投稿者アーカイブ:岡本全勝

ジョブ型雇用、日本への導入

2020年8月26日   岡本全勝

このホームページでもしばしば取り上げている、日本と諸外国との雇用慣行の違い。メンバーシップ型とジョブ型との違いを、8月17日の日経新聞夕刊が、簡潔に説明していました。「働き方ジョブ型って何? 職務・報酬明示し適材適所

記事を読んでもらうとして、簡単にいうと。
メンバーシップ型は、雇用契約は会社の一員になる資格(メンバーシップ)を得るのに対して、ジョブ型は、ある職務(ジョブ)について雇用されます。メンバーシップ型は、会社が従業員に仕事を割り当てます。ジョブ型は、仕事に人を雇います。

かつて、世界から称賛された日本型経営の一つがこのメンバーシップ型雇用慣行でした。発展途上社会、目標とお手本が明確で、集団で取り組む際には、効果を発揮しました。また、ムラ社会から切り離され、家族労働から離れて一人になった労働者たちに、会社は第二のムラ社会として機能しました。
ところが、日本経済が停滞すると、この雇用慣行がやり玉に挙げられました。そして、日本企業でも、ジョブ型の導入が試みられています。日本企業でも海外に進出している会社は、現地ではジョブ型です。

私は、今後日本でも、ジョブ型が進むと思います。ただし、メンバーシップ型の長所もあります。すると、経営者や管理職にはジョブ型が適用され、一般社員にはメンバーシップ型が適用されるでしょう。そして一般社員も、「何をするか」職務と目標が明示されるようになるでしょう。「組織構成員の分類その3。階級の区別

変貌する国際秩序

2020年8月25日   岡本全勝

8月16日の読売新聞言論欄、大塚隆一・編集委員の「国際秩序 行方を握る経済」が勉強になります。小さな本が必要なくらいな内容を、1ページにまとめてあります。政治学、特に国際政治を学んだ人にはわかる内容ですが、そうでない人には、よい入門になったと思います。
・・・第2次大戦の終結から75年。この間の世界は、総じて言えば、米国が主導する平和と繁栄の時代だった。日本もその恩恵を享受してきた。だが、異質の大国・中国の台頭や新たな課題の出現で国際秩序は揺らいでいる。今後はどうなるのか。戦後100年までを見すえて考えてみた・・・

・・・まず図をご覧になってほしい。
戦後75年間の秩序の変遷を時代と分野ごとに切り分けたものだ。
参考にしたのは、国際政治学者の高坂正堯氏(1934~96年)が唱えた「三つの体系」という考え方である。今も古さを感じさせない1966年の著書「国際政治」(中公新書)からポイントになる部分を引用してみる。
「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。したがって、国家間の関係はこの三つのレベルの関係がからみあった複雑な関係である」
私なりに要約すれば、「力の体系」は「軍事」、「利益の体系」は「経済」、「価値の体系」は「正義」に対応する。ここで言う「正義」は、国民が共有する理念や価値観、善悪の考え方を指す。
そして国家は、安全を守る「軍事」、生活を支える「経済」、社会のあるべき姿を示す「正義」で成り立つ。国家間の競争では「軍事」「経済」「正義」という「三つの力」が複雑に絡み合う。
こうした視点で世界の動きや大国の攻防を見直すと、どんな構図が浮かび上がってくるだろうか・・・

・・・戦後秩序の歩みを図にすると、改めて気づくことが二つある。
第一に、現代の世界の様々な仕組みやルール、理念や原則は、その多くが1945年に生まれた。つまり、私たちは今も「45年体制」の下で生きている。
第二に、「45年体制」のほとんどは米国の主導で作られた。他を圧倒する国力があったからだ・・・

・・・21世紀に入ると様相が変わる。
重要なのは三つの動きだ。
第一に、米国が次第に指導力を発揮しなくなった。「45年体制」の生みの親で、「軍事」「経済」「正義」すべての秩序の担い手でもあったのに内向きになった。さらに自国第一の姿勢を強めた。
第二に、台頭する中国が挑戦的になった。自由や人権、法の支配などの「正義」の秩序に公然と歯向かうケースが増えた。象徴的なのは南シナ海や香港の状況だ。
「経済」では「一帯一路」構想などで影響力を拡大させ、米国のドル覇権も崩そうとしている。
一方、安保理における特権や自由貿易の原則など、都合がよい秩序は守ろうとしている。
第三として、新しい秩序づくりが必要なグローバルな問題が出てきた。最大の焦点は、米中の覇権争いの主戦場にもなりつつあるデジタル革命への対応だろう。
国際秩序との関連で重要なのはデジタル革命が「三つの力」すべてに深く関わっている点だ・・・

