「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載「公共を創る」第14回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第14回「哲学が変わったー成長から成熟へ 震災を機に行政の役割も変化」が、発行されました。

大震災の被災者支援と復興の過程でわかったことは、国土の復旧ではまちの暮らしは戻らず、暮らしの再建にまで支援の範囲を広げる必要があるということでした。
そのような視点から日本の行政を見ると、これまでの行政は、モノとサービスの提供に重点を置いていたことがわかります。明治時代以来の、産業育成、社会資本整備、行政サービスの充実の際には、これが効率的に働きました。

しかし、それらの目標を達成すると、別の問題が見えてきました。それらの行政から漏れ落ちた人や課題です。
例えば、災害で壊れると、上下水道は公共施設として復旧されますが、個人の井戸は個人の責任となります。おかしいと思いませんか。
生産者視点や提供者視点でなく、生活者視点から見ると、そのような課題が見えてきます。

連載執筆状況

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆が、少しずつ進んでいます。
今日は、第16回から第19回のゲラができました。全体構成では、「第1章3哲学が変わったー成長から成熟へ(3)主体と手法の拡大」に当たります。
9月に掲載される4回分です。これでほっと一息。

並行して、続きの「3(4)変貌した社会への対応」を書いています。ここも、難渋しています。8月初めから、取りかかっているのですが、まだ半分も進んでいません。
書くべき内容は、部分部分としてできつつあるのですが。流れをうまく整理できません。もうしばらく、格闘しますわ。

連載「公共を創る」第13回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第13回「哲学が変わったー成長から成熟へ 発展の暴走に制御が必要」が、発行されました。

前回から、大震災の経験を基に、日本社会の変化や行政の役割の変化を議論しています。今回は、「安全神話」の背景にあったものを取り上げました。
それは、近代社会から続く、「人間は事前と社会を理解でき制御できる」「科学と社会は発展する」という思想です。それに基づき、「科学技術、市場経済、民主主義」が発展し、私たち、はめざましい成果を得ることができました。
しかも、神様や指導者の指示でなく、各人が自由に行動することで、自動的に発展するのです。「見えざる手」と呼ばれました。

しかし、この「見えざる手」は限界に来て、科学技術も市場経済も民主主義もしばしば「暴走」することがあるようです。「見えざる手」に任せるだけでなく、「見える手」で介入することが必要なのです。

連載執筆状況

みなさん、お元気でお過ごしですか。梅雨が明けると、とても暑い日が続いています。今年の暑さは、こたえますねえ。

とはいえ、連載「公共を創る」の締めきりは、待ってはくれず。あんなにたくさん書きためたと思っていたのに、あっという間に、貯金が残り少なくなりました。
続き(第1章3(3)主体と手法の拡大)は7月中旬にはほぼ書き上げ、不安なところを関係者に確認してもらっていました。他方で、右筆に手を入れてもらうことを督促して、昨日、完成させました。

ここのところ、昼もなにかと用務が入り、夜は異業種交流会が続いています。昨日は冷房を入れて、頑張りました。

連載「公共を創る」第12回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第12回「哲学が変わったー成長から成熟へ 東日本大震災が覆した常識」が、発行されました。
今回からは、東日本大震災という個別の災害対処でなく、それを日本社会の変化や行政の役割の変化という、大きな構図の中に位置づけてみます。

大震災は、私たちが持っていたいくつかの「常識」を覆しました。それは、日本社会の基底で起きている変化を、露見させたのです。
日本は災害列島であること。防潮堤で守り切ることはできず、逃げることも必要であること。防災とともに、減災が重要であること。原発が安全だというのは神話であったこと、などです。