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生き様-旅行記

中国・ネパールで考えたこと2010年

(中国出張)
ご無沙汰していました。8日(月曜日)から今日(12日)まで、中国に出張していました。このホームページは、自宅のパソコンからしか加筆できないので、その間、更新できませんでした。このページを訪れてくださった方には、お詫びします。
携帯パソコンを持っていったのですが、インターネット環境が悪く、メールをうまく見ることができませんでした。私あてに電子メールを出していただいていながら、私からの返事が来ていない場合には、申し訳ありませんが、再度お送りいただけますか。

仕事は、中国財政部(財務省)との、地方行財政に関する定期意見交換です。中国中央政府には、総務省(旧自治省)に相当する役所がないので、地方財政については、財政部が相手になります。中国は、地方政府の支出割合が大きく、経済発展が著しいのですが地域間不均衡もあり、国と地方の税源配分や財政調整が大きな課題です。16年前に国税と地方税について、大改正をしました。国庫補助制度や地方交付税に似た制度もあります。
地方政府は、簡単に言うと、省、市、県、郷と鎮の4層になっています。しかし、法人格が分かれておらず、仕事や財政が混在しています。また、急速なインフラ整備のために、地方政府自身だけでなく、出資をした別法人による事業も大きいです。

北京では、丹羽宇一郎大使(経済財政諮問会議でお仕えしました)、山崎和之公使(一緒に総理秘書官をしました)にも、お会いすることができました。中国は訪問するたびに、急速な発展を遂げています。今回は、北京のほか、山東省(斉南や青島など)にも連れて行ってもらいました。この時期には珍しい黄砂にも、あいました。
中国についても、そして日本についても、考えることもたくさんありました。外から日本を見ると、そして日本を追いかけている中国から見ると、日本の中にいるより、より日本が見えます。それらについては、追々書きましょう。(2010年11月12日)

(中国の国地方財政関係)
中国で学んできたことの一端を、書いておきます。
中国では、1994年に税制改正を行いました。それまでは、地方税収が、国と地方を合わせた全税収の7割から8割を占め、地方政府が中央政府に上納していました。1994年に大改正をし、大幅に国税に移管しました。この結果、国と地方の税配分は、約5対5になりました。
中央政府は、そこから地方政府に対し、「税収返還」を行い、さらに「財政移転」行います。これで、国と地方の支出割合は2対8になります。
このうち税収返還は、国税の一定割合を地方政府に還付するものです。性格としては日本の譲与税に近いですが、日本では少額です。また財政移転には、支出項目を限定したもの(専項移転。日本の国庫補助金に相当)と、自由に使えるもの(財力性移転。日本の交付税に相当)があります。地方政府全体では、中央政府からの財政移転は、収入の約半分を占めています。
この結果、財政力の強い東部と、弱い中部・西部との差は縮まっていますが、まだ格差は残っています。
中国の地方行財政については、自治体国際化協会が、良い紹介を作っています。(2010年11月14日、15日)

(中国で考えたこと)
中国に行くたびに、そのめざましい経済発展ぶりに、驚かされます。しかし、振り返れば、日本もかつてそうだったのです。
日本の経済発展の軌跡と中国の軌跡を並べると、なお10数年は、中国の発展は続くでしょう。すなわち、日本が欧米に並ぶまでは、絶好調だったと同じようにです。(「戦後日本の経済成長と税収」のページの図表GDP1955-2009.pdf )
課題は、その後です。キャッチアップ型の政治経済から、先進国型に転換できるかどうか。日本は今、それに悩んでいます。もちろん、日本よりはるかに大きい人口、広大な国土で、発展することはより困難でしょう。また、貧富の差、地域間格差、日本より早いであろう高齢化、成熟していない年金制度などの困難もあります。いつまで、現在のような政治体制が続くかもです。

中国とアジアの経済発展は、日本の産業に大きな打撃を与えています。しかし、アジアの国々が発展することは、地域の安定にも、これからの日本にとっても、プラスでしょう。貧しい国々の中で、一人だけ先進国になっていても、アジア全体の安定にはなりません。いつまでも「民主主義と経済発展をした唯一の非白人国」では困るのです。
私はかつてアジア諸国を訪れるたびに、「いつになったら、この国々の人と、対等にしゃべることができるようになるのだろう」と、考えていました。あまりの経済格差は、対等な会話を成り立たせません。韓国が日本に肩を並べたので、韓国の人とは会話しやすくなりました。かつては、お互いに遠慮というか、いろいろ意識して話していました。
日本人は、しばしばヨーロッパに憧れますが、アジアがヨーロッパのようになるためには、近隣諸国がある程度同程度の経済水準になる必要があります。この経済発展ぶりだと、そう遠くない日でしょう。これまで一人勝ちだった日本にとっては、さみしいことでもありますが。
アジア諸国が同程度の水準になった時、その中でどれだけ日本が先に進むか。いよいよ、日本の実力が試されるのです。(2010年11月30日)

