カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

「民間事故調最終報告書」

アジア・パシフィック・イニシアティブ(船橋洋一代表)著『福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書』(2021年、ディスカバー・トゥエンティワン)を紹介します。民間事故調報告書(2012年)に続く、第2弾です。民間事故調が「備え」に焦点を当てたのに対して、今回の第二次民間事故 調は「学び」に照準を合わせて検証しています。
私は原発事故には関わっていないのですが、船橋さんに呼ばれて、インタビューを受けました。少しだけですが、発言が載っています。復興過程においての話です。船橋さんは、ほかに『福島戦記 10年後のカウントダウン・メルトダウン』上・下(2021年、文藝春秋)も出版しておられます。

原発事故については直後に、国会、政府、民間の事故調査委員会が、詳しい報告書を出しました。しかし、まだ抜け落ちている問題、十分には検証されていない問題があると思います。それぞれの事故調は、なぜ事故が防げなかったか、冷温停止ができなかったかという、原発内の作業と官邸の指揮に焦点が当てられています。それは最も重要なことですが、原発の外で起きていた問題が十分に取り上げられていません。

一つは、事故当時の住民への避難誘導、国民への説明です。放射線で死んだ人はいないのですが、避難作業が適切でなく、避難途中で何人もの人が命を落としています。この責任を、明らかにすべきです。
もう一つは、避難指示区域の設定、賠償、復興についてです。これはまだ進行形ですが、10年経った今、一定の検証をしておくべきです。
政府が自ら検証しないとすると、国会や報道機関に期待するのでしょうか。

NHKウエッブサイトに載りました。

NHKウエッブサイト、政治マガジン「死ななければ、帰れないのか」(3月17日掲載)に、私の取材が載りました。原発被災地、帰還困難区域の扱いについてです。

原発事故による放射線量の高い区域を、政府(原子力災害対策本部)は、3つの区域に分けました。放射線量が低く早く帰還できる区域(避難指示解除準備区域、緑色)、少々放射線量が高く除染をして帰還を目指す区域(居住制限区域、黄色)と、放射線量が高く当分の間帰還ができない区域(帰還困難区域、赤色)です。
このうち、解除準備区域と居住制限区域は、既に避難指示を解除しました。残っているのが、帰還困難区域です。

3つに分けたのですが、「避難指示解除準備区域、居住制限区域」と「帰還困難区域」とは、扱いが大きく違ったのです。前者は帰還することを前提とし、待ってもらう区域です。賠償も、待ってもらう間のものとして計算されています。
他方で、帰還困難区域は長期間帰れないことを前提に、賠償を払った地域です。故郷喪失慰謝料や、新しい土地での住宅建設について不足する金額も支払われています。多くの人も、それを前提に新しい生活を始めておられます。
その帰還困難区域で、放射線量が予想以上に早く減衰したので、帰ることができる地域も出てきたのです。これは、うれしい誤算です。しかし、まだ放射線量が高い地域もあります。
放射線量が下がって帰還できるようになったら、その区域は避難指示を解除することはできます。まだ放射線量が高いところを除染して避難指示解除を急ぐかどうか。そこで、記事にあるような問題が生じているのです。

この件については報道されているのですが、このあたりのことがきちんと書かれていないようです。当事者でない私が発言するのはおかしいかもしれませんが、取材に応じて、解説しました。

損保会社、損害査定と保険金支払いの進化

3月9日の日経新聞に、「損保、災害支払い迅速に」「東日本大震災を機に初動改善 地震保険契約、なお7割」が載っていました。
・・・東日本大震災の発生から11日で10年が経過する。同震災は損害保険会社の地震への初動対応を磨く契機となった。デジタル技術の活用や新商品の開発により素早い保険金の支払いを実現し、被災者の生活再建を支える。一方、地震保険の契約率は全国平均でまだ7割にとどまる。地震大国における備えはなお途上だ・・・

東日本大震災では、損保各社が、被害の全容もつかめず、合計1万人もの社員を現地に派遣して、人海戦術で損害と保険金額を判定していました。
最近では、気象庁の数値を元に、被害予測を行います。「あいおいニッセイ同和損害保険。リアルタイム被害予測ウェブサイト cmap」。これは優れものです。
そして、被災者が写真などで自己申告し、現地に行くことなく査定が始まります。

10年間での対応の進化が表になっています。
事故の受付は、電話やFAXだったのが、スマートフォンで必要事項を入力に変化。
請求書は、郵送だったものが、書類や写真をウエブで送ることに。
事故対応は、現地に社員を派遣していたのが、リモートでできるようになり全国で分散に。
立ち会い予約は、電話で調整していたのが、行程を自動で算出するようになりました。

