カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第25回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第25回「公私二元論から官共業三元論へ 公私二元論の問題」が、発行されました。

前回、二つの公私区分を説明しました。その一つめの、国家を公とし市民社会を私とする区分は、近代市民社会で誕生しました。支配者が、個人の生活に恣意的に介入するしていた封建時代から、市民革命によって個人の生活や経済活動を独立させようとしたのです。そのために、国家と市民社会の間に、線を引こうとしました。
もう一つの公私区分は、市民社会の中で、世間を公とし家庭を私とする区分です。これも、家庭は個人の城であり、国家は家庭に入ってはならないものとされました。
この2つの公私区分は、それだけの意図があったのですが、他方で副作用も生みました。社会では資本家と労働者の不平等を隠し、家庭では夫と妻との不平等を隠しました。
さらに、「自立した市民社会」という理想像は、自立できない人を忘れていました。

公私二元論に替えて、私は官共業三元論を提唱しています。政府部門と民間非営利部門と市場経済部門の三つで考えるのです。
三元論で社会を見ると、二元論では見えなかったことが見えてきます。

連載「公共を創る」第24回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第24回「公私二元論から官共業三元論へ 公私の区分」が、発行されました。

今回から、第2章「暮らしを支える社会の要素」に入ります。
第1章では、東日本大震災を素材に、町を再建するには何が必要かを考え、再チャレンジ政策を素材に、成熟社会日本の課題を考えました。
第2章と第3章では、これらの議論を発展させて、私たちが暮らしやすい社会とは何か、それを誰がどのようにしてつくるかを、議論します。

第24回では、まず社会とは何か、そして社会と行政との関係を考えます。そのために、公私の区分を議論します。
公私の区分には、2つのものがあります。一つは、国家を公とし、市民社会や市場経済を私とする区分です。もう一つは、その市民社会の中で、世間を公とし、家庭を私とする区分です。

参考に、サッチャー元イギリス首相の有名な言葉「社会など存在しません」を紹介しました。うろ覚えだったので、回顧録で見つけようかと思いましたが、インターネットの検索ですぐに出てきました。サッチャー財団のサイトなので、確かです。便利なものです。

連載第1章の概要

10月31日の第23回で、第1章が終わりました。第1章は東日本大震災を素材に、私たちの町での暮らしを支えているものは何か、それは誰がつくっているかを論じました。

「1 想定外が起きたー政府の役割を考える」では、未曾有の災害が起き、これまでにないことをしなければならなかったことを紹介しました。
「2 町を再建するーまちとは何か」では、町を復興する際には、インフラだけでなく、産業やコミュニティの再建が必要であることを指摘しました。
「3 哲学が変わったー成長から成熟へ」では、昭和時代から平成時代に日本社会は大きく変化し、社会の課題と行政に求められることが変わったことを指摘しました。

ここで言いたかったこと、またこの連載で主張していることは、次の通りです。
1 公共をつくるのは行政だけではないこと
私たちの暮らしを支えている公共(世間)は、インフラ、サービス提供と、他者とのつながりです。すると、インフラ整備と公共サービス提供だけが、公共をつくるものではありません。
行政だけが公共ではなく、企業やNPO、コミュニティも重要な主体です。

2 戦後70年、日本社会は大きく変わったこと
戦後70年、経済成長に成功し豊かな国になった日本には、経済発展とは違う別の課題が生まれてきています。その間に、日本社会、家族、人生の形が大きく変わり、新しい社会の課題を生んでいます。
それらの課題に、誰がどのように応えるのか。それを考える必要があります。

3 新しいこの国のかたちを作る必要があること(これは、今後議論します)
先進国をお手本とし、それに追いつくという社会や行政の形は終わりました。平成時代は、その曲がり角でした。しかし、日本社会と日本の行政は、その方向転換に成功していません。

連載「公共を創る」執筆状況、第2章1

先週、提出した「第2章暮らしを支える社会の要素 1公私二元論から、官共業三元論へ」の原稿が、ゲラになりました。
編集長が5回に分割してくださって、連載では第24回(11月7日)から28回(12月19日)になります。これで、一息つくことができます。よく頑張りました。

第2章1では、公共を考えるために、公私の区分や共助(助け合い)を議論してます。
これにあわせて、肝冷斎が、「公共」の言葉の起こりを調べてくれました。
「史記」より「与天下公共」(10月29日の記事)
漢の文帝(在位前180~前157)に仕えた張釈之が、文帝に向かって反論します。

法者天子所与天下公共也。今法如此。而更重之、是法不信於民也。
=法なるものは天子の天下と公共するところなり。今、法はかくの如し。しかるにこれを更重せば、これ、法、民に信じられざらん。
=法というものは天子が、天下万民とともにしているものでございます。いま、法の規定がこうなのです。それなのにそれを変えて重い罰にすれば、法が人民に信用されなくなりましょう。

さすが博学な肝冷斎。勉強になりますね。

連載「公共を創る」第23回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第23回「哲学が変わったー成長から成熟へ 日本型行政の日本社会の曲がり角」が、発行されました。

前回、経済の停滞と社会の不安を取り上げ、平成時代は日本社会の曲がり角であったと主張しました。そしてそれは、行政にも当てはまります。
インフラ整備と公共サービス充実に成功した日本の行政は、社会の課題が変わっていたのに、以前のままの行政を延長しました。そこに、官僚に対する国民の信頼の低下があります。
先進国を目標に追いつけ追い抜けという仕事の仕方をしてきた日本の官僚は、目標に追いついたときに、新しい目標と新しい行政手法を自ら探すことを怠ったのです。昭和後期の、経済、社会、行政の輝かしい成功が、平成時代の方向転換を遅らせました。成功は失敗の元です。

今回は、注に、私が考えているさまざまな「思い」も、記述しました。指導者の理念と国民の情念、時代の風潮、保守と革新でなく作為と無作為、官僚の現状維持。少々長くなっていますが、ここもお読みください。
さて、これで第1章を終えます。次回からは第2章に入ります。