(中国らしい近代化はあるか)
先月、中国を訪問し、その経済発展ぶりが素晴らしいことを、このホームページでも書きました。日本の高度成長期との類似も。もう一つ考えたことがあります。それは、「経済発展・近代化は欧米化なのか」ということです。
確かに、中国の経済発展、今回見たのは北京であり青島ですが、素晴らしいです。しかしそこに、中国らしさは見あたりません。一つ一つのビルは大きく立派であり、デザインもしゃれています。そして、土地が広いので、それら高層ビルが整然かつゆったりと建てられています。その点は、日本の都会やマンハッタンとは違います。
しかし、鉄筋コンクリートとガラスという素材にしろ、高層ビルという立て方やデザインにしろ、アメリカで見ても違和感はありません。ホテルや食堂、政府関係の建物にしか、入らなかったのですが、その中の仕組みも同じです。

ホテルの中の「仕組み」が世界で共通なのは、旅行者にとって、とても助かります。これは、カトマンズでも同じでした。フロント、ボーイ、カードキー、部屋中の配置、風呂と洗面所、レストラン、ビュッフェスタイルの朝食、清算の仕方・・。西欧システムというのか、イギリス・アメリカシステムというのか、日本でもどこでも同じです。外国にいることを忘れてしまいます。もちろん、私たちも、日本国内でも、その仕組みに慣れたということです。かつては、西欧式のお風呂の入り方を教えてもらい、便器の使い方は図解してありましたよね。日本風の旅館とは違うのです。

さて、本題に戻ると、かつて中国に行くと、随所に中国らしさがありました。しかし、近代化が進み、それらはどんどん無くなっているようです。日本も同じですが。土産物を考えてください。書画や陶磁器が代表的なものでしょう。しかしこれらは、ノスタルジアをかき立てるものであっても、現代の中国を象徴してはいません。
かつて中国は、西欧とは違う中国文明を生みました。それは、西欧の文明をしのぐ、素晴らしいものであったと思います。しかし、現在の発展は、西欧文明へ飲み込まれることであり、近代化とは西欧への収れんのようです。現代中国は、近代西欧文明に新しいものを付け加えたり、違った路線を提示していません。キャッチアップ型の発展でしか、ないのです。
すると、前回(2010年11月30日)書いたように、一人当たりGDPがアメリカに追いつくまでは、このまま成長するでしょう。その後は、日本と同じように、停滞する可能性が大きくなります。(2010年12月27日)

(ネパール出張)
ご無沙汰していました。11月20日から今日26日まで、ネパールの首都カトマンズに出張してきました。EROPA(エロパ)という、アジアと太平洋諸国を対象とした行政学会があります。本部はフィリピンで、すでに50年を超える歴史を持つ国際機関です。研究者や組織の他に、国家も参加しています。日本も国家会員で、自治大学校がその事務を引き受けています。さらに、下部機関である地方行政センター(The EROPA Local Government Center )も自治大にあるのです。各国からの研修生の受け入れや、英語による研究の出版も行っています。

毎年、持ち回りで会議があり、今年はネパールが開催国でした。私も、執行理事会と総会で、英語で報告と挨拶をしました。短いスピーチで、事前に用意した原稿を読んだのですが。その他、執行理事会で、意見を少し発言しました。会議はすべて英語です。通訳を使った発表者が、1人だけいましたが。このような会議に慣れていない、場数を踏んでいないので、困りますね。
聞いていて、7割くらいわかる発表や5割くらいわかる発表があり、それ以下しか理解できない発言があります。一緒に行った先生方に、通訳してもらいました。皆さん結構な癖があって、「セントル」と聞こえるのが、「center」であったり、破裂音が多くて聞き取りにくかったり???。NHKラジオの実践ビジネス英会話に、インド人社員が出てくるのですが、「なるほど、これがインドの人の英語か」と、納得しました。
2013年には、日本で開催されることが決まっています。その準備も大変です。

今年のテーマは、「行政と危機管理」「リーダシップ」「連邦制」などでした。特に危機管理は、参加各国は地震、津波、地滑り、洪水、新型インフルエンザなど、様々な災害と危機にさらされています。その経験を基にした発表が多かったです。経験の共有になったことと思います。自然科学の学者も参加していましたが、この会議は行政学の会議です。災害を含む危機管理が、行政の重要な課題であると認識されているのですね。私も、興味を持って連載をしているところなので、参考になりました。

会議が終わった後も、主催者である総務大臣(Minister of General Administration。この写真の方)が声をかけてくださって、「公務員研修所に当たる施設をぜひ見て欲しい」とのことでした。隣町にある研修所は、施設も人員も充実していました。ネパールでは、上位の職に移るためには、ここで研修を受け、候補者名簿に載らないと、昇進しません。教授陣の学歴も、高いです。もっとも、それに当たる高級公務員は少なく、圧倒的多くが下級公務員で、その人たちの研修が課題のようです。
ネパールでは日本がたくさんの援助をしていて、この研修所についても、協力して欲しいとのことでした。そのために、私を案内してくださったのです。

