年別アーカイブ:2026年

蚊の対策、虫除けスプレー

2026年8月30日   岡本全勝

孫の保育園への送り迎え、公園遊びに欠かせないのが、虫除けスプレーです。
家の玄関を出ると、早速に蚊が寄ってきます。乳母車を押しているときも、いつの間にか刺されています。なるべく刺されないように、長袖長ズボンで出かけます。

虫除けスプレーの効果は大きいです。蚊が乳母車に寄ってきて、孫の周りを飛びます。止まったら叩こうと構えるのですが、止まることなく飛んで行きます。
ところが、噴霧し忘れたところが、やられます。孫の場合は頭、私の場合は耳の後ろとか、ズボンの上からとか。すると、かゆみ止め「ムヒ」の出番です。

総理のSNS投稿は行政文書か

2026年8月30日   岡本全勝

8月28日の日経新聞夕刊に、「首相のX投稿は公か私か 政策紹介や反論も発信、公文書に残らず」が載っていました。

・・・高市早苗首相がSNSでの発信を多用している。重要政策の紹介や世論・メディアへの反論にも使う。その投稿は政府が保存する公文書に該当しないと説明している。政権幹部の言動の記録はどう規定されているのだろうか。
「政府の取り組みをどうしてもタイムリーにお知らせしたい場合もある」。首相は4月、首相官邸で語った。記者団からSNSの情報発信について問われた際の答えだ。
首相は平日の公務時間のほか、土日もX(旧ツイッター)でメッセージを発する。投稿件数は2025年10月の就任から26年8月下旬までの300日間余りで700件を超す。「久々に5時間も睡眠を取れた」「ゴキブリが足元を走り抜けた」。公邸の暮らしを記した私的な投稿もある。

目立つのは高市政権が取り組む経済や安全保障政策、外交などに関する書き込みだ。地震や大雨といった災害時には「政府として」と記して対応や方針を示す。自民党総裁選などで中傷動画の作成を依頼したという雑誌の報道に反論をつづったこともある。
投稿は首相の公式な発言に映る。ところが木原稔官房長官は7月の記者会見で「行政文書ではない」との見解を示した。「個人アカウントによる発信だ」と説明した。一方、佐伯耕三内閣広報官が首相の活動を紹介するXの投稿への見解は異なる。翌日の記者会見で「内閣官房の職員である広報官が運用するものは公文書だ」と述べた。
違いはどこにあるのか。行政文書は公文書管理法が規定する。①行政職員が職務上作成・取得②職員が組織的に用いる③行政機関が保有――の3要件すべてを満たすものを指す。広報官の発信はこれにあたるとの見解だ。省庁が作成する内部資料やSNS「公式アカウント」の発信も同様だ。
首相も立場としては行政機関の特別職だ。だが内閣府公文書管理課はXを「1人の政治家として用いるもの」と説明する。原則として行政文書の対象にならないという。①②③のいずれでもないとの考え方だ。

同法のガイドライン(指針)は意思決定の過程の検証に必要な文書は原則1年以上、保存すると求める。文字データに加え、録音や映像なども対象となりうる。
政府は2024年度で2000万超の行政文書を保有する。同年度は新たに300万件ほどが加わった。毎年、保存期間が終了した行政文書の9割前後は廃棄される。そもそも後世になって行政や政策判断の過程を検証できないとの批判もある。
高市首相のXでの投稿はこうした公式記録としてすら残らない。発信者側の判断で削除や訂正も可能だ。ネット上に履歴を保存した「魚拓」が残るとしても、後から内容や経緯を正確に検証しにくい。海外の民間プラットフォーマーに発信の保存や管理を委ねてしまう問題もある。

政治家がSNSで発信する機会は増えている。「公式発信」の線引きと記録を巡るルールが改めて問われる。
海外では記録が進む。米国は国立公文書記録管理局が大統領の発信を保存する。14年のオバマ政権時に大統領記録法を改正し、SNSなどの電子記録を含むと明確にした。
韓国も大統領記録物管理法で大統領の職務に関するSNS発信の保存を義務付ける。英国やオーストラリアは指針などで、SNSは公的な記録に該当するとの認識を示す。英国立公文書館は14年から首相や閣僚のSNSを収集する。スタート時に「将来の世代が歴史上の出来事を理解するために閲覧できるようにする」と理由を掲げた・・・
この項続く

 

540万番達成

2026年8月29日   岡本全勝

8月29日未明に、540万番を達成しました。知人の井上君が獲得したと、画像を送ってくれました。これまでも挑戦していたのですが、ようやく達成したとのことです。きっと、よいことが起きるでしょう。

カウンターの仕組みを変え、同じ人がクリックしてもカウンターの数字は上がらなくなりました。新しい人が見ないかぎり、しばらく540万番は続いていた可能性があります。すると、複数の人が540万番を獲得することもありますね。