原文をお読みください。

フランス、使命を果たす会社制度

2020年8月25日   岡本全勝

8月9日の日経新聞、ファベール・仏ダノン会長兼CEOへのインタビュー「人・自然重視の資本主義に」から。
・・・フランスは2019年に新法を制定し、利益以外の目標を達成する責任を負う「使命を果たす会社」を新たな会社形態に取り入れた。上場企業で第1号となったのが仏食品大手ダノンだ。エマニュエル・ファベール会長兼最高経営責任者(CEO)に、目指す会社像やウィズコロナの時代の経営について聞いた・・・

―6月の株主総会で定款変更が認められ、「使命を果たす会社」になりました。どういった点が変わるのでしょうか。
「定款にESG(環境・社会・企業統治)に関する新たな4つの目標を盛り込んだ。①製品を介した健康の改善②地球資源の保護③将来を社員と形成すること④包摂的な成長
―だ。取締役のメンバーはこれらの目標に対して責任を負う。」
「外部の有識者や従業員の代表からなる10人の独立した『ミッション委員会』が取締役会を監督し、目標を達成できていなければ改善を迫る。株主とそれ以外の利害関係者に対する価値創造のバランスをどう取るか指針を示す役割を担う」

―長年、環境や社会面に配慮した経営をしています。なぜですか。
「ビジネスは現金で始まり、現金で終わる今の経済モデルは間違えている。近代経済は金融資本で語る癖があるが、人的資本や自然資本も経済活動に活用している。それらを資本と捉え、お返ししないといけないという概念が乏しい」
「実際、現金がなく事業が赤字でも、卓越したアイデアがあれば会社は資金を集められる。企業が破綻するのも資金が尽きるからではない。リーダーが生態系への自信をなくすからだ。ビジネスは人で始まり、人で終わる」

フランスでは、このような試みが始まっているのですね。大賛成です。フランスは近年、非営利団体についても力を入れ、非営利活動を包括する「社会的連帯経済に関する2014年7月31日法」をつくりました。連載「公共を創る」第28回注3で紹介しました。参考「廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ
また、こうなると、企業とNPOとの違いは、小さくなります。経済学の教科書は、どのようにこのような要素を取り入れるのでしょうか。

憲法を機能させる、その2

2020年8月24日   岡本全勝

憲法を機能させる」の続きです。
もう一つ問題なのは、憲法学者です。基本的人権や民主主義の「講壇的議論」でなく、実際に起きている事件を取り上げ、憲法の趣旨を説くべきです。この点に関して、『法律時報』2018年8月号に、棟居快行・専修大学教授が「優生保護法と憲法学者の自問」を書いておられました。

・・・ハンセン病(元)患者の隔離施設の問題は、長きにわたり日本国憲法下でも人権保障の光が及んでいない空間が存在してきたことを日本国民に知らしめた。すなわち、ようやく今世紀になっての2001(平成13)年5月11日、熊本地裁が立法国賠についての全否定的な判例・・・をかいくぐる画期的な判決を下し、時の小泉政権が同判決を受け入れて控訴を断念するという決断をしたことにより、世論の知るところとなったのである。遺憾にも、私を含む憲法学者の大半は、研究の相当部分を占めるその人権論にもっとも救済を必要とする人々への致命的な死角があることについて、ハンセン訴訟の新聞記事等に接するまで自覚していなかった・・・
・・・ハンセン病施設のような「塀の中」だけが、物理的心理的に不可視化されていたのではない。近時、かつての強制不妊手術に対する国賠訴訟の提起などで世間の耳目を集めるに到った旧優生保護法・・・についても、憲法学者が率先して問題提起をしたというわけではない・・・
・・・ちょうど憲法学においても90年代は、憲法第13条の「幸福追求権」の内実としての自己決定権が「人格的自律権」といった用語とともに脚光を浴び、そこには「産む自由、産まない自由」ないし「リプロダクションの権利」も含まれることなどがさかに論じられた時期であった。しかしながら、こうした理論的関心は基礎理論ないし比較法的関心に終わりがちであり、「各論」の一つという位置づけであれ優生保護法への取り組みは主流とはならなかった・・