もちろん、ネパールに行くのは、初めてです。ネパールと言えば、万年雪を頂いたヒマラヤやエベレストを思い浮かべます。「11月という寒い時期に行くのはかなわないなあ」と思いましたが、大間違い。東京より温かかったです。朝晩は冷え込みましたが。カトマンズは、高度が1,300メートル、緯度は奄美大島やカイロと同じだと聞きました。地図で見ても、インドのニューデリーより南にあります。昨年60数年ぶりに雪が降って、地元の人は大騒ぎだったとのことです。8,000メートルを超える山々があるので、3,000メートルくらいでは、丘だそうです(笑い)。
内戦が終わり、新しい憲法を制定する過程にあります。日本の自衛隊も、PKOで監視に参加しています。カトマンズは、大都会です。煉瓦と木でできた3階建てや5階建ての建物が、隣と接して建っています。街には自動車があふれ、大渋滞を起こしています。クラクションが、けたたましく。会議も定刻には始まらず、「南アジア的混沌」の一部を経験してきました。

2006欧州随行記5

(地球の表と裏)
実は地球科学から見ると、アイスランドと日本はとても関係がある。地球の反対側にあってと思うでしょうが、そこが重要なのです。来る前に、島村英紀著「地震と火山の島国-極北アイスランドで考えたこと」( 2001年、岩波ジュニア新書 )で、勉強してきました。これは良い本です。ぜひご一読を。
簡単に言うと、地球内部からマグマが浮き上がってきて、地球の表面の薄皮であるプレートをつくる。その割れ目から吹き出す溶岩が作ったのがアイスランド。そこから、西に行くのが北米プレートで、東に行くのがユーラシアプレート。そしてその薄皮が裏側で出会って、ぶつかりながら沈むのが日本。日本の地震を作っている原因は、遠くたどればアイスランドにある。
アイスランドに聖徳太子がいて、小野妹子に手紙を持たせて日本に派遣すると、「地出ずるところの大統領、書を地没するところの天皇にいたす。つつがなきや・・」となるだろう。
よって、両国とも火山があり、温泉があり、地震がある。もっともこちらの地震は、回数は多いが規模は大きくない。日本は薄皮がぶつかって沈む際に、片一方が引きずり込まれ、それが元に戻る際に大きく揺れる。こっちは、噴水のように吹き上げ両側に分かれていくので、そんなことはない。
地球の割れ目-向こうまで5kmほどある。手前は溶岩の割れ目。
地球の割れ目を見たが、雄大なもの。もちろん、一か所が割れ目ということでなく、長くつながっているはずで、見学地点は地表でよく見えるところ。別に見学した地熱発電所の建物は、割れ目の上に建っていた。毎年2センチずつ股割きにあっていると、聞いた。
見学地点では、割れ目は5キロほどの幅がある。両側は崖が切り立っていて、その間は土と水で覆われ、割れ目そのものは見えない。しかし、崖のあたりでは、溶岩に無数のひび割れが並行して入っている。カステラを手で割る時のように、きれいに一カ所で切れず、いくつものひび割れが並行して走るのと同じだということらしい。それらの割れ目は、幅は数10㎝のものから数メートルのものまで、深さはよくわからない。詳しくは、「地震と火山の島国」を見てください。
(その他の特徴)
火山、温泉などの他にも、アイスランドと日本との共通点はある。まず、漁業。暖流と寒流が出会う島で、良い漁場になる。そして、長寿。これは、肉でなく魚を多く食べていることによるのかもしれない。
短期間の滞在だったが、私たちは多くの見るべきものを見せてもらった。白夜を体験し、といっても途中は寝てしまったが。タラ料理を食べ、地球の割れ目も間欠泉も見た。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が会見した家も見た。冷戦の終了を切り開いた、レイキャビック会談の場所である。アイスランド名物で見ていないのは、オーロラ、氷河、大きな温泉か。
レイキャビック会談の家。手を置いているパネルに解説がある。
(したたかに生きる)
EUには加盟していない。通貨もアイスランドクローネを使っている。しかし、多くの部分はEUと共通にしている。入国管理もEU並み。EUからは加盟を催促されているとのこと。加盟しない一番の理由は、排他的水域=漁業権の問題のようである。EUに入るとその範囲が狭められ、損をするらしい。どうも、良いとこ取りをしているように見える。
街に近い飛行場は近距離用で、これはイギリス軍が作ったのを使っている。遠い方は遠距離用で、これはアメリが軍が作ったものを共用している。現在はNATO軍が管理していて、近く全面的にアイスランドに引き渡される。
第2次大戦時は中立を宣言したが、イギリス軍に、次いでアメリカ軍に占領された。といっても、ドイツに取られないために、保護下に置いたということ。確かに、この中間地点は、戦略上重要だ。もう少し南に位置していたら、昔から争奪戦のまっただ中にあっただろう。レイキャビック会談が行われたのも、中間地点ということから選ばれた。
大国の保護の下に、もらうものはもらっている。冷戦を上手に生きた、と言っていいのだろう。漁業をめぐるイギリスとの戦いについても、「地震と火山の島国」を参照してください。