以前は、毎日1000~2000くらい増え、6月半ばには4000増える日もありました。何か攻撃にでも遭ったのでしょうか、つながりにくくなることも発生しました。社長がカウンターを改造してくださって、訪れた回数でなく、その日訪れた人の数を数えるようになりました。ある人が1日に10回見ても、1回です。そんな人はいないと思うのですが。改造後は、カウンターの上がりが激減しました。1日に150~250人くらいでしょうか。拙いホームページを見てくださり、ありがとうございます。
530万番は5月19日でした。「カウンターの記録、その2」

SNS子どもの利用時間制限、アメリカの裁判

2026年8月29日   岡本全勝

8月28日の朝日新聞が「米メタ、子のSNS2時間まで アメリカの訴訟、2.8兆円で和解」を伝えていました。実施されれば画期的ですが、年齢確認の方法をどうするかといった問題があり、他社も同様の措置をとることを条件にしているので、先行きは不透明でしょう。

・・・子どもの依存対策を怠ったとして提訴されていた米国のSNS大手メタ(旧フェイスブック)は26日、和解金として10年間で最大180億ドル(約2兆8600億円)を支払うことで48州と和解した。18歳未満の子どもがインスタグラムを使える時間を1日2時間に制限する措置も設ける。悪影響への懸念が強まるSNS業界全体の転換点となる可能性がある。

テック企業による和解金としては、過去最高額とみられる。ただ、メタは敗訴した場合、制裁金が2千億ドル(約32兆円)規模に上る可能性もあり、経営上の大きなリスクとなっていた。
原告の48州は、メタが自社製品の中毒性を知りながらも利用者拡大を優先し、子どもたちに依存症や精神的な害を及ぼしたとして提訴した。
和解に基づき、メタは米国内で、インスタグラムやフェイスブックに1日合計2時間の利用制限を設けるほか、深夜0時から午前6時までは利用を禁止する。年齢確認をより厳しくすることなどでも合意した・・・

・・・SNSはたばこと同様に中毒性があり、子どもに睡眠障害やうつ病、摂食障害などを引き起こしている――。今回の裁判は、「欠陥的な設計」を作り、そうした事態を誘発した企業の責任や是正策が問われていた。
メタは和解案で、18歳未満の利用者を対象に、1日2時間の利用や深夜の利用を制限する措置などに踏み切った。
「子どもや親に求められていた責任が、企業やその設計に移った。非常に画期的だ」と、カリフォルニア大学サンフランシスコ校小児科のジェイソン・ナガタ准教授は話す。「他の国々や他のSNSも含めて適用していくべきだ」とも言う。

子どもへの健康被害を知りながら放置していたとされるメタに不利な証拠が裁判で明らかになりつつあった。
サンタクララ大ロースクールのエリック・ゴールドマン教授(サイバー法)は、「和解金は、メタの企業規模からすれば経営に影響を与えるような金額ではない」と話す。メタは和解に合意したものの不正行為と子どもの被害への責任を認めてはいない。ゴールドマン氏は「メタが責任を認めないのは、他にも訴訟を抱えているから。ここで認めれば、防御が難しく、あるいは不可能になる」と話す。
メタは和解金の一部の支払いについて、ティックトックやユーチューブが同様の安全措置を導入することを条件とした。
自社だけが厳しい規制を受ければ、若者が競合サービスに流れるリスクがあるからだ。国や州政府が競合にも同水準の対策を求め、業界全体に共通のルールが広がるか、今後注目される・・・

豊かになるために働くと2

2026年8月28日   岡本全勝

「豊かになるために働くと」の続きです。漁師の逆襲に笑ってしまいますが、「たくさん儲けたので、引退して悠々自適」という人は、あまり見かけませんねえ。昔は、ある年齢になると隠居するという風習もありましたが。定年で退職、再就職先も終わって仕事がなくなった状態が、それに当たるのでしょうか。少し違うような気もします。

幸せや満足とは何かを、考えさせられます。「人工知能で浮いた時間は仕事に」を考えると、人生に目標を持つのかどうか、足るを知るかどうかによるのかもしれません。目標がないと、いつまでも仕事を続けるのです。
人間は、じっとしていられない動物のようです。子どもを見ていると、特にそう思います。常に動き回る、先に進みたくなるのです。すると、手に入れた幸せ(現状)に留まらず(満足していても)、さらに先を目指して活動します。
ただし老人になると、さらなる活動が難しくなり、またおっくうになって留まります。そこで、満足を認識するのでしょう。

次のことも、思い出しました。
『新地方自治入門』(2002年)で、梶山静六・元官房長官が、大平正芳・元総理の次のような言葉を紹介しておられることを書きました(『破壊と創造』2000年、講談社)。
「梶山君、日本人はずっと貧しい社会を生きてきたから、貧困の中で美しく生きることは知っているが、豊かさの中でどう生きるかは知らないんじゃないか」