投稿者アーカイブ:岡本全勝

福島復興再生協議会

2020年8月30日   岡本全勝

今日8月30日は、福島市で開かれた福島復興再生協議会に行ってきました。
県の代表と国の責任者たちが一堂に会して、原発事故からの復興の進捗を確認し、今後の課題を議論する場です。大臣たちが福島に出かけて、会議を開くことにしています。NHKニュース

事故から9年半近くが経ちました。放射線量の多寡、避難指示解除の時期によって、復興はばらつきがあります。解除されても住民が戻らない地域、まだ避難指示が解除できない地域。まだまだ問題があります。

復興庁、原災本部(経産省)、環境省、農水省から、わかりやすい資料で、説明しました。会議に出した資料は、週明けには復興庁のホームページに載せます。お使いください。

安倍総理在任中の業績、震災復興

2020年8月29日   岡本全勝

8月28日午後、安倍総理が辞意を表明されました。その記者会見の中で、記者からの2つめの質問が、総理在任中に成し遂げたことについてでした。
答えは、東北復興への取り組みでした。経済や外交安全保障より先に、挙げておられます。

(記者)
先ほど総理は、結果を出すことに全身全霊を挙げてきたとおっしゃいましたが、歴代最長となった在任中に成し遂げたことの中で、御自身、これは政権のレガシーだと思われるものがありましたら、挙げていただけないでしょうか・・・

(総理)
まず、レガシーというお尋ねでございますが、正にこれは国民の皆様が御判断いただけるのかなと、また歴史が判断していくのかなと、こう思いますが、7年8か月前、政権が発足した際には、あのときはまず、東北の復興なくして日本の再生なし、東北の復興に全力を挙げるということを申し上げて、取り組んでまいりました・・・

総理には、ほぼ年に4回、被災地を視察いただきました。また、組閣の度、3.11などの節目に、官邸で全閣僚を集めた会議を開きました。
総理にこのように発言いただけるように、大震災からの復興はある程度進みました。関係者の方に、お礼を申し上げます。
もちろん、原発事故からの復興については、まだまだ残されたことも多く、政府として引き続き責任を果たさなければなりません。

連載「公共を創る」第53回

2020年8月29日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第53回「日本は大転換期―自由の獲得で重みを増した自己責任」が、発行されました。成熟社会の問題、今号は、自由と孤独についてです。

経済発展によって、自由が実質的になりました。憲法で書かれただけでは、自由は獲得できません。豊かになることで、農地に縛られないこと、家業に縛られないことで、自由になれたのです。毎日の生活も、自分の人生も、自ら選ぶことができるようになりました。しかしそれは、自分で選ばなければならないということです。さらに、その結果も、自分で引き受けます。これは、つらいことです。
そして、みんながみんな自立できるわけではなく、また学校を出ただけでは、自立できません。そして、世間から期待されているだけの行動をしないと、失敗したときに「自己責任だ」と、突き放されます。自由は、責任も連れてきました。

自由はまた、孤独も連れてきました。イエや村、中間団体、宗教などの束縛から解放されると、人はつながりが薄くなり、孤立することになりました。それは、プライバシー意識を高め、さらに孤立を進めることになります。

バチが当たる、その2

2020年8月29日   岡本全勝

先日書いた「バチが当たる」。読者から、お便りをいただいたので、紹介します。ご意見の通りですね。
「今どきの子どもは・・・」と嘆く前に、私たち先輩が子どもたちに教えていないのです。文面は、少し改変してあります。

・・・近所の図書館の軒先に、毎年ツバメがたくさん巣を作り子育てをします。
夏休みのある日、子供たちが集まってなにやらワイワイ。一人の子供が長い棒を持ってきてどうやらツバメの巣に悪戯しようとしています。
っとその時、そばにいた別の子が「そんなんしたら、バチが当たるって、おじいちゃんが言うとったぞ!」と言って、悪戯はせずに別の場所に遊びに行ったようです。

そうだ。「バチが当たる」っていうのは、我々おじいちゃん世代が子供に言い聞かせ、賢い子供はそれを理解し、他の子供に伝えるという好循環が生まれる。
大げさに言えば、良い伝統が語り継がれるってことかな。我々おじいちゃん世代はもっと子供たちに「バチが当たるぞ!」と言い聞かせなければと思いました。・・・

太平洋戦争の戦没者

2020年8月28日   岡本全勝

8月22日の読売新聞解説欄、吉田裕・元一橋大学教授へのインタビュー「不条理伝える静かな怒り」から。

・・・アジア太平洋戦争の日本の戦没者は政府の推計で、軍人軍属約230万人、民間人約80万人です。
戦没者を網羅した公文書も死因を巡る公式統計もありません。1945年夏の敗戦時、軍も官も大量の公文書を焼却しました。
戦場の実相が本格的に解明されるのは90年代以降。歴史家らが戦記や部隊史、将兵の回想などを渉猟し、研究を重ねた成果です。

その特徴の第一は餓死の異様な多さです。
私の恩師藤原彰先生は亡くなる2年前、2001年刊行の「餓死した英霊たち」で、軍人軍属の戦没者の61%、約140万人が餓死、あるいは栄養失調に起因する病死、つまり広義の餓死と説きました。歴史家の秦郁彦氏は藤原説を過大としつつ、餓死率を37%と推定。「それにしても、内外の戦史に類を見ない異常な高率」と論じています。

第二は戦没の9割が日本の敗戦が決定的になる1944年以降に集中していること。その夏のマリアナ沖海戦で海軍機動部隊が壊滅し、サイパン島の守備隊が全滅。日本は制海権・制空権を失い、米軍は日本本土のほぼ全域を空爆の射程に捉えます。以後の日本の戦いは絶望的抗戦でした。
第三は海没死の多さ。艦船の沈没で約36万人の軍人軍属が溺死しました。日露戦争の日本軍の戦死者(約9万人)の4倍です。
第四は自殺と「処置」の多さ。過酷な行軍や激戦の末、あるいは飢餓と疫病の流行する退却の末に、自殺と処置が頻発した。処置とは自力で動けなくなった傷病兵を衛生兵らが殺すことです。「生きて虜囚の辱めを受けず」と諭す「戦陣訓」の帰結といえます。
戦場の現実は凄惨の極みでした・・・
この項続く