「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載「公共を創る」第223回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第223回「政府の役割の再定義ー与野党の政策立案能力の低下」が、発行されました。

政治主導がうまくいっていないことの一つとして、政治家の間の役割分担を議論しています。首相と大臣との役割分担の次に、各府省での大臣と副大臣と大臣政務官との分担について見ます。
前回で述べたように、首相と大臣の役割分担が混乱すると、大臣と官僚、そして大臣と副大臣や大臣政務官との役割分担も混乱します。
大臣や副大臣、大臣政務官の多くが1年で交代することの弊害もあります。1年では、予算年度を一巡する間に、決裁などの事務処理や多くの行事をこなすのが精いっぱいで、疑問や問題を見つけても、改善することができません。官僚たちと政策を議論する時間的な余裕がないのです。さらには、将来の職歴上昇に向けて、じっくりと大きな政策構想を築くための勉強もできないのです。

次に、政治家の役割分担の一環として、政府(内閣)と与党との関係について取り上げます。
政府と与党の二元制では、与党(議員)は多くの政策を行政機構(官僚)に依存することになります。自ら政策を検討することがなく、各省から出てくる政策案を議論したり、支援者などからの情報に基づく関心事項を各省に示して政策を検討させたりするからです。
もちろん、議員が関心事項について、各省に問い合わせることはあることです。また、議員に寄せられた情報を、各省の政務職や関係の部局に伝えることもおかしいことではありません。しかし官僚が、あたかも与党政策審議会の下部組織のように仕事をしてきたのがこれまでの実態です。

連載「公共を創る」第222回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第222回「政府の役割の再定義ー政治家に求められる将来像の提示」が、発行されました。

この国の将来像を考える際の基盤を説明しています。その三つ目は、成熟社会になって見えてきた課題への対処と、意識の転換が遅れていることです。欧米先進諸国でも、このような移行期の不安はあったと思われますが、長い年月をかけて対応したのでしょう。それに対し日本は、短期間で大きく変化したことから、そのずれに悩んでいます。たぶん、日本を追いかけてきたアジア各国も、これから同じような悩みを経験するのではないでしょうか。

以上で、この国の将来像を考える際に基盤となるであろう、三つのことを説明しました。
一つ目は、我が国が経済発展と自由で安全な社会を達成したことで、これからは「国民が自由に振る舞う、国家はその条件を整える」ことが将来の国家像の基礎になることです。
二つ目は、経済発展を達成した1990年代と現在では、内外の条件が大きく変わったことです。
その後は産業が衰退し、経済的先進国ではなくなりました。国内外には、新たな不安が増大しました。これらに、対処しなければなりません。
三つ目は、成熟国家になって見えてきた課題への対処です。「成熟社会の中の不安」と「意識転換の遅れ」です。

世界では、権威主義国家は、国民を動員して奮い立たせ、かつ指導者へ服属させるために、いろんな政治的あるいは文化的「物語」をつくり、宣伝します。そのような物語に巻き込まれたり屈服したりしないように、民主主義国家も人びとに、その体制の魅力を語らねばなりません。民主主義国家が語るそれは、権威主義者のような「物語」そのものではなく、人びとが夢のある「物語」を自らつくり出すための場を提供することであるはずです。我々は、国民に夢と安心をもたらすためにも、国際競争に生き残るためにも、魅力ある日本の「場」をつくり、国民と諸外国に語りかける必要があります。

次に、少し角度を変えて、「政治家の間の役割分担」と「内閣と与野党と国会の役割分担」について考えてみましょう。政治家と官僚の役割分担がうまくいっていないのと同様に、政府内での政治家の間の役割分担も必ずしもうまくいっていないようです。

連載「公共を創る」第221回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第221回「政府の役割の再定義ー成熟国家への転換期における苦悩」が、発行されました。

政治の役割として、目指す国家像を示すことを説明しています。
国家像を議論する際の共通基盤の第三は、成熟国家になって見えてきた課題への対処です。
かつて豊かさを達成し、ジャパン・アズ・ナンバーワンと「慢心」しました。しかし実際には、豊かさを達成しただけでは、すべての問題が解決したわけではありませんでした。豊かさと平等を達成したと思っていましたが、そうでない人たちもいました。
そして、新しい不安が生まれました。豊かさとの引き換えに不足感と不安が生じ、豊かさ故に新たに不足感と不安が生じたのです。それとともに、国民の意識や社会の仕組みが、現実の変化に追い付いていない問題もあります。過渡期の悩みですが、行く先がよく見えていません。

日本列島に住む人は、弥生時代以来、村で支え合って生きてきました。家族や親族、地域社会に縛られつつ、一方で守られて安心を得ることができました。村から離れて、家族形態だけでなく職業や住む場所も、個人が選ぶことができるようになった社会で生きているのは、初めてなのです。束縛はなくなったのですが、どうやって生きていけばいいのか自分で考えなければなりません。しかし、まだほんの数世代の経験しかないのです。

連載「公共を創る」6年

公共を創る」の連載が丸6年になり、7年目に入りました。
第1回は、2019年4月25日でした。今年4月17日で第220回になりました。よく6年も続いたものです。月に3回(当初は毎週)、毎回の紙面では4ページ、文字数にして6800字余りです。自分で自分を褒めてやりたいです。いつも同じことを言っていますね。
資料提供など協力をいただいた、たくさんの人に感謝します。右筆さんの毎回の厳しい朱入れがなければ、できませんでした。

こんなに長くかかるはずでは、なかったのですが。全体構想では、もう少しで完結する予定です。「連載「公共を創る」5年

と書いたら、肝冷斎に「石の上にも6年」と評価(?)されました。

連載「公共を創る」第220回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第220回「政府の役割の再定義ー国家像を議論する共通基盤」が、発行されました。

政治家の役割として、この国の向かう先を指し示すことを取り上げています。
1980年代には世界有数の豊かさを手に入れ、併せて自由と平等、安全と安心も手にしました。目標を達成したのです。そこで当時も、日本は次に何を目指すべきかが議論されました。
中央省庁改革の方向を決めた「行政改革会議最終報告」(1997年)は、経済成長を達成した後、行き詰まった日本の行政システムを改革するものでした。そこでは行政の仕組みにとどまらず、「この国のかたち」の変革を求めました。省庁改革は実現したのですが、その後の目指すべき日本の姿については、政治家、官僚、識者の間でも議論は深まりませんでした。結局、明確な将来像も国家戦略も持ち得ないままに、現在まで至っています。

そのような議論をせずに、行政改革を続けました。今も、「身を切る改革」などを主張する政治家がいますが、政府を小さくしても、国民が満足する社会は実現できません。私たちが取り組まなければならなかったのは、行政改革を深化させることではなく、目指す将来像の議論であり、その中での行政の役割だったのです。

では、これから日本が目指す国家像は、どのようなものでしょうか。「国民が自由に振る舞う、国家はその条件を整える」という政治哲学では、かつての「強い日本」「豊かな日本」といった、国民が共通に目指す国家目標は、設定が難しくなりました。
石破茂首相が「楽しい日本」を提唱しました。反対意見もあります。目指す国家像は人によって異なるでしょう。

目指す国家像が人によって異なることは当然として、議論する際に前提となる「共通基盤」はあると思います。
その1は、我が国が経済発展を達成したことと、それに伴う国内の諸状況です。
2つめに、国内外の諸条件を、念頭に置かなければなりません。1990年代と現在では、「次の日本の目標」を考える際の内外の条件が大きく変わった、ということです。