カテゴリーアーカイブ:著作と講演

連載「公共を創る」第70回

2021年1月22日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第70回「日本は大転換期―成熟社会の達成でなくなった日本の目標」が、発行されました。
今回は、かつての社会意識が現在では適合しなくなっている問題を幾つか指摘します。

・日本の成長を支えた社会意識が、負の効果を生んでいる場合があります。例えば「向都離村」の意識です。若者が故郷を離れ都会に出ました。それが日本の経済発展を支えました。しかし他方で、田舎には若い人が残らないことになりました。
・閉鎖的な村では、村人は互いに支え合う一方で、よそ者を警戒することで、他者との信頼をつくることが下手になりました。会社に抱えられた社員は、安心し自らを磨こうとしなくなりました。
・欧米が個人主義であるのに比べ、日本は集団主義だといわれてきました。しかし、そうではないと思います。多くの日本人は、世間の判断に従います。それは、自発的判断でなく、世間の目が厳しいので仕方なく従っているのです。それは、我が身を守っている「個人主義」ではないでしょうか。
集団主義には、受動的集団主義と、能動的集団主義があるようです。受動的集団主義は、決められたことを受け入れることです。能動的集団主義は、社会や組織をつくることに積極的に関与することです。そうしてみると、日本は受動的集団主義ですが、能動的集団主義ではないのです。社会参加が低いことは、その現れです。

戦後75年、日本の政治制度の骨格が変わっていないのに、社会の変化は驚異的でした。終戦直後まで、日本人の約半数が農業に従事し、大半の人が農村に暮らしていました。その後の経済発展によって、多くの人が農村の暮らしから離れ、勤め人になりました。そして、豊かで自由な社会を実現しました。私たちの暮らしにとって、3000年も続いた長い弥生時代が終わる、大変化の時代だったのです。この半世紀に起きた「長い弥生時代の終了」と「成熟社会の実現」が、行政や公共の在り方に変更を迫っています。

これで、第3章「日本は大転換期」を終えて、次回からは第4章「政府の役割再考」1「社会の課題の変化」に入ります。

シンポジウム「東日本大震災から10年」、2

2021年1月22日   岡本全勝

21日の仙台でのシンポジウム、22日の朝日新聞に紹介されています。
・・・基調講演では、岡本全勝・元復興庁事務次官が「戦後初めて経験する人口減少の中での復旧・復興事業だった。今後、まちづくり計画を作るうえで、どう規模を抑えるかが次の課題だ」と指摘。御厨貴・東京大学名誉教授は「定住者と復興支援で訪れた人とのつながりの中で、関係人口・関心人口を広げることが大事」と述べた・・・
詳しくは、31日付朝刊に載るとのことです。

昨日の記事にも加筆しましたが、ビデオは23日まで見ることができるそうです。

シンポジウム「東日本大震災から10年」

2021年1月21日   岡本全勝

今日は、仙台市で開かれたシンポジウム「東日本大震災から10年~復興の教訓と未来への展望」で、基調講演をしました。もう1人の基調講演は、御厨貴先生です。視聴はオンラインですが、登壇者の多くは現地に集まりました。会場でも、感染防止に気を遣っています。換気のため風通しが良く、寒かったです。
(ビデオ)
私の出番は22分からです。23日まで見ることができるそうです。

私の話は、この10年間で行政は何をしたか、そして何が残っているかです。
これまでにない災害に対し、これまでにない対応をいくつもしました。それを全体としてみると、「国土の復旧から生活の再建へ」という哲学の変更でした。
しかし、住民の戻りは十分でなく、「過大な防潮堤」批判もあります。
それについての考えを、お話ししました。今後の教訓にしてもらうためです。
(使った資料)

石橋英昭・朝日新聞仙台総局編集委員からは、「まちの復興とひとの復興」という視点からの、課題整理と問題提起がありました。私にとっては、我が意を得たりです。
マリ・エリザベス・東北大学准教授からは、被災者支援にまだ改善の余地があること、すべての問題を完璧に解決することは限界があること、被災者自身がともに考えていくことが必要との指摘がありました。これも、ありがたい指摘です。
御手洗瑞子・気仙沼ニッティング代表取締役からは、産業再建のためのグループ補助金が従来の施設設備の復旧にしか使えないことの問題指摘がありました。これも重要な指摘です。今回初めて産業再開に国費を入れたのですが、発想は復旧でした。しかし、元に戻すという思想では、これからの産業再生は困難でしょう。町づくりも、人口減少下では、戻すのではなく将来を考えた計画が必要です。

連載「公共を創る」第69回

2021年1月15日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第69回「日本は大転換期―善の基準を教える村と宗教の機能低下」が、発行されました。

「善き生き方」という考えがあります。善いと考えられる行動を取ること、そしてそのような人生を送ることです。
この善の基準は各人で異なり、唯一決まったものはありません。世界観(世界とはこういうものだ、その中で人はこう生きるものだという、世界と人生に対する見方)や、価値観(何に価値があると認めるかという物の見方。善と悪や好ましいことと好ましくないことを判断するときの基準)に基づいて人は行動します。それは、人によって異なるのです。かつては、伝統的な村の教えと宗教が、それを教えてくれました。

ところが、近代の完成とともに、それを教えてくれる人がいなくなりました。西欧近代に生まれた自由主義立憲国家は、市民に生の意味や目的を与えません。というより、それらについて違った考えを持った人たちが共存するためにつくったのが、近代立憲国家です。
善き生き方のうち、共同生活に必要な道徳は学校で教えることにしました。道徳教育は、社会での行動の決まりは教えてくれますが、生きることの意味は避けます。
他方で、村の教えと宗教は力を失いつつあります。生きる意味や人生の意味を教えてくれる人がいなくなりました。

連載「公共を創る」第68回

2021年1月8日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第68回「日本は大転換期―どうつくるか、新しい時代の通念と道徳」が、発行されました。
前回から、日本社会の通念と道徳が、経済成長を経て変化していることを議論しています。

かつての村の暮らしには、貧しい時代の生活哲学がありました。物を大切にすることや、勤勉であることです。そして、村での教えに、明治以降は新しい意識が乗りました。「みんなで努力して豊かになろう」「欧米をお手本に追い付こう」という考え方です。それを表現した言葉が、向都離村(故郷を離れ、都会で学問や就職をすること)、立身出世(仕事などで成功し、世間に認められること)です。
しかし、この伝統的通念と道徳は、世間の変貌によって変化を余儀なくされます。伝統的な通念と道徳が、現在に必ずしも適合しません。そして、世間で生きていくための知識と判断力を、どこでも教えてもらえなくなりました。

社会の通念によって、個人の信念ができます。他方、近代科学を教えられても、多くの人が程度の差はあれ神や仏を信じています。不運にしろ幸運にしろ、人の力を超えたものを信じたいときや、科学を超えた説明を必要とすることがあります。そして、良い成果が出るようにお願いをし、占いを信じます。人間の力や自然科学を超えた存在を信じるのが、宗教です。