カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

衆参の逆転

13日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生の「再議決を封印するなかれ」でした。
・・参院における与野党逆転のため、基本的に法案は何も通らない、動きのとれない国会だ、というイメージがむやみに流布している。政治は停滞し、国民不在の政党間のやりとりしか展望できないかのような話ばかりである。これは誠に奇妙な事態であり、あえて言えば、一種の世論操作の匂いすらする。これでは、日本の政党政治に半ば死亡宣告をしているようなものである。
確かに新しい事態が生じたことは事実であるが・・新しい事態に対する戸惑いと興奮は理解できるにしても、「悪乗り」は究極的には政党政治の首を絞めることになろう。
「悪乗り」というのは、憲法はこうした事態に対する対策を定めているからである・・

改革を支える思想、他律的改革・自律的改革

11日の日経新聞経済教室は、西出順郎准教授の「国立大学改革の方向、企業家精神で経営力強化。独自の思想を原動力に」でした。
・・国立大学、特に規模が小さい地方大学は、教育研究活動や管理運営改革に全力を注いでいる。だが実際は、もっぱら付け焼き刃的で表層的な作業に追われていることはないだろうか。
この受け身的な改革姿勢はなぜ生じるのか。・・その根源的な理由はより内面的、精神的な部分に依拠しているように思われる。すなわち、「改革思想の脆弱性」である。ではなぜ、国立大学改革の思想的高まりがなおざりになったのか。想起される理由は三つある。
第一の理由は、法人化にいたる国立大学改革が新保守主義的思想を背景にした中央政府の行財政改革に主導され、独自の改革思想を形成できなかったことだ。・・国立大学は、政府の論理に押し切られ、自らの存在意義を主張する改革思想が構築できなかったのではないだろうか。したがって、法人化という国立大学改革は、他律的思想のもとでの改革に終始し、政府行革の「改革客体」から脱却することなく、国立大学が「改革主体」を演じることはなかったのである。
第二に、新保守主義的思想という議論の土俵においても法人化論議を主導せず、結果的に独自の改革思想の芽をつみ取ってしまったことだ。・・高等教育という公共財が政府の守備範囲としてどう再定義され、私立・地方自治体立大学との補完性においてどう位置づけられるのか、国立大学が率先して論陣を張ることは希有であった。
第三は、法人化後の新たな国立大学改革が要請される中、他律的な改革思想が逓減する一方で、その代替思想が顕在化しなかったことだ・・
このほか、公務員制度改革なども、この批判が当てはまるようです。

京都議定書に見る日本の政治

29日の朝日新聞変転経済は、京都議定書でした。1997年12月に京都で、地球温暖化防止京都会議が開かれました。議長は、日本の環境庁長官です。議定書が徹夜の交渉でまとまり、午後に採択される段取りにかかわらず、主役の議長がその日の朝に辞任し、東京に向かうことになりました。内閣不信任案が採決される予定なので、首相指示で国会に出席するためです。
各国の代表や報道機関はあ然とした、と書かれています。ただしその後、官邸と国会の了解を得て、長官は議長に戻ります。また記事では、議定書をまとめる過程で、関係省庁の妥協により、日本として戦略なき外交をした事実も解説されています。
この連載は経済をテーマとしていますが、今回は経済と言うより日本の政治の問題でした。

日本の技術の売り込み

テレビの地上デジタル放送で、日本の方式が、南アメリカの各国で普及しつつあります(28日の日経新聞ほか)。世界には、ヨーロッパ方式、アメリカ方式などが、あります。かつて、携帯電話で、日本の方式が優れていながら、世界の主流になれなかったことは、有名です。
今回のデジタル方式売り込みについては、総務大臣などの「営業」があったと、報道は伝えています。また、ブラジルなどでの、新幹線の売り込みも、報道されています。
私は、連載「行政構造改革」第3章三1(1)「政府の役割」の一つとして、国際競争の中での「自国の売り込み」を取り上げました(2008年9月号、資料3-12)。この仕事は、政府の必須の仕事とは位置付けられないでしょうが、自国が世界の中で発展していくためには、重要なことだと思います。