「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載「公共を創る」第182回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第182回「政府の役割の再定義ー幹部官僚の職責」が、発行されました。
組織には、管理職とは違った職責を求められる幹部が必要になります。今回から、幹部官僚の育成と選抜について議論します。

管理職は自らが長を務める課や室が何をすべきかを考え、部下の職員に指示を与えるとともに、その仕事ぶりを管理します。その課長は、職務に関する指針を幹部官僚から与えられます。課長たちが部下を動かしていくためには、幹部官僚がその方向性を指示しなければならないのです。
では幹部官僚が示す方向性は、誰がどのようにして決めるのでしょうか。もちろん大臣からの指示もありますが、それだけではありません。幹部官僚の任務は、その方向性を考え、特に新しい課題への取り組み方針を立案し、大臣と調整して組織の目標に据えることです。幹部官僚には、管理職とは違った任務があるのです。

経済成長期に高く評価された官僚機構は、成熟社会になって評価を大きく落としました。その理由は、「豊かで便利な社会という目標を達成した後に、次の目標を設定できなかったこと」と「約30年にもわたる経済停滞が続き、格差と孤独・孤立に伴う不安が生まれていたのに対応できなかったこと」です。
この30年間に幹部官僚だった人たちは、それぞれの立場で職責を果たしてきたと弁明するでしょう。しかし幹部官僚は、自分の所管だけに対応していればよいわけではないのです。結果として日本社会は良くならなかった、それどころか悪くなったのですから、官僚機構への評価は低くならざるを得ないでしょう。

連載「公共を創る」第181回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第181回「政府の役割の再定義ー管理職が果たすべき「役割」とは?」が、発行されました。

前回から、管理職の育成について議論しています。これまでは、優秀な職員の中から管理職を選んできました。しかし、それではうまくいかなくなりました。
管理職には、非管理職とは異なった職責があり、違った能力が求められます。前任者と同じことをしておればすむのなら、上司のやり方を勉強した職員が管理職を務めることができました。しかし、新しい仕事に取り組むときや、これまでにない問題が生じると、そのような育成方法では対処できません。例えば、困った部下がいる場合の指導方法は分かりません。部下の能力評価の仕方も、教えてもらっていません。

職員の中から管理職を選ぶという「昇進競争」は、部下に忠誠度を競わせる仕組みでもあります。上司に気に入られないと、出世できません。また、一握りの「勝ち組」の陰に、多くの「負け組」を生む仕組みです。負け組だけでなく、そのような競争に参加しない職員も居づらい職場です。

連載「公共を創る」第180回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第180回「政府の役割の再定義ー管理職、どう育てるか?」が、発行されました。第178回から、官僚の育成の見直しを議論しています。今回は、管理職の育成についてです。

会社員の間では「管理職は罰ゲーム」という言葉が、はやっているようです。管理職になると責任が重くなる割には給与は増えず、やりがいも感じられないため、管理職になりたくない人が増えているのです。学校では、教頭や校長になりたくない人がいて、管理職試験を受けないことは、かなり前から話題になっていました。近年では、校長や教頭から、一般の教員に戻る制度もできています。

この背景には、次のようなことがあります。
・日本の職場では、管理職と非管理職の違いを目立たせないようにしてきた。戦後民主主義の一つの表れです。
・職員と一緒に汗を流すことが、よい管理職と考えられてきた。
・部下に任せるのが、よい管理職と考えられてきた。

この連載で既に指摘したように、それでは生産性が上がらず、管理職には管理職の仕事が求められるようになったのです。
管理職が仕事の管理、部下の管理をせず、企業で不正が起きています。

連載「公共を創る」第179回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第179回「政府の役割の再定義ー公務員の「身分」を巡る考察」が、発行されました。前回では、職務の専門性について議論しました。そこには、政策分野の専門性とともに、どの分野にも共通する定型的な専門性があることを指摘しました。
今回は、原点に戻って、公務員と民間企業の会社員や非営利団体の職員との違いを考えてみます。

国家公務員と地方公務員は採用と法的身分に特徴があります。国家公務員法は「身分」という言葉も使っています。また企業活動から隔離することがうたわれています。しかし、民営化や民間委託が進むことで、公務員と会社員の業務がさほど異なったものではないことが明らかになりました。また、非常勤職員や任期付き任用職員が増えました。民間企業に勤めながら非常勤職員として採用されている人もいます。逆に、企業や非営利団体に派遣される公務員も増えています。
公務員への労働基本権の一律制限も、おかしなことです。企画部門や調査統計部門の職員がストをしても、国民生活に直ちに重大な支障がありません。コロナ禍で分かったことは、保育所、介護施設、学童保育施設職員がストをしたら、大きな影響があります。電気、ガス、通信、金融が止まると生活と経済活動に支障を来します。公務員だからという規制ではなく、業務に応じた規制をすべきです。

公務員と民間人を分ける考えは、公私二元論に引きずられた、古い思想です。

連載「公共を創る」第178回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第178回「政府の役割の再定義ー職員育成の見直しに向けて」が、発行されました。前回から、官僚の「やりがい」を議論しています。

霞が関全体の政策を見てみると、重要な課題が変わってきたことも挙げられます。例えば、発展途上期は、道路整備や義務教育に当たる教職員の確保は国家にとって大きな課題でした。しかしそれらの仕組みが確立し、定着しました。国が基準と計画をつくり、財源を確保しておけば、自治体に任せても問題なく運営されるでしょう。国民は官僚に対し、いつまでも補助金配分作業を続けることを期待していません。官僚には、そのような作業を手放し、能力を新しい企画に使ってほしいです。

次に雇用者側が取り組むべきは、育成の見直しです。かつては意識しなくても、適当な競争と職場での研鑽によって組織にとって必要な人材は得られると考えられ、実際にそれでほとんどの組織は対応できてきたのです。しかし、雇用者側にとっても働く側にとってもうまくいかなくなり、このままではだめだという意識が広がっています。

一言で言うと、これまでの技能の習得は「周囲の先輩を見て覚えよ」であり、育成手法は「ところてん式の人事異動」でした。それは典型的なオン・ザ・ジョブ型研修と画一的な登用方式ですが、実際には本人の適性や希望はあまり意識せず、能力開発は本人任せで、要領よく前例通りの仕事を覚えることを求めていただけでした。雇用側としての戦略や配慮より、人事担当の効率性を重視した人事行政だったと言わざるを得ません。
さらに、人材育成だけでなく、「人材確保」と「職場環境の整備」にも問題は拡大しています。

職場で求められる専門性について、政策分野別専門性とともに、機能別専門性についても指摘しました。すなわち前者を縦割りとすると、後者は横割りです。会計、発注、公金徴収、調査・統計、文書管理など、どの分野にも共通する定型的な業務です。これらの業務が民間委託できないのは、本来事務と一体をなしているからです。
これまでは、その席に長く座った職員が専門家となっていたようです。それではすまなくなりました。特に技能の習得が必要となっているものに、電算化、文書管理、検査監督業務などがあります。