2006欧州随行記3

7月12日(水曜日)
朝、少し早起きをしたので、近くのハイドパークまで散歩。ホテルの玄関で、リンボウ先生こと林望先生を見かけた。車に乗って出かけられるところだったので、ご挨拶はできなかった。あのお顔とひげだから、まず間違いないだろう。
(イギリス紳士?)
ある議員さん曰く。「パリにもロンドンにも、紳士はいないね。岡本さんくらいだ」。「それ、どういうことですか」と聞くと、「帽子をかぶっているのは、あんただけだぜ」。実は、私も気になっていた。山高帽とはいわないが、私のかぶっているような中折れ帽をかぶっている人を見かけない。もちろん、ステッキや細身の傘を持った人もいない。ウイスキーのジョニーウオーカーのラベルにあるような紳士はいない。
そもそも、私たちが英国紳士としてイメージする、背の高い白人の割合が少ない。黒い人や茶色い人が目立つ。パリの町もそうだった。パリ=美人のパリジェンヌと思って探したが、お目にかからない。やはり黒い人が多い。
この時期、観光客が多いからということもあろうが、仕事をしていると見受けられる人もそうだ。
(BBC)
午前中は、BBC放送へ。報道の中立性、受信料確保、インターネット戦略などを聞く。
インターネットのニュース用に、記者が200人、その他のスタッフが200人いるとのこと。NHKのHPでは、テレビで放送したニュースが載るのに、かなり時間がかかる。
(世界戦略)
BBCは英語だから、世界中の人が見るのだろう。日本でも海外放送の拡充が議論されている。さて、何にターゲットを絞るかが問題だ。全世界向けか、アジア向けか。日本人向けか、外国人向けか。日本語放送か、外国語放送か。日本の実情紹介か、もっと国際的な内容か。
例えば、BBCの中近東向け放送は80年の歴史がある。それだけのスタッフと蓄積、背景がある。ひるがえって、日本はどうだ。また、英語は世界中の人が聞く。BBCしかり、CNNしかり。私も、ホテルに日本語放送がないときは、お世話になっている。完全には理解できないが、あらすじはわかる。じゃあ、日本語放送はどうだ。世界に向けて発信して、誰が聞くか。
これは対象者、地域についても同じ。英語で放送したとしても、誰に何を伝えたいか。「国際ニュースを客観的に」なんて言っても、BBCには勝てないだろう。その戦略を絞り込まないと、空に向かって鉄砲じゃない、電波を出すだけになる。
日本は、まずはアジアに対象を絞るべきではないか。アジアの人に向けての発信である。言葉を何にするか。アジアの人に見てもらうのなら、現地の言葉になろう。韓国語、中国語(北京語・広東語)、タガログ語、ベトナム語、インドネシア語、タイ語・・・。これだけでも大変だ。何を発信するか。これも大変な問題。それだけのスタッフをそろえるのも大変。大学にもそれだけの研究者や関係者はいないだろう。
BBCがイギリスの、いや世界の公共財になっている。そして、イギリスの地位を高めている。こうして、英語の影響力、イギリス流のものの見方が、世界を覆う。凄いものだ。
(ハードスケジュール)
第2次湾岸戦争に際し、イギリスはアメリカとともに積極的に戦った。BBCは「客観的に」報道したことで、政府との関係が緊張した。この点も、当方の議員達の関心であり、いくつも質問が飛び交った。ほかにも得るところが多かったが、詳細は省く。3時間経っても議論は続く。
午後は、BT電話会社へ。こちらは、固定電話をすべてIP電話に代えるとのこと。ここも詳細略。
質問状を前もって渡してあるので、議論はかみ合う。通訳も、事前に勉強しているので、思った以上に話が進む。すると次の質問が出る。当方の議員は勉強家だし、日本の状況についてもよく知っている。質問するのはお手の物。
また、大使館、特に総務省から行っている中井君、山口君、河合君がよく手配してくれている。ありがたい。こちらも欲張って日程を入れてある。さらにいろいろ聞きたい。ということで、ますます欲張った日程になってしまう。
