道機関などの意見も重要ですが、何より当事者である官僚の、現実を踏まえた考えと発言が求められます。

もう一つ、官僚論の問題点を挙げておきます。それは、日本の行政と行政学が国内に引きこもっていることです。かつて「日本の官僚は世界一」と評価され、慢心したことの代償でしょう。この点を厳しく指摘したものとして、砂原庸介・神戸大教授の「日本の行政は他国の行政に学べるか―あるいは行政学の国際化」(季刊「行政管理研究」2025年6月号)を紹介しました。

これで本論を終え、次回からは「まとめ」に入ります。

個人の再登場、2

2026年3月19日   岡本全勝

個人の再登場」の続きです。
社会において「組織中心の社会」から「個人中心の社会」への転換しつつあることは、行政においても同様です。
明治以来の行政は、国民の福利向上のために努力してきましたが、まずは国家を強くし、豊かにすることでした。富国強兵です。産業振興も、企業や業界団体を相手にしました。公共サービス充実も国民を相手にしていますが、その手法は国民個人個人を相手にせず、提供者などを通じてです。医療、教育もそうです。企業も自営業も農業者も、団体に加盟することで、行政の支援を受けました。中央省庁は各業界を相手にしていて、国民はその先にいるのです。これは、サービス充実には効果的な手法でした。

個人が属した組織には、宗教団体もあります。心のよりどころとして、宗教団体に入りました。宗教団体も大きな組織になると、信仰とともに組織の維持拡大が課題になります。時には、個人より組織が優先されます。経済取引なら不利ならやめることができますが、信仰は思い込みなので、信者は脱出するのは難しいようです。

他方で、組織中心から個人中心の社会になると、人と人とのつながりが重要なことが認識されました。組織に属さないと、人は孤独です。「居場所」の重要性です。対策としては、やはり組織に属するのか、組織ではないつながりを作るのかです。
近代市民革命は、王権による市民の活動への恣意的な介入を阻止し、他方で自立して平等な市民を理想としました。フランス革命では、宗教も中間団体もそれを阻害するものとして否定されました。しかし、自由が確立すると、個人の孤独と不安が見えてきました。
中間団体は新たな形で復活し、宗教も続いています。それらに属さない人たちに対して、どのように安心を提供するのか。次の課題です。

個人の再登場

2026年3月18日   岡本全勝

連載「公共を創る」を書きながら、「この国のかたち」が大きく変化していることを考えています。変化の一つは「組織中心の社会」から「個人中心の社会」への転換であることです。「組織の時代」から「個人の時代」へとも言えます。

振り返ってみると、20世紀は組織の時代でした。社会をつくっているのは個人や家庭ですが、各個人がそれぞれに活躍するのではなく、企業や役所、学校など組織に属することで生活してきました。戦前は軍隊もありました。そしてその際に、個人より、組織の方が優先されたのです。
さらに遡ると、かつては多くの人が農林水産業か自営業に従事していました。生活の単位は家族です。地域社会で暮らし、困ったときも親族や地域が助けました。終戦後でも、勤め人は4割で、農業や自営業が多かったのです。第一次産業が半数でした。現在では就業者の9割が勤め人です。貧しく苦しい生活でしたが、個人が気ままに生きていた時代から、会社という組織の中で規則に縛られて生きなければならなくなりました。

就職といいますが、実態は就社で、会社の中で職を代えました。会社も、社員とその家族の面倒を見ました。親族や地域での助け合いが希薄になり、国家の社会福祉制度が充実するまで、企業がそれを担ったのです。日本型福祉(1980年代から主張された日本特有の福祉の仕組み)は、企業と家庭を守る妻が支えていました。

しかし、長期停滞で企業が従業員を解雇し、面倒を見続けることが少なくなりました。従業員も、会社に忠誠を尽くすのではなく、条件の良い会社に転職することが増えました。
ここに、組織中心の社会から、個人中心の社会へと変化が進んだのです。もっとも、組織に属している安心感は薄くなり、自己責任が増えます。また、共働きが増えると妻が家族の面倒を見ることができなくなり、一人暮らしが増えると家族による支えはなくなります。