歴史をつくるもの、『維新史再考』2

歴史をつくるもの、『維新史再考』の続きです。
先生の設定する「課題の認識とその解決の模索というモデル」は、すばらしいと思います。
歴史記述の方法には、一方に英雄や政治家たちがつくりあげる「主体モデル」があり(ドラマや小説です)、他方に経済や社会の変化が生みだす「社会の変化モデル」(経済学的分析など)とも言うべき形があります。
しかし、それぞれ一面的すぎます。主役の思うようには進まず、経済社会の変化だけで規定されるものでもありません。後者では「人」が見えなくなります。
そして、歴史はそんなに単線的には進みません。大勢の主体が登場し、その駆け引きや判断の中で、ジグザグに進んでいきます。それをどのように記述し分析するか。三谷先生の視角はそれへの回答です。

幕府統治が揺らいだとき、次の政権をどのように構想するか。
徳川方でも、いろんな考えがありました。慶喜、幕閣、尾張慶勝・越前春嶽、会津・桑名。将軍の言うとおりには動きません。朝廷でも、孝明天皇、摂関家、急進派公家。それぞれに意見が違います。西国大名でも、薩摩(久光、大久保、西郷、小松帯刀)、長州(この中はもっと分裂して武力闘争が起きます)、土佐。そして京都を徘徊する志士たち。
主体モデルを正確、精緻に記述しようとすると、大変な人数が登場するはずです。歴史小説は、そこを大胆に切り落として、わかりやすく書いています。

そして、時間の変化とともに状況が変わり、課題が変化して、彼ら主体たちの考えも変化します。攘夷がころっと捨てられるように。
そして、状況が変化した際に、主体による意図の違いが見えてきます。次を目指す大久保や西郷、元に戻そうとする幕閣、「現状」での主導権を持とうとする慶喜や公家・・。

先生の「課題認識とその解決模索モデル」は、登場人物たちが歴史を作っていくという点で、上述の「主体モデル」に近いです。しかし、「課題認識」という点で時代と社会が設定する課題を入れているので、「社会の変化モデル」も入っています。そして、ジグザグに進むという点が見えてくるのです。