カテゴリーアーカイブ:政治の役割

トランプ大統領と中国と、リベラルな国際秩序

2018年2月11日   岡本全勝

2月8日の読売新聞「南シナ海問題と世界秩序の未来」、ジョン・アイケンベリー教授の発言から。
・・・リベラルな国際秩序は、問題が生じた時に支えとなる枠組みとして必要と考えられていた。自由貿易進展で経済が成長し、様々な国際条約が結ばれて大量虐殺が禁止され、人権が守られ、軍縮が進んだ。リベラルな国際秩序は世界の問題を解決してきたのだ。
だが、これまでの制度や枠組みは冷戦を前提に作られていた。グローバル化により民主化の発展段階や文化が違う多様な国家が秩序の中に入って機能不全を起こしている。また、リベラルな国際秩序は繁栄や安全につながり、労働者のより良い生活のためにも必要であったが、今やその関連が途絶えてしまった。グローバル化により途上国では富裕層が生まれた一方、先進国の中間層は所得が下がり、不平等が生じている。
リベラルな国際秩序が将来的に維持されるために重要なことが3つある。まず、国内問題と国際的な課題を関連づける。ナショナリズムと国際主義は相反するとされるが、国際的な課題に取り組むことで政府の能力が向上して国内問題を解決できることもある。第二に、新興国と先進国が貿易や新たな国際協定などで連帯を強めることも必要だ。そして、気候変動や核拡散など、(多くの国が)脆弱性を抱える課題に対応していかねばならない・・・

アイケンベリー教授の主張は、かつてこのページでも紹介しました。「勢力均衡や覇権主義でない国際秩序」「その2

浅野亮・同志社大学教授の言葉から
・・・中国が米国をしのぐ力を持った時、ウェストファリア体制(国家主権の尊重を基調とする伝統的国際秩序観)や既存の価値を尊重するのか、自国の狭い利益を追求するのかはわからない。いずれの場合も、中国の力が衰え、一帯一路で拡大した勢力範囲や社会整備基盤システムを維持できなくなった場合、何が起きるか、どのような崩壊プロセスがあり得るのかを考えないといけない・・・

歴史をつくるもの、『維新史再考』2

2018年1月30日   岡本全勝

歴史をつくるもの、『維新史再考』の続きです。
先生の設定する「課題の認識とその解決の模索というモデル」は、すばらしいと思います。
歴史記述の方法には、一方に英雄や政治家たちがつくりあげる「主体モデル」があり(ドラマや小説です)、他方に経済や社会の変化が生みだす「社会の変化モデル」(経済学的分析など)とも言うべき形があります。
しかし、それぞれ一面的すぎます。主役の思うようには進まず、経済社会の変化だけで規定されるものでもありません。後者では「人」が見えなくなります。
そして、歴史はそんなに単線的には進みません。大勢の主体が登場し、その駆け引きや判断の中で、ジグザグに進んでいきます。それをどのように記述し分析するか。三谷先生の視角はそれへの回答です。

幕府統治が揺らいだとき、次の政権をどのように構想するか。
徳川方でも、いろんな考えがありました。慶喜、幕閣、尾張慶勝・越前春嶽、会津・桑名。将軍の言うとおりには動きません。朝廷でも、孝明天皇、摂関家、急進派公家。それぞれに意見が違います。西国大名でも、薩摩(久光、大久保、西郷、小松帯刀)、長州(この中はもっと分裂して武力闘争が起きます)、土佐。そして京都を徘徊する志士たち。
主体モデルを正確、精緻に記述しようとすると、大変な人数が登場するはずです。歴史小説は、そこを大胆に切り落として、わかりやすく書いています。

そして、時間の変化とともに状況が変わり、課題が変化して、彼ら主体たちの考えも変化します。攘夷がころっと捨てられるように。
そして、状況が変化した際に、主体による意図の違いが見えてきます。次を目指す大久保や西郷、元に戻そうとする幕閣、「現状」での主導権を持とうとする慶喜や公家・・。

先生の「課題認識とその解決模索モデル」は、登場人物たちが歴史を作っていくという点で、上述の「主体モデル」に近いです。しかし、「課題認識」という点で時代と社会が設定する課題を入れているので、「社会の変化モデル」も入っています。そして、ジグザグに進むという点が見えてくるのです。

国民投票、思わぬ結果

2018年1月30日   岡本全勝

1月30日の朝日新聞「憲法を考える」は「国民投票 経験国からの警鐘」です。2016年に国民投票を実施したイギリスとイタリア。ともに、投票を主導した首相が、予期せぬ結果で退陣しました。両国を訪れた調査団の報告書です。
そこに見えるのは、ともに首相が自らの立場を強くしようともくろんだのが、裏目に出たことです。

