カテゴリーアーカイブ:著作と講演

連載「公共を創る」執筆状況、第2章1

2019年11月2日   岡本全勝

先週、提出した「第2章暮らしを支える社会の要素 1公私二元論から、官共業三元論へ」の原稿が、ゲラになりました。
編集長が5回に分割してくださって、連載では第24回(11月7日)から28回(12月19日)になります。これで、一息つくことができます。よく頑張りました。

第2章1では、公共を考えるために、公私の区分や共助(助け合い)を議論してます。
これにあわせて、肝冷斎が、「公共」の言葉の起こりを調べてくれました。
「史記」より「与天下公共」(10月29日の記事)
漢の文帝(在位前180~前157)に仕えた張釈之が、文帝に向かって反論します。

法者天子所与天下公共也。今法如此。而更重之、是法不信於民也。
=法なるものは天子の天下と公共するところなり。今、法はかくの如し。しかるにこれを更重せば、これ、法、民に信じられざらん。
=法というものは天子が、天下万民とともにしているものでございます。いま、法の規定がこうなのです。それなのにそれを変えて重い罰にすれば、法が人民に信用されなくなりましょう。

さすが博学な肝冷斎。勉強になりますね。

連載「公共を創る」第23回

2019年11月1日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第23回「哲学が変わったー成長から成熟へ 日本型行政の日本社会の曲がり角」が、発行されました。

前回、経済の停滞と社会の不安を取り上げ、平成時代は日本社会の曲がり角であったと主張しました。そしてそれは、行政にも当てはまります。
インフラ整備と公共サービス充実に成功した日本の行政は、社会の課題が変わっていたのに、以前のままの行政を延長しました。そこに、官僚に対する国民の信頼の低下があります。
先進国を目標に追いつけ追い抜けという仕事の仕方をしてきた日本の官僚は、目標に追いついたときに、新しい目標と新しい行政手法を自ら探すことを怠ったのです。昭和後期の、経済、社会、行政の輝かしい成功が、平成時代の方向転換を遅らせました。成功は失敗の元です。

今回は、注に、私が考えているさまざまな「思い」も、記述しました。指導者の理念と国民の情念、時代の風潮、保守と革新でなく作為と無作為、官僚の現状維持。少々長くなっていますが、ここもお読みください。
さて、これで第1章を終えます。次回からは第2章に入ります。

自治大学校校友会講演

2019年10月25日   岡本全勝

今日10月25日は、自治大学校で校友会(卒業生の集まり)の研修会で講演をしてきました。約500人の研修生が、熱心に聞いてくれました。
聴衆は、自治大学校の卒業生です。彼ら彼女たちは、それぞれの自治体の幹部になり、地域の指導者になる人たちです。そこで今回は、主題を「平成から令和へーこの国のかたちを変える」としました。

平成の30年が終わり、令和が始まりました。この1年間、マスメディアは平成30年を振り返る特集を組みました。それはそれで有意義です。
しかし、現在と将来の日本に責任を持つ公務員は、過去を振り返りつつ、未来を作らなければなりません。「失われた20年」とぼやいているだけでなく、何が足りなかったのか、何をしなければならないか。平成の30年間は、日本社会と日本の行政の曲がり角でした。条件が変わったのに、昭和後期の大成功に酔って、その転換に遅れてしまいました。
この延長に、日本の繁栄と安定はありません。何をどう変えるか。
仮に30年後、令和31年から振り返ってみたら、どうすべきだったかを、皆さんに考えて欲しかったのです。

連載「公共を創る」執筆状況

2019年10月22日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆を続けています。「第2章暮らしを支える社会の要素 1公私二元論から、官共業三元論へ」をほぼ書き上げました。

今回から、右筆2号を勝手に指名し、目を通してもらうことにしました。快く引き受けてくれました。早速、右筆1号とは違った観点から、良い指摘をもらいました。ありがとうございます。
右筆1号と2号の指摘を加筆し、ほぼ完成です。結構な分量になりました。これで、11月を越せそうです。

ところが、続きの第2章2に着手したのですが、これまた難渋しています。第2章1も2も、これまでしゃべったり書いたりした部品があるのですが、改めて文章にすると、その雑さが目について、その修正に困っています。
まず、原案の第2章2と第3章を、入れ替えることにしました。

連載「公共を創る」第22回

2019年10月17日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第22回「哲学が変わったー成長から成熟へ 平成時代は日本社会の曲がり角」が、発行されました。

平成時代の第一の問題は、経済の停滞でした。それは景気変動ではなく、日本の産業に転換を迫るものでした。追いつき型発展の終了、国際競争の激化、そして日本型経営が足かせになるというように、条件が変わったのです。

もう一つの問題は、社会の不安の増大です。それを分けると、格差の顕在化と、孤立の顕在化です。平等と安心を支えていた日本社会が、経済成長や近代化によって変貌していたのです。

そして日本は、これらの新しい社会の課題と経済産業の課題に、的確に対応することができませんでした。失われた20年と言われるように、停滞は長引きました。それが、日本社会から昭和時代のような夢と明るさを失わせました。
これらの課題は、景気対策を打っても解決できる問題ではありません。従来型の行政、産業政策では、解決しないのです。
私が、平成時代は日本の曲がり角と主張するゆえんです。