カテゴリーアーカイブ:日経新聞「私の履歴書」

「私の履歴書」第2回

2026年11月2日   岡本全勝

11月2日の「私の履歴書」第2回は、「被災者支援本部」「政府の能力が問われた 何でも引き受ける「ブラックホール」」です。
被災者支援本部事務局の任務を明確にしていき、そのための組織を作り、人を集め、仕事の流れをつくっていきました。山下君と福井君がどんどん進めてくれました。私にはいくつか相談があるほかは、ほとんど事後報告です。被災者支援本部が動き出し、うまくいったのは、この二人を呼んだことによりました。

事務局の写真を載せましたが、これが第1回で書いた、被災地からの要望を受けて物資を送る手配をするコールセンターです。各省から集められた職員が対応に当たっています。
左奥、時計下の地図の前で立って話している3人のうち、真ん中の黒のスーツ姿が山下君です。左手前、黒いセーターで書類を見ながら歩いているのが福井君です。二人とも席がないので、立って仕事をしています。
私は、この写真の左外に席があったのですが、写っていません。私たちは、このコールセンターとは別の仕事をしていたのです。しばらくして、別室に移りました。
「記録に残すために(文書ではわからないこともあるので)、写真を撮っておいてくれ」とお願いしたので、このような写真が残りました。百万言費やすより、写真の方がわかりやすいですね。

「私の履歴書」第1回

2026年11月1日   岡本全勝

今日11月1日から、日経新聞「私の履歴書」が始まりました。
第1回は、「東日本大震災」「発災8日後に緊急招集 「何をするかを考えるのが仕事だ」」です。

2011年3月11日に、東日本大震災が起きました。千年に一度という大津波で、多くの街が流されました。たくさんの死者・行方不明者とともに、家をなくした避難者が発生しました。
私は総理官邸に呼び出され、8日後から政府の東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部に設置された被災者生活支援特別対策本部事務局次長として被災者支援の指揮を執りました。あれから、もう15年余りが経ちました。
私がこの欄に登場するのは、この経験があったからでしょう。まずは、その経験と反省を綴ります。報道されなかった、現場の実態と私の体験をお話しします。

第1回を読んだ知人たちから、「読んだよ」との連絡が来ました。長く連絡を取っていなかった方からも。

日経新聞「私の履歴書」が始まります

2026年10月31日   岡本全勝

今朝、10月31日の日経新聞「私の履歴書」、スティーブン・シュワルツマン、ブラックストーンCEOの最終回の末尾に記載されましたが、明日から私の連載が載ります。1か月間の予定です。「私の履歴書」欄に書かせてもらえるのは、光栄なことです。昭和の官僚反省記です。乞うご期待。
日経新聞には、夕刊1面コラム「あすへの話題」に、2018年1月から6月まで、25回書かせてもらったことがあります。

(日経新聞の紹介文から)
11月の「私の履歴書」は、復興庁の事務次官を務めた岡本全勝さんです。東日本大震災の発生直後から9年半、政府の事務方として被災者支援や復旧、復興に携わりました。
未曽有の大災害に直面すると、政府も手探りです。混乱の中で被災者と向き合い、刻々と変わる要望にどう応じるか、一から考えました。災害が多発する今、危機対応の参考になります。
震災対応は政府の限界と民間の大切さを実感させ、行政の役割や復旧・復興のあり方を変えてゆくきっかけになります。11月に発足する防災庁に通じる考え方です。

麻生太郎内閣で筆頭格の総理秘書官を務めたときの逸話は、総理官邸の内情を垣間見せます。時の首相が何を考え、どう行動するのか、疑似体験できるかもしれません。
郷里は世界遺産になった奈良県明日香村です。幼い頃の描写は古きよき地方の姿を浮かびあがらせます。そこから旧自治省(現総務省)のキャリア官僚として地方を支えてゆく道に進みました。
霞が関は縦割りの弊害が指摘されますが、最近は出身省庁の枠を越えて幅広い分野の政策を担う内閣官僚が増えてきました。それをいち早く体現した異色の官僚の半生は、昭和から平成、令和へと変遷する官僚像や行政の姿を描き出します。

日経新聞「私の履歴書」目次

2026年10月31日   岡本全勝

11月1日から、日経新聞「私の履歴書」に連載しています。「宣伝文」
第1回 東日本大震災 発災8日後に緊急招集 「何をするか考えるのが仕事」
第2回 被災者支援本部 政府の能力が問われた 何でも引き受ける「ブラックホール」
第3回
第4回
第5回
第6回