カテゴリー別アーカイブ: 社会

社会

デジタル空間は現実社会のあしき模倣

3月29日の朝日新聞オピニオン欄、漫画家・いがらしみきおさんの「「神様のない宗教」から12年」から。

・・・39年前、コンピューターに入れあげた私は、本業である漫画家を休業した揚げ句、夜ごとパソコンの前に座りつづけていた。そして、当時広まりはじめたパソコン通信のために、自前のBBS(電子掲示板)を立ち上げた。それまではひとり夜中にいじりまくるものでしかなかったパソコンが、誰かのパソコンと繋がった時は、意味もなく感動したものだ。
しかし、それからの2年ほどは地獄の日々がつづく。毎日毎日、BBSに書きこまれる誰かの世まい言にレスしまくり、デマと中傷の嵐の中で会員同士のケンカがはじまれば仲裁し、オフラインの希望が出ると仕事場に招いたり、食事したりする。元来、人付き合いなどできもしないくせにそんなことをはじめたので、メンタルや自律神経が狂ってしまったのか、ある日、街を歩いていると、グルグルと風景が回りはじめ、とても立っていられなくなった。近くの電柱につかまりながらタクシーをひろって自宅に帰ったが、寝ている間にもどんどん体温が下がるので、このままだと死ぬんじゃないかと恐れた妻が救急車を呼ぶはめになった。そして、それを機会にBBS運営からも離れてしまう。

文字データだけのパソコン通信から、あらゆるデータを流通させられるようになったインターネットが広まり出したのは、そのすぐ後なので、パソコン通信などいずれ終焉を迎える運命だったのだろう。私は当時の自分のBBSを「駄作」と称し、「ここには誰もいない」と思った。
私は過度な期待を抱いていたのだろう。デジタルになると、なにか新しい世界がはじまるのではと夢見たが、パソコン通信の中で繰り広げられたことは、現実社会のあしき模倣でしかなかったし、インターネットになってからもそれは変わらず、現実社会のコピーをデジタルの中に持ち込んでは、それをワンタッチ、ワンクリックし、大量消費しているようにしか見えなかった。
それ以降の30年間ほどは、デジタルと距離を置くようになったが、その時の失望感と違和感は、私の中で通奏低音のようにつづいている・・・

社内結婚は時代遅れか

3月30日の日経新聞夕刊に「社内恋愛・結婚は時代遅れ?」が載っていました。
・・・結婚に至る王道ともいえる社内恋愛が曲がり角を迎えている。かつて職場の上司らが支援した時代もあった社内恋愛・職場結婚だが、セクハラにつながりかねないリスクや「公私を分けたい」という若者の意識変化で長期的な減少傾向に。そこに新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけ、最近では新たに登場したライバル、マッチングアプリにも押されつつある・・・

理由として、「同僚の男性と結婚しても豊かな生活は保障されないと、冷めた目で見てしまう」という例が紹介されています。また、誘うとセクハラのリスクがあるとも書かれています。

図(出生動向基本調査)によると、1987年では、職場や仕事で知り合ったが3割を超え、友人・兄弟姉妹を通じてと見合い結婚がそれぞれ2割を超えていました。2021年では、職場や仕事でが2割に減り、見合い結婚も1割を下回っています。友人・兄弟姉妹を通じては依然として2割を超えています。新しいのが、ネットで知り合ったで、1割を超えさらに増えています。

「主人」から「夫」へ、「家内」から「妻」へ。配偶者の呼び方

3月27日の読売新聞女性欄「「妻と呼んで」6割も実際は35%」から。

・・・自分や他人の配偶者を、あなたはどのように呼びますか――。男性は「夫」「旦那」「主人」、女性は「妻」「嫁」「奥さん」「家内」など日本語には配偶者に関する表現がいくつも存在するが、どのように呼ぶのがふさわしいのだろう。日経ウーマノミクス・プロジェクトが実施したアンケート調査から、配偶者の呼び方に関する悩みを探った。

調査は2月に実施、「配偶者の呼び方」について男女1584人から回答を得た。
自分の配偶者を誰かに説明するときの呼び方について、女性では「夫」が51.9%と最も多く、「旦那」(18.2%)「主人」(9.5%)を大きく離した。男性では「妻」が35.6%と最も多い。
文化庁が1999年に行った国語に関する世論調査では、自分の配偶者について既婚男性の51.1%が「家内」と呼んでいた。また既婚女性では74.6%が「主人」と呼んでいたことも踏まえれば、使われる呼称は大きく変化していると考えられる。
ただ、他人の前で配偶者に何と呼ばれたいかとの問いに、57.7%の女性が「妻」と答えており、実際の呼ばれ方との差もみられる。男性は31.1%が「夫」、27.6%は「主人」と答えている。

家内、奥さん、嫁、主人、旦那・・いずれも過去の偏った役割分担からきた呼び名ですよね。妻、夫もよいのですが、他によい呼び方はないでしょうか。「連れ合い」と呼ぶ人もいますが。

古語解説「気配り」

「気配り」とは、かつて日本にあったとされる慣習。
周囲の人が困らないように、あるいは行動しやすいように、自ら行動すること。相手の行動を予測し「気を配ること」から来た語。例えば通路で並ぶ場合は、端に立って他の人が通りやすくすること。
スマートフォンの普及によって、公共の場でもスマホに熱中し、周囲に気を配らない人が増えて、この言葉はほぼ死語となった。先の例で言えば、電車の扉近くに陣取りスマホに熱中し、他人の通行の邪魔になっても気づかない。通路でもスマホを見ながら歩き、他の人とぶつかるなど。

「気配りはやめよう」と、政府が推奨したり法律で禁止しても、ここまで徹底できなかったでしょう。
スマートフォンが普及して、まだ20年も経ちません。この短期間に、何百年も続いていたと思われる「気配り」の習慣が「絶滅危惧種」になるとは、スマホの威力はすごいです。その分野にノーベル賞やギネスブック認定があれば、第一位になるでしょう。

追記
読者から、次のような指摘がありました。
「気配り」は「仲間内ですること」としては生きているので。古語ではなく意味がずれた言葉(古今異義)なのでしょう。

「海外ルーツの子」?

「海外ルーツの子」と聞いて、あなたは、どのような子どもを思い浮かべますか。
3月23日の朝日新聞「海外ルーツの子へ、学習アプリを開発」に、次のような文章で出てきました。
「日本語指導が必要な子どもが増えている。海外にルーツがあり、日本で生活する子どもたちが、楽しく日本語や漢字を学べる方法はないか」
そして、記事の後ろには、次のような解説がついています。
「日本に暮らす、海外ルーツの子どもは増えている。20年の国勢調査によると、外国籍の19歳以下の人は29万5188人で、10年前の約21万人から8万人以上増えた」

私が疑問に思ったのは、「ルーツ」という言葉です。かつて、アレックス・ヘイリーの「ルーツ」という本が売れました。これは、確かアメリカの黒人がアフリカまでご先祖を探しに行くという話でした。
辞書には、起源、由来、先祖、故郷などが挙げられています。さて、この記事での「ルーツ」は、どれに当たるのでしょうか。

日本語が母語でない子どもたちを指しているようですが。
本人の生まれ育った地は、通常はルーツとは言いませんよね。出生地でしょう。「ルーツ」では、親や祖先が生まれ育った地で本人の出生地ではない国を想像します。しかし、「在日」と呼ばれる人たちの3世は、「海外ルーツの子」に入るのでしょうが、多くの子どもは日本語を話すと思います。
カタカナ語は、意味が曖昧なことが多いです。新聞記事がそれを助長するのは、困ります。