毎日のハードスケジュールと暑さで、みんな疲れ気味。最初のうちは、緊張感もある。3日も経って慣れてくると、かえって疲れが出てくるし、日本が恋しくなる。夜は、みんなの希望により、予定を変更して日本食レストランへ。
(2006年7月16日、18日)
(30年後の日本)
訪問先での話に触発されて、バスの中や食事の際に、議員さんたちと日本のあり方を議論する。主なテーマは、まちづくりと国際戦略。
1 まちづくり
「いつ来ても、パリやロンドンはきれいだねえ。農村の風景もきれいだし。日本の街並みも立派になったけど、まだまだだね」「日本は昔に比べれば、はるかに立派になったけど、きれいじゃないよ。東京だって、ごちゃごちゃしているし」「日本も、昔はきれいな風景だったよ」
「こっちに比べて、日本は雑然としているね。まあ、それがエネルギーの表れかな」「悲惨なのは、地方都市ですよ。うちの地元も、中心はシャッター通りで」「道路沿いの立て看板、あれどうにかならないの。こっちはそんなの見ないじゃない」
「こっちは、立て看板を規制しているようです。町によっては、家のかたちや色まで決められているところもあります」「大型店の出店を規制しているところもあるよね」「パリだって、150年前に大改造してつくったんだ」「ヨーロッパの街って、100年前の遺産が残っているのだろ」「田舎はもっと古いままだぜ」
「日本は、いつになったらきれいな街になるかい」「今のままじゃ、それぞれの建物は立派になるけど、街並みとしてはきれいにはならないね」「こちらの街がきれいなのは、豊かなときに立派にした。それが残っている。それと、統一がとれるように規制している。この二つだな」
「このままじゃ、30年経っても、日本の街はきれいにならないぞ」「めいめいが、良いものを作ろうとするだけじゃ、良い街並みはできないね。ある程度の規制をするとか、こういう街がきれいだという共通認識や価値観が必要だね」
「日本にはエネルギーがある、でもそれを自由に放出しているだけでは、きれいにならないということですね」「日本もようやくそれを考えることができるまで、豊かになったんだよ。ついこの間までは、食うのが先だったんだから」
2 国際戦略
「それと、パリにしてもロンドンにしても、街の美しさや立派さを売り物にして、観光客を呼び込んでますね」「そうだ。博物館だって、世界中からぶんどってきた文化財を展示しているんだものね。買ってきたのもあるけど」「芸術の都パリは、もうはやらない。でも演劇なんかも、世界中から人を集める」「パリとロンドンというブランドで、商品を高く売りつける」「昔はこっちへ来たら、衣料品など必ず欲しいものがあったけど、今はないね。日本の方がずっと品質が良いよ」「でも、日本の女性軍は、大挙してブランド品を買いに来ますよ」「そうだ、あんな鞄なんかどこが良いのかね」「えーっ、私も家内と娘に頼まれて、買いましたよ」
「百年前のフランス人やイギリス人が、どこまで将来を考えたかわからないけど、良い遺産を残したね」「また、それを守って、ちゃんと商売にしてます」「それに比べると、日本の絶頂期は短かったですね」「で、ジャパン・アズ・ナンバーワンの日本は、何を残したのかね」「世界からは無理としても、アジアの人たちは日本に何を見に来ますかね。東京ディズニーランドじゃねえ。都庁を見に来るかい」「エッフェル塔には世界中から観光客が来るけど、東京タワーにはアジアの人が来ているのかい」「エッフェル塔って、塔を観に行ってるんじゃなくて、そこからパリの街を観に行っているんでしょ」「ただ大きいとか高いだけでは、観に行かないわな。何か歴史とか、ストーリーが必要だろう」
「BBCもすごいね。日本じゃ、そう簡単にあれだけの海外放送はできないよ」「戦略的にやっているんだね」「日本は、まずはアジアを対象に考えるべきだろう」「それは、みんな異存はないんじゃないか。アジアなしで日本の将来はないよ」「アジアの人が、日本に行ってみたいと言うようにならないとね」
「それも、10年とか30年くらい先を考えて、じっくりとやらなきゃだめだね」「うーん、日本では国会も新聞も、すぐに結果を求めますからね」

