カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

「いずれ対策はとられるだろう」

4月7日の朝日新聞オピニオン欄「専門誌に聞け」、「週刊東洋経済」西村豪太編集長の「資本主義を見つめて:2」から。
・・・創刊5千号という記念号が出たのは1991年のことでした。私はその頃この会社への入社が内定した直後で、当時もらった実物をまだ保管しています。記念号の特集タイトルは「GNPが世界一になる日」でした。20年後の2010年に日本はGNP(国民総生産)世界一の国になっている――そんな未来像を思い描ける時代だったのです。ただ特集の中身自体は、タイトルから想像されるものよりは冷静でした。最後に次のように総括されているのです。
日本が若年人口の減少や高齢化という問題に直面していることは今から分かっているのだから、いずれ対策はとられるだろう。今のままではダメだが、政治家も官僚も変わるに違いない。2010年の日本は、国家としての力は弱まっているかもしれないが住みやすい国になっているだろう……と。
当時の記者が取材を重ね、未来への期待を形にしたらどうなるかと考えた結論でした。長期的課題を前にして「いずれ対策はとられるだろう」という楽観を持つことは禁物だと自戒させられます・・・
参考「変えなければ変わらない

政策の体系化

4月4日の読売新聞、伊藤俊行・編集委員「中国を囲む四角形 強さはしなやかさ」に次のような指摘があります。
・・・安倍晋三・前首相のもとで構想された「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)を進める日米豪印の「クアッド」は、中国の反発を気にして慎重だったインドの姿勢が、昨年のカシミール地方での中国軍との衝突を経て変わり、ようやく四つの角が整った・・・
・・・FOIPの原型は、第1次安倍政権で麻生太郎外相(当時)が提唱した「自由と繁栄の弧」にある。
東南アジアから東欧に至る、中国を囲むように弧状に分布する不安定な国々の発展と民主化を、日本が支援する構想だった。
当時、外務省幹部が部下に、「既にある政策や援助案件でいいんだ。『自由と繁栄の弧』のシールを貼れるものを探せ」と指示していた場面を思い出す。
なんだか粉飾のようだなとも思えたやり方には、大事な含意があった。一見バラバラに見える政策でも、共通する理念を掲げることで点が線になり、メッセージもはっきりする。
名前を与えることが、大切だ・・・
参考「優先順位を体系で示す

差別につながる文書の売買規制

4月3日の朝日新聞に「ハンセン病資料?ネット出品 明治期患者の個人情報、回収手段なく」が載っていました。
・・・明治時代に長野県内のハンセン病患者の情報をまとめたとみられる資料が2月、インターネットのオークションサイトに出品された。患者の住所や氏名が書かれていたとみられ、新たな差別につながる恐れがあった。資料は最終的に支援団体が買い取ったが、法的に回収する手段はなく、県は対応に苦慮した・・・

・・・「ヤフオク!」に出品された資料は「癩病患者並血統家系調」と題された台帳のような書類。敬和学園大(新潟県)の藤野豊教授(日本近現代史)からの連絡で出品を把握した長野県が確認したところ、表紙には「明治三十二年」「大町警察署」「永年保存」とあった。患者名、住所、生年月日などの個人情報が閲覧できる状態だった・・・
・・・資料が他者の手に渡れば、患者の子孫の人権を侵害する恐れもあった。だが、県にも県警にも関連する記録や資料はなく、強制的に回収できる法的根拠もない。県は古書店に無償提供を頼んだが断られ、「外部に出さないようお願いするしかなかった」という・・・

法律で規制し、場合によっては国が買い取る制度を、つくるべきだと思います。

バス路線の維持経費

3月13日の日経新聞、東日本大震災10年「被災地、弱る住民の足 高台の移転先にバス路線なく 補助金終了、自治体に重荷
・・・東日本大震災の被災自治体で住民の「足」となる交通網の負担が重荷になってきた。仮設住宅が集まる地区をつなぐバス路線整備に充てる国の補助金が次々と打ち切られ、支給対象だった宮城県気仙沼市など16市のうち少なくとも14市で再び自治体が負担する費用が拡大している。高台にある集団移転先など向けに路線を整備する余力は乏しく、住まいと交通網はちぐはぐな状態が続いている・・・

