年別アーカイブ:2026年

ドイツに見る短時間勤務

2026年9月27日   岡本全勝

時事通信社の行政情報誌iJAMPに、田中洋子・筑波大学名誉教授がドイツの労働事情を書いておられました。9月14日から18日まで5回連載。

9月14日の「短時間勤務、ドイツでは公務員も当たり前」から。
・・・ドイツでは、日本とはずいぶん異なる働き方が認められている。大きな違いは、フルタイム正社員が短時間勤務をし、パート労働者もフルタイム労働者と同じ待遇を受けていることだ。今では誰もが短く働いてゆとりある暮らしを送ることができる。もちろん、公務員もだ。ドイツの最新事情を紹介したい。

2023年、ドイツはGDP(国内総生産)で日本を抜いて世界3位となった。日本は4位に落ち、インドにも抜かれそうだ。一人ひとりの労働時間が日本より短いのに、日本より生産性が高く、経済も好調なのだ。ということは、出社してそこで長時間過ごすことが「働いた証し」とみなす日本の評価軸は、そんなに大事ではないということになる。

まず、ドイツには「時間主権」という概念がある。自らの働く時間をコントロールする力や、一人ひとりが置かれた状況に即して働く時間を決める権利のことを意味する。事業主が労働時間を業務命令として労働者に押し付けるのではなく、働く側が自分の働く時間について発言し、希望を伝え、人生を設計する。働く時間は上司や同僚と相談して決める。
この考えはドイツの行政や企業に浸透し、人事政策にも組み込まれている。労働者が短く働きたいと言えば、事業主はそれを拒否できない。出社することより成果を出すことが求められるため、労働者はかなり集中して働く。転勤は基本的にドイツにはなく、あっても断ることができる。それがキャリアに響くことはない。
帰宅ラッシュは午後4時から6時ごろの間。3時に帰る人もざらにいる。帰宅後は家族との時間を楽しんだり趣味を楽しんだりする。長期休暇も取りやすい・・・
「「時短」勤務者の活用」

「希望格差社会」の20年、その2

2026年9月27日   岡本全勝

「「希望格差社会」の20年」の続きです。希望がなくなり、現状に満足し(あきらめ)、仮想(ヴァーチャル)の世界に逃げ込む。悲しい世界になったのでしょうか。さらにそれが進むのでしょうか。抜粋ですので、詳しくは原文をお読みください。

―「希望格差社会」の副題は「『負け組』の絶望感が日本を引き裂く」でした。希望を失った人たちの不満が深刻な分断を生み出すのでは、と。しかし、今の日本には懸念されたほどの分断は生じていませんね。
「それどころかNHK放送文化研究所の意識調査によれば、衣食住、生きがい、地域の生活環境、人間関係のいずれにも満足している人は、88年の36%から18年には55%へ増えました。特に若年・中年層で高い」

―なぜこのような現象が。
「多くの若者が、現実世界での希望そのものを回避・放棄しているからだと私は見ています。いまの日本が『一度落ちたら二度とはい上がれない社会』であることを、彼らは見抜いています。いずれ豊かになれるという希望が実現不能なら、最初から高い望みを持たず、競争から降りてしまったほうが傷つかない。冷酷な社会に対する合理的な生存戦略とも言えます」
「ただ、日本における格差の固定化と満足度の高まりという矛盾の秘密は、別のところにもあると思っています」

―と言いますと?
「人々が、バーチャルな世界で満足を得る方法を見いだすようになったことです」
「社会全体が少しずつ貧しくなるなか、覆せない格差や不平等を受け入れ、リアルな世界での希望を諦め、バーチャルな世界に自足してプチ幸せに浸る。リスクを取って社会改革を求めれば、今の生活水準すら維持できなくなるかもしれない。それなら現状の停滞に身を任せ、静かに沈んでゆきたい――これこそ現在の日本の姿です」

―それが「幸福に衰退する」の意味ですか。
「鎖国下にあり自足経済だった江戸期とは異なり、現代日本は食料もエネルギーも海外に依存しています。国力が落ち円安がさらに進めば、バーチャル文化がどれほど豊かでも、リアルな生活基盤を維持できません」

―私たちは、皆で一緒にゆでガエルになる未来を受け入れるしかないのでしょうか。
「処方箋は明白です。昭和の亡霊である日本的雇用慣行と性別役割分業型家族を見直すことです。一度非正規になった人、育児や介護で退職した人が、再び安定した仕事へ移れるようにする。社会保障も個人単位に改める。つまり、家族や企業という依存先がなくても生きられる社会を設計し直すのです」
「今の日本社会が持続可能でないのは、家族のあり方が持続可能ではないから。出生数が減ったのは、女性が働くようになったからではない。働きながら安心して子どもを育てられる環境をつくらなかったからです」

「希望とは、成功が保証されることではない。一度の失敗で人生を『詰む』ことなく、やり直せると感じられることです。どの道を選んでも、致命的な貧困や孤立に陥らない社会であれば、人は諦念から脱してリスクを取ることができます」
「このまま緩慢に衰退する道を選ぶのかは、これからの世代が決めることです。ただ、リアルな世界でも希望を取り戻すためには、何度でもやり直せる社会に変えていかねばならない。その可能性まで諦める必要は決してない。これが、定年退職間近の私の、学者としての『遺言』です」

ブラタモリ「なぜ飛鳥は日本の国の礎に?」

2026年9月27日   岡本全勝

9月26日夜、NHKで「ブラタモリ 奈良・飛鳥 世界遺産記念SP なぜ飛鳥は日本の国の礎に?」を放送していました。内容は6年前のものですが、今年7月に世界遺産に登録されたことを記念して、再放送です。
1週間は、見逃し配信で見ることができます。