2006欧州随行記6

(いすは人をつくる)
30万人といったら、日本では中規模の市くらいの人口規模だ。中核市は、要件が人口30万人以上となっている。横浜市の350万人、大阪市の260万人など政令市は別として、県庁所在市と思えばいい。例えば、宇都宮市や奈良市は30万人より大きい。
その団体が、外交を行い、通貨を発行し、一国としてやっている。空港、税関、パスポートコントロール、放送、通信、郵便、銀行・・。国としての様々な機能を備えている。
日本の市役所と比べるなら、国会は市議会、大統領は市長、各省は各部と思えば、それほどの驚きはない。国会だって、施設だけ見れば、日本の市議会の方がはるかに立派だ。しかし、施設設備でなくその内容、いってみればハードでなく、ソフトとコンテンツがどうかである。
何人もの議員が、「岡本さん。失礼だけど、この国の大統領とか首相は、人口から言えば日本の市長みたいなものだろ。でも、威厳があるねえ。発言も立派だし。うちの地元の市長は、この国より人口が大きいけど、こんなに立派に応対できるかなあ」とおっしゃる。確かにそうだ。
左から、大統領府官房長、大統領、私、大使。
こちらが、相手を大統領だと思うから、立派に見える面もあるのだろう。でも、発言内容は、国のあり方であり、外交についてである。ひるがえって、日本の市長はどうか。まず、私たちが、相手を市長と思うから、大統領ほどには敬意を払わない。これは、差し引こう。発言内容はどうか。市のあり方について、あれほどの発言ができるか。
アイスランドは、ここにも記したように、決して条件の恵まれた国ではない。皆さん声をそろえて、「第2次大戦までは貧しかった」とおっしゃる。独立を果たしたが故に、宗主国デンマークに頼ることができなくなった。自分たちで考え、自分たちで生きていかなければならなくなったのである。
日本の自治でいえば、「補助金が少なくて」とか「税収が少なくて」なんて言っておられない。言う相手がいない。自分たちで稼ぐ、自分たちで節約するしかない。
「椅子は人をつくる」という言葉がある。私たちが見た「小国」アイスランド政府と政府関係者は、まさにこれではないか。一つには、それぞれの人が仕事をこなすことで、立派な威厳のある人に見える。この人たちだって、30万人の市の市長になったら、「市長さんらしく」見えるのだろう。
もう一つは、団体が自立すると、その団体は、その条件の中で立派に運営していくということである。日本の市とアイスランドを比べなくても、日本の県は人口や経済力では、ヨーロッパの中規模国と同じくらいだ。スウェーデン、オーストリアだって、大阪府くらいだから。
国による保護をやめれば、それぞれの地域は立派に生きていく。ヨーロッパの国々が立派に国を運営しているのに、日本人ができないはずがない。万が一、失敗しても、それはその地域の人たちの責任だ。しかも、条件が悪い北欧の国だって特色ある国をつくっているし、日本の分権は、独立しようなどと言っていないのだから。
保護国側の言い分は、「その地域は、まだ、自分たちで運営するだけの能力がない」である。植民地・保護領の独立と、分権は似ている。いずれも、地域が自立を求めるのに、保護者が「まだまだ」という。既得権を失いたくないからだろう。権限も渡さずに「能力がない」というのは、子供にボールを触らせず、「おまえはまだボールを蹴れないから」と言っているようなものだ。最初は下手でも、触っているうちに上手になる。
いすは人をつくる。自立は地域をつくる。(この項、8月6日)
7月15日(土曜日)
(日本へ)
朝の4時に起きて、5時にホテルを出発。7:40の飛行機でパリへ。なぜか、こんな早朝になる。たぶんこれが、アイスランドにとって便利なのだろう。
パリで、昼食などを取って時間待ちをする。19:40発、実際には20:00発の飛行機で、成田へ。
機内で食事をしながらテレビを見ると、ニュースでサンクトペテルブルグ・サミットを報道している。飛行機は、ちょうどフィンランドからサンクトペテルブルグの近くを飛んでいる。この下でやっているんだ。もっとも、現地時間は夜のはず。東へ向かう飛行機は、進行方向に向かって左側の窓、北極よりは、夕日の雲が続いている。右側の窓、南の大陸は夜。パソコンに向かい、こつこつとこの原稿を書いている。
(道中の暮らし)
久しぶりの海外旅行だったが、まずは快適に過ごせた。
機内では長袖シャツのノーネクタイ、すなわちクールビズで過ごす。ネクタイなしでも、失礼でなくなったのがありがたい。もっとも、日本人の間の話だが。長袖シャツは冷房対策。私は、国内を新幹線で移動する際もそうしている。
お金は、例によって現金を使わず。両替もせず。ホテルでの支払い、ちょっとした記念の品だけ。これはカードですませるのが便利。
ティップは、家にあったユーロの小銭を持ってきて使った。イギリスはユーロに加盟せず、ポンドだけど。ロンドンのホテルで、シャンプーが置いてなかった。翌朝「シャンプーください」と英語で書いて、ユーロのコインを置いておいたら、ちゃんとコインはなくなっていた。シャンプーは、ホテル用のあの小さいのが、4つも置いてあった。
必需品が、体洗いのメッシュのタオル。ホテルのタオルは分厚すぎて、体を洗うようにはできていない。これまでの旅行でも持って行くのだが、必ずホテルに忘れてきた。ソウル、パリなどなど。風呂に入ったあと干しておいて、翌朝出発時に鞄に入れるのを忘れる。次のホテルで気がつくが、その時は遅い。今回は、無事なくさなかった。まあ、忘れてもたいしたものではないが、その後が不便なのと自分の注意散漫に腹が立つ。
インターネットは、さらに使いやすくなった。パリでは、電話回線で海外ローミングを使った。ロンドンでは、ラン回線端末があって、差し込むとホテルのHPにつながり、そこからインターネットに入れる。1分50ペンス=約100円。電話回線(市内通話)も同額だが、スピードが違う。一日中つないでおくと、20ポンド=4,000円。
レイキャビックのホテルは、ラン回線端末があって、これは無料だった。空港のビジネスラウンジには、パソコンが何台か置いてあって、インターネットが自由に使える。出発までの時間待ちにこれはいいと座ったが、私のHPを始め、NHKのページも開けない。正確には、日本語のページが開けない。「言語に対応するブラウザがない」との表示がでる。「次のうちから選べ」と表示が出て「Japanese」選ぶが、対応できないらしい。何度か試みて開くと、ほとんどが文字化けしている。
もちろん、NHKインターナショナル(英語ページ)は開くことができる。そうなんだ。インターネットは国境をなくすというが、世界言語は英語なんだ。BBCとCNNは、私たちもお世話になる。しかしそれは、英語だからだ。
(電話は嫌い)
議員の多くは、海外でもつながる携帯電話を持ってきた。せっかくの海外なので、私は持ってこなかった。私は電話は大嫌い。できれば電話のない国に行きたいと、いつも思っている。こちらからかけるのは仕方ないとして、こちらが何かしているときに突然かかってくる電話は、身体に悪い。しかも、そのような電話は良い話でなく、緊急の用件か悪い話が多い。だから、出たくない。
アイスランドでパソコンを開くと、本省からのメールで「異動内示をするので、できるのなら次の時間帯で官房長に電話するように」との指示が来た。時差もあるし、早く聞いてどうなるものでもないと思い、「帰国してから受けて良いですか」と返事をしておいたら、「本人が良いのなら、それでよい」と返事が来た。
日曜日に日本に着き、月曜日は海の日でお休み。火曜日に出勤して、官房長に帰国の報告をしたら、その週の金曜日付での内閣府官房審議官への異動を告げられた。
総務課長の仕事は、しんどいけれどおもしろい仕事。まだまだ続けたかったが、総務課長2年半、通常国会3回は、総務省だけでなく各省を見渡しても、前例のない長さらしい。いつかは、後輩に譲らなければね。