仮設住宅団地や高台の住宅地をつなぐバス路線に、国費で助成をしてきました。そうしないと、住民の足がないからです。記事では、2015年に10億円あった補助が、2020年には1億円を下回るそうです。減少分は、自治体の負担になります。

これは、被災地だけの問題ではありません。道路建設には巨額の予算が投入されるのに、鉄道やバスにはほとんど入れられていないのです。いくら道路を造っても、バスが走らないと、子どもや老人には意味がありません。提供者の論理でなく、利用者の論理で、総合的に考えることはできないのでしょうか。この問題は、このホームページで何度か取り上げています。「道路建設・管理と鉄道建設・運営との違い

有識者会議の長所と欠点

2月28日の読売新聞「地球を読む」は、御厨貴先生の「戦場と化した復興会議」でした。
・・・はや10年前の話になったが、2011年3月11日の東日本大震災に対応したのが、同年4月14日から開かれた「東日本大震災復興構想会議」だった。議長代理を引き受けた私は、いかにも自民党政権時代の前例踏襲を嫌がる民主党政権らしいと感じた・・・

・・・そんな中で発足した復興会議のメンバーは、これまた通常の審議会とは違う異色の人材ぞろいだった。
16人のうち、知事3人、防災・建築関連3人を除くと、大半は行政や復興事業の門外漢である。特に東北地方にゆかりのある、従って思い入れの強い方々が過半を占めていた。
議長団の政治学者3人(五百旗頭いおきべ真議長、御厨、飯尾潤検討部会長)も、いわゆる審議会人ではない。有り体に言えば、会議の進行がどうなるかや、議論の着地点が見えなかった。
石原信雄元官房副長官から、「この審議会は、どこに着地するのかが分からない。危険だからやめた方がよい」とのアドバイスを受けたほどだ。
「素人集団」の会議は、海図なき航海に出帆するや、たちまち「会議は踊る。されど進まず」を地でいく展開となった。メンバーが過剰な役割意識を持ったためだろうか。“踊る”という表現がぴったりとくる劇場的な様相を見せた。
各委員は長々と自説を論じ、会議は時として5時間にも及んだ。議長団の制止も聞かず、委員の怒号が飛び交う戦場と化した。民主党政権下、官僚は委員との直接的な接触を止められていたから、説得工作も議長団が行い、大変な苦労を強いられた・・・

・・・復興会議の議論が空転するうち、委員の多くが、“東北への思い”を形にしたいと思っていることが分かってきた。それは「阪神・淡路復興委員会」の下河辺しもこうべ淳委員長が、「地域への思いを語る人がいないと結局はまとまらない」と言ったことと合致していた。
ただ“思い”を形にするのはきわめて難しい。我々議長団は、事務局のマンパワーを動員して委員の思いのたけを短冊化し、平台に載せては方向性を見いだす作業を繰り返した。普通の審議会なら言いっ放しで終わらせるようなことも、丁寧にすくい上げた。
その結果が、6月25日に提出した「復興への提言―悲惨のなかの希望」である。各論は検討部会が各省と調整して作り上げた具体案で網羅されたが、「前文」から各論の「序」や「結び」の部分は全体として、詩のリズムと劇的セリフで満たされた雰囲気に仕上げた。国の提言としては空前絶後のことだろう。“東北への思い”を口にする委員の多数派と議長団が、かろうじて歩み寄った形だ。

「提言」が出された後、事情を知らぬ方々からは、「自己陶酔か?」「自意識過剰!」とのお叱りを受けた。政治学者トリオが議長団にいながら心情吐露に終わったのか、という批判もあった。しかし、たまたま会議に姿を見せた菅かん首相でさえ「この会議は崩壊するのじゃないか」と独りごちたという会議の実態を考えれば、妥当な解決だったろう。10年後の今、もし同じような提言をすれば、SNSを含むメディアに“復興劇場”は徹底的にたたかれるのかもしれない・・・

御厨先生は、日経新聞にも寄稿しておられます。3月4日「人と人つなぎ「災後」切り開け 東日本大震災10年