カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第208回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第208回「政府の役割の再定義ー最低賃金、国民の負担と政治主導」が、発行されました。

政治主導がうまくいっていないことの2番目として「政策の優先順位付け」を議論しています。全体を見渡して伸ばす政策(予算)と削減する政策(予算)を決めるのは、政治家の役割です。官僚にはできません。
政治家による優先順位付けでうまくいった例として、東日本大震災復興の事例を取り上げました。

利害対立の調整も、政治家の役割です。官僚主導の時代では、審議会という仕組みを使って処理することもありました。それが現在も続いている例が、最低賃金の決定です。知事たちが、審議会による決定に異論を唱え始めました。

国民に負担を問うことも、政治家の役割です。消費税率は、2012年の野田佳彦・民主党政権で5%から段階的に引き上げることを決め、安倍晋三内閣で時期を遅らせつつも実施されました。しかし、皆さんご承知の通り、日本の財政は先進諸国では飛び抜けて悪いのです。そして、改善の見込みなく悪化しています。

連載「公共を創る」第207回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第207回「政府の役割の再定義ー政策の優先順位付けと利害調整」が、発行されました。政治主導がうまくいっていないことについて議論しています。

政治主導へ転換するために、国会での委員会での官僚の答弁機会は減ったのですが、首相や大臣の答弁案を作成する業務は、以前と変わっていません。国会での質疑が、政治家同士の議論になっていないのです。
また、法律案や予算案の与野党への説明も、政治家でなく官僚が担っています。しかも、その際には政治家から官僚に対し時に厳しい要求や追及が行われます。政府提出法案などの内容は、与党の部会で実質的に決定するのですが、これは非公開で行われています。

政治主導がうまくいっていないことの2番目として、政策課題に優先順位をつけることを取り上げます。かつて「官僚主導」と言われた政治過程は、各省官僚と与党各部会がそれぞれの分野を拡大するものでした。しかし経済が停滞すると、どこかを削る必要が出てきました。これは官僚にはできないことです。政治家による利害調整、優先順位付けができていない事例と、うまくいった事例を説明します。

連載「公共を創る」第206回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第206回「政府の役割の再定義ー内閣の政策立案と「官邸主導」」が、発行されました。政治主導がうまくいっていないことについて、「官邸主導」の問題を議論しています。

首相が新しい発想で新しい政策に取り組むことは、重要なことです。しかしその際には、唐突に指示を出すのではなく、しかるべき手順を踏んで政策に作り上げることが必要です。
中曽根康弘内閣の臨時行政改革推進審議会、橋本龍太郎内閣の行政改革会議など、歴代首相は、内閣の方向性を考えるための大きな視野の「知恵袋」を持ち、そこでの議論を通して自らの内閣の方針とその策定過程を国民にも開示してきました。

省庁改革では、重要事項を審議するために「重要政策に関する会議」をつくりました。一般的な審議会では、首相や大臣が外部有識者から成る審議会に審議事項を諮問し、報告を受けます。しかし重要政策に関する会議では、主に首相が議長になって審議を進めるのです。
経済財政諮問会議はその一つで、経済財政政策に関する重要事項について調査審議します。小泉純一郎首相がこの会議を活用し、毎年夏に「骨太の方針」を策定することで、官邸主導の予算編成と政策決定を行いました。
その後も経済財政諮問会議は開かれ、「骨太の方針」はつくられていますが、かつてほど活用されていないようです。

官邸主導の問題の一つは、首相が次々と指示と目玉政策を出すのですが、それぞれの政策の評価がなされないままに、次の政策が提示されることです。
しばしば、首相が記者会見で目玉政策を発表したり、会議の場で指示を出したりする映像が流れます。それは、首相の政治主導ぶりを見せる良い方法ですが、政治主導は指示を出すことだけでなく、それが適切だったか、そして良い成果を生んだかによって判断されなければなりません。

連載「公共を創る」第205回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第205回「政府の役割の再定義ー「官邸主導」の問題点」が、発行されました。

第2次安倍晋三内閣は、首相の政治主導が際立ちました。それは「官邸主導」と呼ばれましたが、これまで目指された政治主導とは違っていました。
首相が記者会見や施政方針演説で「唐突に」大きな政策を打ち出すことで、国民への訴求力は高まったと思われます。しかし事前に関係者による討議を経ていないので、その問題点や実現過程について十分な検討がなされていない恐れもあります。そしてその唐突さは、予測が立たないことで、官僚たちを右往左往させたようです。
また、官邸の判断と違う政策を大臣以下の判断では実施できなくなってしまうことから、各省の官僚たちが政策を考えなくなり、「指示待ち」になってしまったともいわれます。

例えば、新型コロナ感染初期の一斉休校も混乱を引き起こしました。
2020年2月に、安倍首相が感染拡大防止のために学校の休校を打ち出しました。この判断は正しかったと思われますが、その唐突さが問題を生じさせました。首相がその方針を表明したのは木曜日の夕方で、休校は翌月曜日からでした。
保育園や学校、学童保育が休みになると、働いているお父さんとお母さんのどちらかが、仕事を休んで面倒を見ることになります。それぞれ、月曜日の仕事の予定が入っていたでしょう。せめて週の前半から、休校の可能性とその理由、実施の際の問題点などを公表しておいてもらえれば、対応策を講じることもできたでしょう。

連載「公共を創る」第204回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第204回「政府の役割の再定義ーうまくいっていない「政治主導」」が、発行されました。
第199回から、政治主導の在り方を議論しています。今回から、これまでの実績を振り返り、改革が意図通りになった点とうまくいっていない点を議論します。まず、「政治家と官僚の役割分担」を説明します。

目指した政治主導は、単純なことでした。政治家は期待される本来の仕事をし、官僚も自らの役割を果たす、ということです。官僚が政策のお膳立てをし、首相と閣僚はそれに乗っかるのではなく、首相や大臣が政策立案を主導する、官僚はそれを補佐し、決められた政策を実行するというものです。政と官の役割分担の明確化、適正化です。
省庁改革が2001年に実行されてから、ほぼ四半世紀が経た ちました。政治主導は実現したでしょうか。まだ道半ばでしょう。その理由は、政府が社会の課題に対して適切な政策を打てていないという現状があり、それは政治家と官僚が十分に務めを果たしていないからだと思われるからです

これまでの運用を振り返ると、その問題は三つに分類するとよいと、私は考えています。一つは、政治家と官僚の役割分担が、うまくいっていないことです。次に、政治家が政治主導を使い切れていないことです。そして3番目は、政治家と官僚の意思疎通がうまくいっていないことです。

2009年に政権についた当時の民主党は、政治主導を徹底するとして「脱・官僚主義」「脱官僚」を掲げました。政策決定は政務三役が行い、官僚は政務三役が行った決定を執行するものとしましたた。しかし、すぐに行き詰まり、民主党政権の失敗の一つと記憶されました。
政務三役が政策の方向を決め、官僚に実施を指示することは、それ自体が間違ったことではありません。しかし、すべての政策を政務三役が理解し、判断することは無理なのです。