2006欧州随行記4

7月13日(木曜日)
今日は、飛行機でアイスランドへ移動。所要3時間だが、ここもイギリスとの間で1時間の時差があるので、時計の上では2時間。
飛行機はアイスランド航空。30万人の国が飛行機会社を持っている。ロンドンとの間は週14便、コペンハーゲン(旧宗主国)との間は27便。アメリカとは、ワシントン7便、ニューヨーク7便、ボストン7便の他、いくつもの便がある。ロンドンまで3時間、ニューヨークまで6時間。良い位置にいるわけだ。
使用機材は、200人から300人乗り。それだけの需要があるということだろう。漁業と観光で成り立っている国だから、観光客が多いのか。私たちの乗った便も、ビジネスクラスは満席だった。あとで聞いたら、年間60万人の人が訪れるらしい。国民の倍の数だ。それも、夏の期間だけだろう。到着した飛行場も、利用者でごった返している。
パリ、ロンドンと違って、雨。気温は12度くらいとのこと。夏から、一挙に晩秋の気候になる。
(議会)
早速、議会訪問。議長を表敬したあと、議場を案内してもらう。10年ほど前に、2院を1院にした。議員数は63。小学校の教室くらいの、こぢんまりとした部屋。各議席に、電子投票のボタンがある。投票結果は、壁に総数とともに、議席ごとのランプでも表示される。議員の中から選ばれる閣僚席にも、ボタンはある。
おもしろいのは、議席の指定がくじ引きでされること。会期の始めに、箱の中から、数字の書かれた木の球をめいめい取り出す。隣り合わせになった議員がけんかをしないようにとのこと。それなら、党派別に座った方が良いような気もするが。
(街)
総人口30万人のうち20万人近くが、首都レイキャビックとその周辺に住んでいる。周辺部は大きなアパートがたくさん建っているが、レイキャビックの中心街は、こぢんまりしたきれいな街。議事堂も、首相府も、商店街も歩いて回れる。そう言えば、かつて行ったノルウェーのオスロも小さくてきれいな街だった。
(白夜)
白夜の国の夏なので、真夜中でも明るい。カーテンを閉めても、明るい。ある議員は翌朝、「岡本さん、夜の3時も明るかったよ。眠れなかった」とのこと。この時期、太陽は北から上がって、北に沈むとのこと。もっとも、冬は南から上がって、4時間ほどで南に沈む。毎日が真っ暗。これはつらいらしい。
7月14日(金曜日)
朝は、嵐。横なぐりの雨が降っている。
(エネルギー先進国)
午前中は、エネルギー庁長官との意見交換。
この国は、水力と地熱でエネルギーの大半をまかなっている。環境先進国。安い費用で発電し、温泉熱で各戸にお湯を供給している。蛇口からお湯が出て、暖房もお湯。化石燃料(石油、ガス、石炭)は車と船と飛行機に使っている以外は、ほとんど使っていない。
電気も輸出したいのだが、輸送技術とコストの関係で、実現していない。「電気が余っていて、東京の消費量はまかなえるよ」と笑って説明してくれる。現在の電気の輸出方法は、アルミニュームの精錬。アルミは電気の缶詰とも言われる。ボーキサイトを輸入して、安い電気でアルミにする。これを輸出すると、電気を輸出していることになる。効率のよい蓄電池が開発されれば、電気そのものを輸出できるのだろう。電線で輸出できなくはないが、ロスが大きい。
次の課題は、化石燃料を使っている残りのもの。特に車を対象としている。電気を使ったハイブリッド車=トヨタのプリウスも説明してくれた。これも課題は、蓄電池。今取り組んでいるのは、水素ガス。バスを3台実験的に走らせている。電気で水を分解し水素を作る。これを燃やして電気を作る。出てくるのは排気ガスでなく、水。もっとも、効率は50倍くらい悪いとのこと。「まだまだだめだ」。
地球温暖化による氷河の減少も、写真で見せてくれる。さらに、「おもしろいのを見せよう」」と言って、未来予測も動画で見せてくれる。大きな氷河が、あと100年でなくなってしまう。「もっとも、いろんな条件でのシミュレーションだけどね」と笑っているが。
(行革の実験)
