先日、いわき市の津波被害からの復興を紹介しました。その際は、豊間地区の町内会活動を説明しましたが、いわき市の震災復まちづくり事業の概要を改めて紹介します。市役所が、わかりやすくまとめています。「市のホームページ」「より詳しいパンフレット」
久之浜、薄磯、豊間、小浜及び岩間の5地区については、河川や海岸堤防の嵩上げと、土地区画整理事業による宅地や道路、公園、防災緑地などの公共施設の整備を一体的に実施しました。パンフレットに、その概要が写真付きで載っています。
「政治発言をしてはいけないのか」の続きです。私が危惧するのは、次のようなことです。
意見を戦わせることは結構なことです。しかし、「意見を言うな」というのは、民主主義の敵です。それは、憲法違反にもなります。その点では、インターネットでのいじめも、基本的人権の大きな侵害です。
そして、これらに憲法違反の行為対して、ジャーナリズムは取り上げていますが、社会も憲法学者も、おとなしすぎるのではないか、ということです。
法律違反を取り締まるのは警察の仕事ですが、その前に、これらの行為が重大なる基本的人権違反であることを社会として取り上げなければなりません。しかし、行政にはこれらに専門的に取り組んでいる役所がありません。
連載「公共を創る」で述べているように、明治以来の官庁は、公共サービスとインフラ整備、産業振興を主に取り組み、他方で逸脱者は警察の仕事でした。個人の生活、人と人との関係、暮らしのありようなどは、行政は直接には関与しませんでした。近代憲法の原則「私生活には、国家は入らない」を守ってきたとも言えます。しかし、そうも言っておられず、近年は子ども子育て、男女共同参画など、役所が組織を作って本格的に取り組んだ事例もあります。そのような所管組織が必要なのかもしれません。
ここには、私がしばしば言及している、官庁(行政)の欠点が見えます。
・供給側あるいは供給側支援の役所が多く、生活者である国民の側に立った役所が少ないこと。
・高校生が退学すると、次に相手にする役所は警察であって、その途中の役所がないこと。
この項続く。
8月20日の朝日新聞オピニオン欄、田中俊一・前原子力規制委員長のインタビュー「政治と科学 一にも二にも透明性」から。
―原子力規制委員会の組織理念には、第一に「独立した意思決定」が掲げられています。しかし実際には、政治から独立していなかったという批判もあります。
「十分に独立できていたし、今もしていると思いますよ」
―なぜそう言えるのですか。
「議論のプロセスを完全に透明にしたからですよ。すべての会議を完全にオープンでやった。日本の行政では画期的なことです」
「公開するのは勇気がいる。でも、専門的な議論とそれに基づく判断のプロセスを隠しても意味がない。完全にオープンになっていれば、むしろ後からいろいろ言われずにすみます。独立性を担保する一番の方法ですよ。そういう意味では、規制委員会は独立していたと思うし、判断が政治家に左右されることはなかった」
―新型コロナ対策では、安倍晋三首相の記者会見に専門家が同席しました。科学と政治の距離が近すぎるとは感じませんか。
「距離が近いこと自体は別にかまわないでしょう。専門家の判断が独立していることと、政治との距離は別の問題です。むしろ距離が近くないと話が通らない。テレビのワイドショーで評論しているだけの人たちと変わらなくなってしまう」
―しかし、政治との距離が近くなると、独立性を保ちにくくなりませんか。
「そんなことはない。新型コロナの専門家会議で問題があるとすれば、非公開でやって、議事録も作成しなかったことです。議論のプロセスが公開されていれば、政治との距離がどうだろうと、独立性は保てていたはずです」
この項続く。
「管理職、中間管理職、職員の区分、4」「組織構成員の分類その3。階級の区別」の続きにもなります。
戦前の国家公務員は、階級の区別がはっきりしていました。その象徴が、高等官です。その身分の差がどのようなものかは、ウィキペディアをご覧ください。軍隊では、階級の違いによって、処遇と任務が大きく違うことは皆さんご存じでしょう。また、諸外国の会社でも。しかし、戦前日本では、官庁も大企業でも、そのような身分の差があったのです。
私も若い時に、大先輩から戦前の話を聞きました。「食堂も違ったとか」。私が入った頃の自治省は、旧内務省の建物を使っていました。ウィキペディアに写真が載っています。現在その場所には、合同庁舎2号館が建っています。
それがわかる場所があります。旧山形県庁「山形県郷土館 文翔館」です。大正5年に造られた県庁が、創建当時に復元されています。そこに、高等官食堂があります。3階の知事室の近くです。戦前の県庁は、国(内務省)の出先という性格も持っていました。
この県庁建物の配置図を見ると、組織機構が簡素だったことがわかります。
「昔は良かった」というのではなく、「こんなこともありました」と、紹介しておきます。
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第52回「日本は大転換期―人口減少で社会の仕組みも変化」が、発行されました。前号から、成熟社会日本の問題を取り上げています。今号は、人口減少と、喜びの変化です。
人口が増えてきた日本が、人口減少に転換しました。人口ピラミッドが、下すぼまりになりました。人口減少はそれだけでは悪いことではないのですが、それを前提にしてきた社会のしくみを変えなければならなくなります。
会社では消費者が減ることであり、部下職員が減ることです。年金財政の絵は、皆さん見たことがあるでしょう。老人を支える若者の数です。かつては大勢で支える胴上げだったのが、3人で支える騎馬戦になり、将来は一人で支える肩車になります。
喜びの変化は、次のようなことです。豊かになったことで、国民は物の豊かさから、心の豊かさを求めるようになりました。しかし、心の豊かさは単純ではありません。
人によって求める内容が違います。そして心の豊かさは、お店に売っていない、行政が提供できるものではないのです。