まず、イギリスです。
・・・キャメロン氏はまず「最も注意を払うべきは、国民投票が政府に対する信任投票になってしまったり、他の政策的な問題に対する投票になってしまったりするのではなく、『投票用紙に書かれた質問文』に対する投票となるようにする点だ」と議員団に語った・・・
労働党のヒラリー・ベン下院EU離脱委員長は、・・・一方で、政府にことさら反対するために国民投票が利用される危険性も指摘。「何をテーマに国民投票を行うかについて、よく注意しなければならない。国民投票を行って負けた場合、もう議論の余地がなくなってしまうから」・・・
・・・ケンブリッジ大学のデービッド・コープ教授は、過熱した運動が展開された投票をこう総括した。
「いま英国の政治家、産業界、学会の有識者に聞けば、ほぼ100%の人たちが『もう国民投票などすべきではない』という強い意見を持っているだろう」・・・

次は、イタリアです。
・・・ステファニア・ジャンニーニ前教育・大学・研究相は「残念であったのは、国民投票の段階でレンツィ政権に対する賛否を表すという政治的な内容と、国家の機能の簡略化、効率化及び透明性を図るという憲法改正の純粋な内容とを、明確に分離することに失敗したことだ」と総括した・・・

歴史をつくるもの、三谷博著『維新史再考』

2018年1月29日   岡本全勝

三谷博著『維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ』(2017年、NHKブックス)が勉強になります。
明治維新は、徳川幕府から王政に変わっただけでなく、統治身分であった武士階級の解体と平等化、300諸侯による分権・封建的統治から中央集権国家へという社会・政治革命でした。それも、政治的死者は3万人程度と、フランス革命に比べ2桁少ないのです。同時期に行われたドイツ統一では、日本ほど集権は達成できず、連邦国家でした。
私は読みながら、先生の設定した次の視点を考えました。

「ここでは、伝統的な主体中心の記述をやめ、課題の認識とその解決の模索というモデルを使った。維新というと、とかく活躍した特定の藩や個人、そして彼らの敵役に注目しがちである・・・
本書では、19世紀半ばの日本人が気づいた問題状況を再現した後、彼らがどのような課題を設定し、解決を模索したかをたどってゆく。模索の中で課題が修正され、新たな課題も発見される。それに伴って政治的な提携と対抗の関係も再編成される。こうすると、変化が把握しやすくなる。とりわけ、維新のように、個々の時点での変化は微少でありながら、安政5年政変から西南内乱まで20年の間には巨大な変化が生じていたというタイプの変革を理解するには都合が良い。また、この視角を採用すると、政界に登場した様々の主体を公平に評価できるようにもなる・・」(p4)

先生が設定する「認識された政治課題」は、「公議」「公論」「王政」です。これは本書を読んでいただくとして。
幕閣と雄藩、志士たちは、開国、攘夷、尊皇という政治争点を掲げますが、攘夷はあっという間に転向され、尊皇は倒幕を経て武士支配の解体まで進んでしまいます。島津久光が腹を立てるはずです。他方で、負担に耐えかね、自ら統治権を返上する藩主もいました。

徳川慶喜が、自ら将軍職を返上し、最終的には朝敵として政治の舞台から追われます。しかし、その過程では、大大名らによる公議による統治、そしてその盟主を目指し、成功しかけます。それを、薩摩がクーデターと武力挑発で追い落とします。
開国、安政の大獄、長州討伐などの過程で、幕府統治が揺らぎ、ペリー来航から15年で幕府が崩壊します。だれも1853年の時点で、1867年を想像した人はいなかったでしょう。
国際化という社会の動きを背景にしつつ、参加者の思惑が絡み合い、歴史が進んでいきます。
この項続く。

御厨政治史学

2018年1月27日   岡本全勝

東京大学先端科学技術研究センター御厨貴研究室『御厨政治史学とは何か』(2017年、吉田書店)は、御厨貴先生の著書をめぐるシンポジウムの記録です。というか、御厨先生の関係者が、先生の研究について語るというものです。
先生の著作2冊は、『明治史論集』(2017年、吉田書店)と『戦後をつくる』(2016年、吉田書店)です。それぞれ大部で、まだ読めずに本棚で寝ています。

2ページに佐藤信さんが、「実験室の民俗誌」と書いておられます。
・・・科学史には「実験室の民俗史」という分野がある。科学的知見がいかなる環境-機材や資料や人的ネットワーク-のもとで得られたのか問うのである。これになぞらえるなら、このシンポジウムの一面は御厨史学の実験室の民俗史である。八雲の都立大という空間、サロンのような憲政資料室、草創期『レヴァイアサン』の印象など、若い学徒にとってはいずれも貴重な証言である・・・

そうですね、研究の成果は「真空」の空間で生まれるのではなく、研究者の置かれた環境で作られるものです。それは、パラダムといった思考の枠組みや、時代の雰囲気、そして研究室の先輩などでしょう。

先生の発想は、『明治国家形成と地方経営』(1980年、東大出版会)、『政策の総合と権力』(東京大学出版会、1996年)に示されているように、これまでの研究者にない新たな視点、それも包括的な視点です。
私にとって、前者は自治官僚として、後者は「内閣官僚」(各省の官僚でなく内閣官房など霞が関全体を見る官僚)として、重要な本です。それぞれの議論以上に、そのような視点が、勉強になります。前者は「経営」、後者は「総合」という視点です。