続いて、財務省次官との意見交換。この国も、1991年以降民営化を進めている。小さな国なので、いくつもの国営企業を持っていたのだろう。漁業などの会社を民営化したあと、国営銀行2行とを民営化した。なるべく国の管理が及ぶように、国内で株を持ってもらうように意図しながら進めたが、いずれも失敗し、一度は延期した。その経過を説明してくれる。もう一度やり直して成功した。その際は、「結局は価格がすべてを決めたね」ということだった。
エネルギーの説明は、写真もあればグラフもあって、理解しやすい。民営化も同じようにパワーポイントを使って説明してくれるが、こちらは文字ばかりでなかなか難しい。通訳さんも、専門用語に手こずる。私の拙い英語で、何とか理解する。
(大国と小国)
さらに、首相と大統領にも表敬訪問。アイスランドは、東京に大使館を持っている。日本側は、アイスランドはオスロ大使館の管轄で、レイキャビックに事務所を置いている。大統領は「30万人のアイスランドが東京に大使館を置いているのに、なぜ日本は本格的大使館をアイスランドに置いてくれないのか」「中国は、アイスランドに非常に興味を持っている。大規模な訪問団も来た。我が国は日本ともっと関係を持ちたいのに、日本からは企業が進出してくれない」と強くおっしゃる。
また、「お互いに食糧輸入国であるなど共通な位置にいる。早く貿易自由化交渉をまとめよう」とも言っておられるとのこと。おっしゃるとおりだ。
捕鯨でも日本と同じ主張をし、日本が国連常任理事国入りを目指したときも、真っ先に賛成してくれた。このような国を、大事にする必要があるだろう。
(自然)
地熱発電所を見学したあと、時間があるので、間欠泉と地球の割れ目まで車を走らせる。真夜中まで明るいので、体力さえあれば活動できる。
町中を歩いている限りは、風景は、北欧の他の街と変わらない。しかし、一歩郊外に出ると、全く違った風景になる。空港から街までの道路の両側は、溶岩原が広がっている。その上にこけが生えているだけで、草や木はない。こけさえ生えていないところもある。
鹿児島の桜島の溶岩原が、ずーっと広がっていると思えばいい。このあたりでは、放牧もできない。歩くと足首をねんざしそう。アメリカのアポロ計画の際、ここで月面着陸の訓練をしたらしい。風景が月面に似ているから。
島自体が、まだできて新しい。溶岩が十分風化せず、土がない。気候が厳しく、木や草が育たない、ということだろう。誕生してまだ若い頃の地球を想像させる。
さらに車を走らせると、牧場が広がる。ここはかろうじて草が生えている。羊、馬、牛がのんびりと、とはいえない厳しい気候の中で、草をはんでいる。馬肉もこの国の名物。
北海道と四国を足した面積に、30万人が住んでいる。広々としたきれいな国だ。
(氷の国)
アイスランドIceland=氷の国という命名は、半分正しく、半分間違っている。緯度は、ロンドンやパリからは北、北極圏に近い。日本より、はるかに北にある。カムチャッカ半島くらい。ちなみに緯度を南に当てはめると、南極の昭和基地になるらしい。大きな氷河もある。草木が茂らない。夏は白夜になり、秋や春にはオーロラが見られる。ここまでは、確かに氷の国。
しかし、気温は、夏で6~14度くらい、冬でもそんなに下がらない。零下10数度にはならない。冬を比べると、北日本の方が断然寒い。これは、メキシコ湾流(北大西洋暖流)が流れているから。この暖流と寒流がぶつかって、よい漁場になる。タラやししゃもが名物。ニシンはかつてはよくとれたが、今はもっと北の漁場らしい。
この島の西側に、グリーンランドGreenland=緑の国がある。これは命名間違い。こちらは、氷河に覆われていて、とても人が住めたところではない。どうも命名が、逆だったようだ。
アイスランドの天気は、よく変わるらしい。曇ったり、雨が降ったり、日が差したり。私たちの滞在中もそうだった。
メキシコ湾から来た水が、地球の割れ目に雨を降らせ、そんなことも知らず羊は草を食べている。