私が子供の頃、遊んだ近所が出てきます。水落遺跡などは、その後に発掘されました。
まだまだ見るところ、紹介してほしいところはたくさんあるのですが、番組は30分あまりなので、出てきません。それは、現地に行ってみてください。

なぜエスカレータの片側を空けるのか、2

2026年9月26日   岡本全勝

「なぜエスカレータの片側を空けるのか」の続きです。日本では法律や合理性より、社会の通念、世間体が行動基準となります。

憲法に男女同権が定められても、長年、職場や家庭で男女差別を続けてきました。結婚は二人の意思と決められても、結婚には親の了解を得た(両家の結婚式)のです。世間の通念は、憲法より強かったのです。
日本は集団主義と言われます。それは、各人が判断して集団のためになる行動を取っている(積極的集団主義)のではなく、他者の行動にあわせている(消極的)集団主義なのです。日本では、規則や合理性より強い行動規範=世間に合わせる=世間の目を気にするです。「ムラ社会」です。

会社の側も社員がそれぞれに判断するのではなく、会社の都合に合わせるように期待し、それに報いました。採用されると、人事課が配属や昇進を決めてくれるのです。「面倒見のよい会社」と「甘える社員」ができました。いわゆるメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の違いです。
この集団主義は軍隊や経済発展期の工場では、みんなが同じことをする際に効果的でしたが、各人が判断して行動する場面になると欠点になります。学校での「集団主義」「画一的」教育と、自分で考えるのではなく正解を教える教育は、自分では考えない国民をつくってしまいました。
エスカレータの片側を空ける行動は、根が深いものがあります。

「希望格差社会」の20年

2026年9月26日   岡本全勝

9月10日の朝日新聞オピニオン欄、山田昌弘・中央大学教授へのインタビュー「「希望格差社会」の20年」から。
20年前の先生の指摘は、慧眼でした。私の連載「公共を創る」も、このような分析に多くを負っています。男女共同参画、働き方改革などは進んだのですが、非正規雇用という大問題は改善されず、対策も進んでいません。求められているのは、食品の消費税を2年間軽減するような政策ではありません。政治家も国民も根本的問題から目を背け、目先のパンに飛びつくようです。

・・・新自由主義が根を張った小泉政権下、山田昌弘さんは当時の世情を「希望格差社会」と名付け、きたる分断を強く危惧した。それから20年余。絶望が社会を引き裂くには至っていない。人々は怒らず、むしろ満足を深めているようだ。「このまま日本は幸福に衰退する」。ニヒリズムに満ちた警句の真意とは。

―「希望格差社会」を出版した2004年当時、どのような分断を憂慮していましたか。
「希望は『努力が報われる』と感じた時に生じ、絶望は『努力がむなしい』と感じた時に生じます。平成時代とは、将来への展望において国民が勝ち組と負け組とに分裂し、さらに社会全体からも徐々に希望が失われていく過程でした」
「戦後の高度成長期からバブル経済期までの若者は、頑張れば豊かな生活を築けるという安心感と将来への期待を持てました。『一億総中流』とは、全員が同じ生活水準という意味ではなく、努力すれば誰もが人並みの生活を実現できるという希望を表す言葉でした」
「しかしバブルが崩壊し、ほぼ同時に、グローバル化と脱工業化、情報化の波が押し寄せます。それに十分適応できなかった日本企業は正社員の雇用を守る一方、新卒採用を抑え、非正規雇用を増やしました。若い世代を調整弁にしたのです。就職氷河期世代の若者は、収入が保障され家族を養う見通しを持てる者と、将来設計を描けない者とに二極化しました」

―それが「希望」の格差につながったと?
「平成期には『経済停滞』『男女共同参画の停滞』『少子高齢化』『格差の進行』という負のトレンドが生じました。これらは相互に関連しており、その根本原因は昭和のシステム、すなわち『日本的労働慣行』と『性別役割分業型家族』から脱却できなかったことです」
「新卒一括採用、終身雇用、年功序列型賃金、手厚い福利厚生が特徴のメンバーシップ型雇用は、一度その枠に入りさえすれば、定年までの安定と右肩上がりの昇給を約束するものでした。そして家庭では、一家の大黒柱たる夫と、家事・育児を一手に担う専業主婦の妻がペアになる。政府は、この労働と家族のシステムを前提に、税や社会保障の制度を設計しました。そこから外れると様々な不利益を被る。独身者、非正規雇用者、フリーランスなどは制度の恩恵からほぼ閉め出されました」

―「昭和のシステム」の内側にいる人と、そこから排除された人の分断が、より深刻化したということですね。
「新卒時に正社員になれなかった人が年齢を重ねてから正規採用される道は極めて細くなります。平成が始まった89年には非正規の割合は19%でしたが、19年には38%に上昇します」
「そして雇用における格差は、家族を持てるかの格差にも直結しました。日本では、男性が家族を養う結婚モデルが根強く残っています。共働き世帯でもなお『夫が正規雇用、妻はパート』の組み合わせが圧倒的に多く、低収入で結婚できない男性が増えれば、結婚できない女性も増える。50歳時の未婚率は20年には男性28・3%、女性17・8%に達しています」
「かつて氷河期に不安定なレールに乗せられたロスジェネ世代の多くが、一度レールを外れたら戻れない日本型雇用のなかで家族形成の機会も阻まれ、そのまま中高年独身者という巨大な固定層を形成しているのです。格差は単に広がっただけでなく固定化し、経済も社会も完全に行き詰まった状態です」・・・この項続く