・・・このような優生保護法の選別と集中の発想は、権力的手段によってでも日本国憲法の人権理念を浸透させることが近代立憲主義憲法学のつとめであると考えるところの、戦後憲法学の人権観にも通底する。優生保護法も日本国憲法も、極度に単純化していえば、いずれも「上からの近代化」の産物として同根なのである。
この節のタイトルの問い「なぜ見えなかったのか」の答えは、こうしてみると明らかである。日本国憲法自身が、生きとし生ける現実の弱き者ら、遺伝性の疾患が発病した者や障害者らをロールモデルとして、その輝ける人権規定を用意したのではない。近代憲法の一員として日本国憲法は、現実の存在とは区別された抽象的な人間像、換言すれば人権が帰属するにふさわしい適格性を備えた「強い個人」を想定する(少なくとも戦後憲法学はそう考えてきた)。憲法が保障する人権は、各人が権力に対峙し、政治過程のみならず司法審査の場でそれを駆使して戦い抜くことで、その実効性を高めてゆく。権利行使が覚束ないような自律的判断能力にもとる弱者は、そもそも人権行使の本来の主体ではなく、人権保障の反射的利益を享受するにとどまる受け身の存在にすぎない。このように周縁化された「弱い個人」は、もともと理想的な人権享有主体ではないのだから、医師の専門的判断と一定の手続保障との組み合わせを要件に、優生保護法によりリプロダクションの権利まで否定されてしまうとしても、それはやむをえない。自己決定権は自己決定能力を前提とするが、逆に当該能力を欠損する者については、自己決定権は認められない─。

このような怜悧な考え方をいとわない戦後憲法学にとっては、優生保護法の存在(日本国憲法とほぼ50年間にわたって共存してきた!)は、少なくとも人権保障の屋台骨を揺るがす事態ではない。人権保障はそもそも、公民として公共空間で政府批判の言論を繰り広げる「強い個人」のためのものだからである。かくして、優生保護法による弱者の蹂躙は憲法学の視界の外に追いやられたばかりか、憲法が予定する人間像とは異なるという直感の下に、「専門外」の異質な現象であるとして不可視化されてしまったのである・・・

重要な指摘です。法律学においても、欧米に学べば良いという時代は過ぎ、日本国内での問題に取り組むべきでしょう。70年以上改正がない憲法の解釈学をしていても、またそれを聞いている学生も、つまらないです。国内での具体事例を法律学から取り上げ、必要な法律改正・憲法改正を提起して欲しいです。

棟居先生のこの論考は、いつか紹介しなければと思いつつ、コピーしたままで眠っていました。ようやく、載せることができました。原文はもっと長いです。登録するとインターネットで読むことができます(それを知らずに、論考を複写し、コツコツと手で入力していました)。

原発事故、科学的合理性のない安全基準

2020年8月24日   岡本全勝

田中俊一先生、政治家と科学者の距離」の続きです。8月20日の朝日新聞オピニオン欄、田中俊一・前原子力規制委員長のインタビュー「政治と科学 一にも二にも透明性」から。

ー原発事故後、科学的合理性のない安全基準を政治判断で決めてしまったと批判していますね。
「放射性セシウムの食品流通基準が、国際基準の10倍厳しくされてしまった。国際的には、チェルノブイリなどの実態を踏まえ手、一般食品はキログラムあたり1千ベクレルの基準で十分だとしています。日本も最初は500ベクトルだったんです。ところが政治に引きずられて、100ベクレルに下げた。専門家の判断が政治から独立していなかったというしかないでしょう。福島の農業や漁業の再生の大きな妨げになっています」

ーなぜ科学的合理性のない基準が適用され続けるのですか。
「『行政判断の無謬制』のようなものがあるからですよ。まだ事故の状況がよくわかっていない時点で政治的に下した判断を、実態が違うから修正しようとしても受け付けない。100人に1人でも『危ない』という声があれば、変えようとしないことが、国民全体に大きな損失をもたらしている」

ー「ゼロリスクはありえない」ということが国民に共有されないのはなぜでしょうか。
「発信する政治家や専門家、伝えるメディア、受け取る国民の全部に問題があります。特にメディアの責任は大きいですよ。原発事故のときも、放射線の専門家でもない人たちがテレビに出て、危険性を課題に言い立てた。それを国民もうのみにしてしまった」
「同じ状況がコロナでも起きています。メディアが引っ張り出した『にわか専門家』たちが、根拠もないことを言っている。信頼できる意見とそうでないものをきちんと仕分けせず、ただ『こんな意見もあります』と紹介するのは無責任きわまりない」

ーとはいえ、多様な意見を紹介するというのは、メディアの役割ではないですか。
「少数意見を大事にするということと、根拠もない極論を伝えることは違うでしょう。メディアの悪いところは、科学的根拠に基づいた見解と、何の根拠もない極論を同列に報道することです。取り上げるに値しない意見は無視すればいいんです・・・」

原文をお読みください。
参考「福島の野菜、価格低迷」。その国の基準より厳しい基準を設けたスーパーがあります。それは、福島の農業者を泣かせることになっています。