他方で、地震保険の普及が低い地域があることも指摘されています。また、3月13日の日経新聞の記事によると、火災保険に地震保険を併せて契約する企業の割合は、1%と大震災の前とほとんど変わらない。また日本の企業保険の保険料が国内総生産に占める比率は0.8%で、自然災害が少ないイギリスの1.1%より低いのだそうです。「日本は変われたか 大震災10年(4)ゼロリスク思想 油断招く

東北のすごいいちご

NHKウエッブニュースに「東北のすごいいちご」(3月11日掲載)が載っています。
・・・真っ赤に熟れた大粒の甘いいちご。大好きなフルーツの1つです。「東北にすごい、いちご農家がいる」と聞き、現地に向かいました。どんないちごでしょう。
東京 新宿のデパート「伊勢丹」の“デパ地下”。
そのいちごは、和歌山産「まりひめ」や熊本産の「あその小雪」といった高級いちごとともに、フルーツ売り場の中央に構えていた。
形はきれいな逆三角すい。1粒1粒丁寧に包装されている。もっとも高いものは12個入りで税込み8640円・・・

・・・いちご栽培をはじめたきっかけは、東日本大震災だった。当時は33歳。東京でITベンチャーを経営していた。
岩佐さん
「10年前、変わり果てたふるさとの姿を見て、価値観が大きく変わりました。震災前から衰退が始まっていた故郷をもとに戻すだけの復興なら意味は無い。どうせやるなら、日本一、世界一を目指そうと考えた時、地元特産のいちごならできると思ったんです」・・・

取り上げられている社長の岩佐大輝さんは、先日「東北リーダーズ・カンファレンス2021に登壇しました」で司会をしてくれた人です。

被災3県住民の復興評価。岩手、宮城9割、福島5割

3月10日の朝日新聞に、3県住民の復興評価調査結果が載っていました。「(いま伝えたい「千人の声」2012→2021)アンケートから:上 東日本大震災

地元の復興が順調に進んでいるかを4段階で尋ねたところ、「進んでいる」「まあまあ進んでいる」の合計が3県全体では81%だった。県別では、岩手95%、宮城90%に対して、福島は50%にとどまった。
この質問は、2013年から毎年尋ねている。13年は岩手・宮城が20%超で、福島は11%。岩手・宮城と福島との差が年々開く傾向があった。被災前、福島県大熊町に住んでいたいわき市の女性(53)は「人が戻らない町。形を整えるのも大切だが、現実的でない環境。廃炉する場所、町に安心した生活はあるのか」と訴えた。

震災前と比べ、近所同士の交流が活発かどうかを尋ねると、「交流がなくなった」「交流が減った」の合計は、岩手65%、宮城63%、福島79%だった。福島県楢葉町から会津美里町に避難した女性(82)は「楢葉町から離れているので交流の機会はなくなった。婦人会で集まりがあるときは、できるだけ出かけていこうと思っている」と答えた。宮城県亘理町の男性(71)は「津波で空き地になった宅地が多いが、年2回、草刈りやごみ拾いを行っている」とした。

10年後の31年は「震災から20年」となる。その頃の地域の雰囲気や活力について、今と比べて「変わらない」とみる人が3県とも40〜50%台。「とても明るくなる」「やや明るくなる」の合計は、岩手、宮城が26%、福島が30%だった。

「心の復興」について、震災直後の最も悪い状態を1とし、震災直前に完全に戻った状態を10として10段階で尋ねたところ、3県全体の平均は6・4だった。2017年は6・1で、以降はほぼ横ばいだった。県別では、岩手7・0、宮城6・7に対し、福島は5・3で、心の復興でも差が出ている。
10に達しない理由を三つまで聞くと、「近所づきあいがなくなった」が最多の44%で、この質問を始めた17年より9ポイント増えた。「住宅」や「家族との別居」の悩みが減り、個々の生活基盤の改善がうかがえる一方で、「町の活気が戻らない」が大きく増え、近所づきあいがなくなったことと合わせて、地域のつながりの再生が難しい実態が浮かんだ。

震災後10年間で受けた行政からの支援や対策について、3県全体では「満足している」が11%、「どちらかといえば満足している」が53%、「どちらかといえば満足していない」が23%、「満足していない」が13%だった。
ただ、福島の満足度は低い。「満足している」「どちらかといえば満足している」の合計は、岩手81%、宮城60%に対して、福島では48%にとどまった。