カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」執筆状況、第2章2途中

定例のぼやきです。
第2章「1公私二元論から官共業三元論へ」の原稿を編集長に渡したのが、10月下旬。記事にして5回分あったので、しばらく余裕を持って過ごしました。
しかし、1か月は、あっという間です。貯金が、12月19日発行分で底を突きます。とうとう、編集長から「続きの原稿はまだですか」との催促が来ました。

第2章「2社会的共通資本(1)社会の財産」は書き上げて、右筆たちに手を入れてもらいました。現在執筆している第2章は、これまでに考えていたこと、このホームページでに書いたことなどを基にしています。しかし、論旨が通った文章にするのは初めてです。政治学、経済学、社会学で議論されていることも多いのですが、これだという参考になる書物はありません。二人の右筆から鋭い指摘をもらって、書き換えました。

できた分だけを出稿するという判断もあるのですが、続く「(2)この国のかたち」や「(3)次代への責任」にも、議論がつながってくるので、なかなか完成しません。先達の議論を参考にすることも多く、その確認にも時間がかかります。
しかし、催促が来たので、見切り発車しました。

ところが、出稿してから、執筆準備のために書き留めてあったメモや買ってあった本が出てきます。「あ、これも書く予定だった」と思いだして、加筆を考えます。ゲラになってから手を入ましょう。
うろ覚えだった点を確認しようと本棚を探しますが、なかなか出てきません。しかたがないので、アマゾンに発注して配達してもらっています。中古の本は安いのがあるので、ついつい買ってしまいます。
ところが、なかなか読む時間を作ることができず、執筆に反映できないのです。昼はとてもそのような時間が取れず、夜は異業種交流会から帰って布団の中で読み始めますが、早々と寝てしまいます。全然進みません。その間に、時間が経ってしまいます。困ったものです。

(2)の原稿もまだ生煮えなのですが、早い段階で右筆たちの意見をもらった方が良いと考えて、送り込みました。右筆1号と右筆2号さん、よろしくお願いします。

連載「公共を創る」第27回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第27回「公私二元論から官共業三元論へ 民間非営利活動」が、発行されました。

公私二元論に代えて、官共業三元論で社会を見ると、さまざまなことが見えてきます。行政(政府)と企業(経済活動)のほかに、NPOや中間集団も社会の重要な要素です。
民間活動は、営利活動ばかりではありません。非営利で社会に貢献するような慈善活動や、構成員の利益のための活動などもあります。ボランティア活動やNPOの発展によって、民間非営利活動が再認識されるようになりました。

また、同業団体や宗教集団、さまざまな同好の士の集まりといった中間集団は、個人に帰属意識と安心を与えてくれます。社会にとっても、個人を孤立させない重要な機能を持っています。
政治学も経済学も、まだこれらの機能を十分に位置づけていないようです。

連載「公共を創る」第26回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第26回「公私二元論から官共業三元論へ 政府と共助と企業が支える公共」が、発行されました。

前回、公私二元論に代えて、官共業三元論で社会を見ることを提唱しました。三元論で社会を見ると、二元論では見えなかったことが見えてきます。公私二元論は、国家が民間を指導します。かつてのドイツ国家学、明治以来の日本です。他方でアメリカ社会学では、自治体や政府も、会社と同じように、住民が自分たちのために作ったものです。

公・公共という言葉を、政府、世間、良い社会という使い方に分類すると、私の連載では「良い社会」を対象にします。それは、どのようにしたら創ることができるか。
そこには、他者とのつながりがあり、慣習として引き継いでいく必要があります。この慣習をどのようにしてつくり、引き継いでいくか。それを議論します。

連載「公共を創る」第25回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第25回「公私二元論から官共業三元論へ 公私二元論の問題」が、発行されました。

前回、二つの公私区分を説明しました。その一つめの、国家を公とし市民社会を私とする区分は、近代市民社会で誕生しました。支配者が、個人の生活に恣意的に介入するしていた封建時代から、市民革命によって個人の生活や経済活動を独立させようとしたのです。そのために、国家と市民社会の間に、線を引こうとしました。
もう一つの公私区分は、市民社会の中で、世間を公とし家庭を私とする区分です。これも、家庭は個人の城であり、国家は家庭に入ってはならないものとされました。
この2つの公私区分は、それだけの意図があったのですが、他方で副作用も生みました。社会では資本家と労働者の不平等を隠し、家庭では夫と妻との不平等を隠しました。
さらに、「自立した市民社会」という理想像は、自立できない人を忘れていました。

公私二元論に替えて、私は官共業三元論を提唱しています。政府部門と民間非営利部門と市場経済部門の三つで考えるのです。
三元論で社会を見ると、二元論では見えなかったことが見えてきます。

連載「公共を創る」第24回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第24回「公私二元論から官共業三元論へ 公私の区分」が、発行されました。

今回から、第2章「暮らしを支える社会の要素」に入ります。
第1章では、東日本大震災を素材に、町を再建するには何が必要かを考え、再チャレンジ政策を素材に、成熟社会日本の課題を考えました。
第2章と第3章では、これらの議論を発展させて、私たちが暮らしやすい社会とは何か、それを誰がどのようにしてつくるかを、議論します。

第24回では、まず社会とは何か、そして社会と行政との関係を考えます。そのために、公私の区分を議論します。
公私の区分には、2つのものがあります。一つは、国家を公とし、市民社会や市場経済を私とする区分です。もう一つは、その市民社会の中で、世間を公とし、家庭を私とする区分です。

参考に、サッチャー元イギリス首相の有名な言葉「社会など存在しません」を紹介しました。うろ覚えだったので、回顧録で見つけようかと思いましたが、インターネットの検索ですぐに出てきました。サッチャー財団のサイトなので、確かです。便利なものです。