カテゴリーアーカイブ:政治の役割

復興提言、政治の関与のないプロセス

2011年8月7日   岡本全勝

8月7日読売新聞1面コラム「地球を読む」は、御厨貴教授の「3.11後の政治」でした。
・・3.11から5か月が過ぎようとしている。「戦後は終わり、災後が始まる」と、あの折感じた人は決して少なくなかったはずだ。「国難」という言葉が、久しぶりに日本人の口の端に上ったのも事実だ。だが今、我々の胸をよぎるこの脱力感は一体何なのか。
今度こそ、政治が変わると思ったのに、今の体たらくはこれは一体何なのだ。しかも、解法がすべて行き詰まってしまったという無力感にさいなまれる日々なのではないか。
私はこの間、政府の「東日本大震災復興構想会議」の議長代理として、6月末の「復興への提言」の答申に力を尽くしてきた・・
しかし、有り体に言えば、「提言」をまとめるプロセスに、与野党ともに”政治”は全くと言ってよいほど、関与も介入もしなかった。菅さんだけが、独自の発想と考え方に基づき支え続けたということである。
推進力を徹底的に欠いていた「復興構想会議」は、若き官僚たちと一部の政務の人たちとの献身的協力と、メディアの積極的な報道がなければ、至る所で立ち往生したものと思われる。
結果は、まことに逆説的であるが、”非政治”であるが故に、コトが進んだのである・・
詳しくは原文をお読みください。

政党の役割

2011年6月25日   岡本全勝

朝日新聞6月25日朝刊オピニオン欄は、佐々木毅先生と宇野重規先生の「地に落ちた政治、求心力を取り戻せるか」でした。
佐々木:選挙とか支持率とか、目先のことを優先して政治権力をつくってきた。その結果、政権、権力が摩滅するプロセスが4、5年続いていますね。「権威」はかなり前になくなっているが、「権力」もすぐに不安定化、弱体化することが繰り返されている。与党であれ野党であれ、選挙以外ほとんど何もしない政党の限界だと思います。
・・・制度改革の中で「政党」はブラックボックスでした。楽観していたわけではないが、立ち入らないでいました。でも、ここまでくると、外部がどこまでかかわるのか議論はあるが、政党にお任せだとおかしくなってしまいかねない・・
宇野:民主党はまさに政治改革の結果、生まれた政党といえますが、いかなる価値や理念を目指す政党なのか、いまだに分からない。右から左までまとまりがなく、自民党がもう一つできたようなものだという人もいます。
佐々木:「自民党に代わる政権政党」が民主党のアイデンティティーでした。政権につかなければ、党内秩序のうえでも党を成熟させるうえでもそれで十分だった。しかし、政権を取っちゃった以上、それでは不十分です・・
宇野:民主党は政策を煮詰める前に政権につき、迷走した。社会保障はその象徴ですね。

宇野:グローバル化が進むなかで、雇用が流動化し社会不安定化している。それにどう向き合うかというときに、日本政治はリアリティーを欠いたまま迷走している、と。
佐々木:最近の政治家はすぐに処方箋の話をするけど、その前に診断がない。「こうだから、こうしたらこうなる」と詰めて議論する習慣が失われ、「こうすればいい」とだけいうのが目に余る。これはやぶ医者です。丸山真男さんは「現実は可能性の束」と言ったが、どういう可能性がどこまであるかを追求するというのは、ぎりぎり頭を使う作業です。そうした現実にしつこくこだわり、それを変えていくという政治的習俗が弱体化している。ちょっと気が利いたことを言って終わりという、根無し草的な政治になっています・・
詳しくは、原文をお読み下さい。

科学者と政策決定の関係

2011年5月31日   岡本全勝

読売新聞は、5月31日から政治面で、「政策決定と科学」を始めました。そこに、イギリスの「政府への科学的助言に関する原則」(2010年3月)が紹介されています。
そのポイントは、政府にあっては、科学的助言者の学問の自由を尊重し、評価する。政策決定が助言に反する場合は、決定理由を公式に説明する。科学的助言者にあっては、科学は政府が政策決定で考慮すべき根拠の一部にすぎないと認識する。助言は、国家安全保障や犯罪助長などの理由がある場合を除き、公開する。そして、双方とも相互信頼を損なう行為をしないことです。
イギリスでこのルールが作られたのは、1990年代BSE(牛海綿状脳症)に関する科学的助言が過小評価されたとして、政府と科学者双方への不信が増したことがきっかけでした。アメリカやドイツにも、同じようなルールがあるそうです。
科学者は助言内容を自由に公表できる、しかし政策決定の際に考慮する一部でしかないことを双方が認識することです。日本でも、今回の原発事故対策や、今後の津波対策に際し、有用でしょう。

やらせてみて、責任政党を育てる

2011年2月25日   岡本全勝

昨日の続きです。朝日新聞2月22日オピニオン欄、「1票の格差の話をしよう」から。井上達夫先生は、日本政治の現状について、次のように述べておられます。
・・政権が交代しても何も変わらないという、しらけと失望が現在、国民に広がっているようで気がかりですが、政権交代を繰り返す中から変革の可能性は開けてくると思います。しっかりしないと政権を失う、しっかりしないと政権を奪還できない、という政治的競争圧力が、政策的、組織的な統合力を高める方向への自己改革のインセンティブを政党に与えます。参院の強すぎる権限の問題を克服する政治的慣行も、その過程で形成されると期待します。
大事なのは国民とメディアの態度。政治家をたたいて快哉を叫ぶ態度から、本当に改革力のある責任政党を育てる姿勢に転換すべきです。
有権者は政党や政治家に「やらせてみる」。政党や政治家は「やってみせる」。失敗すれば「潔く責任をとる」。拒否権勢力が牽制しあい足を引っ張りあう政治から、責任ある政治的指導力を鍛え上げる民主政治に変わってほしいと思います・・

協調・責任の分散か、競争・責任の明確化か

2011年2月24日   岡本全勝

朝日新聞2月22日オピニオン欄、井上達夫東大教授のインタビュー「1票の格差の話をしよう」から。
教授は、議会制民主主義を2つのモデルに区別します。一つは、多様な政治勢力が権力を共有してコンセンサスで決めるという「コンセンサス型」。もう一つは、選挙で比較第1党になった政党に単独で政権を担当させ、政権交代を活性化させる「ウェストミンスター型」です。そして、政治的な答責性の面からは、コンセンサス型は問題が多いと主張されます。

・・アカウンタビリティーは説明責任と訳されますが、単に説明すればいいのではなくて、責任者に腹を切ってもらうことまで含む概念。私はそれを答責性と呼んでいます。政治的な答責性は2種類。一つは「誰が間違っていたのか」という主体的答責性。もう一つは「何が間違っていたのか」という主題的答責性です・・
・・コンセンサス型の場合、相互に拒否権をふるう多様な政治勢力の妥協で政策形成をするから、みんな自分が譲歩を強いられたという被害者意識を持つ。うまくいかなければ互いに責任を転嫁しあうので、誰が間違ったのか主体的答責性が曖昧になります。また、政策がつぎはぎになるため、何が間違っていたのか主題的答責性も不明確になる。答責性の観点からは、理念的、機能的な整合性をもつ政策体系を追求する単一の勢力に政権を運営させるウェストミンスター型が好ましい・・