カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

途上国の法整備支援と日本法の英語訳

カンボジアの復興に際し、日本がPKOを送った話は、皆さんご存じでしょう。このホームページでも、私の経験を含めて紹介しました。その後、カンボジアの民法と民事訴訟法の起草を、日本が支援したことは、あまり知られていません。これは大変な作業であり、また明治日本の法受容を考えると、とても重要な支援です。
今日、紹介するのは、その際に日本法令の英語訳が必要だという話です。支援に携わられた安田佳子弁護士が、次のようなことを書いておられます。雑誌「ジュリスト」2005年2月15日号。法典の起草は、カンボジア人と日本人が行ったので、クメール語と日本語で行われました。ところが、支援国会議では、その作業が進んでいるのに、知られていないどころか、法案に矛盾することが提案されるのです。「理解できる言語で成果が示されない限り、成果はないに等しい」「日本は何をやっているのかわからない」という雰囲気なのだそうです。英語が事実上の世界共通語になっていて、日本語はマイノリティ言語であることを思い知ったと、安田さんは書いておられます。そして、カンボジア人からも、難解な法律文書は、クメール語で読んでわからない時は英語で読んだ方がわかりやすいことがあると、英語訳を求められるのだそうです。そこで英語に翻訳するのですが、これがまた難事業です。「物件」はreal rightsなのか property rights か。「親族」はfamilyなのかrelativeか。これ以外にも、ご苦労なさったことが書いてあります。詳しくは、原文をお読みください。

日本法の国際化

雑誌「ジュリスト」2010年2月15日号が、日本の法律の英語訳など国際化を特集していました。「日本法の透明」というテーマで、研究が続けられていて、その紹介です。先日、「日本の法令の英語訳」を書いたので、興味を持って読みました。いくつも考えさせられることがありましたが、今日はその一部を紹介します。
・日本の法律の条文の作り方に、構造的問題があるのではないか。例えば著作権法の「公衆通信」を、どのように外国語に翻訳せよというのか。内閣法制局のチェック体制が、海外のユーザーに向いているとは到底言えないし・・
・わが国の立法過程には、外国のユーザーの声が十分に反映しているのか。反映する必要性は、どれほど大きいのか?
・判決の文章が日本語として難解で、翻訳を依頼する前に「和文和訳」が必要な場合がある。
・日本法の在り方として、「他国(特に先進諸国)に合わせていく」という考え方と、「むしろ諸外国を引っ張っていく競争力のある法を作り輸出する」という考え方がある。いずれが適切なのか?
・英語に翻訳するにしても、対応する英単語が法律用語として特定の意味を持っている。単語を翻訳するにしても、どの単語を選ぶか難しく、たとえ1つの単語を当てはめても、正確な翻訳にならない。その条文の書かれた背景、判決のコンテクストなしでは、意味が通じない。
日本の経済活動が国際化し、海外から会社や人が入ってくると、日本の法や判例が、その人たちに理解しやすいものでなければなりません。また、定住外国人が増えると、その人たちにも理解しやすい必要があります。日本法の国際化が、必要となるのです。
国際化というのは、このようなところにも、現れてくるのですね。日本は明治時代に、ヨーロッパ法の受容に成功し、日本語で法律の教育と実務ができるようになりました。それは、ありがたいことです。しかし、それが、「ガラパゴス化」を生みました。日本人の活動が日本国内で日本語だけで完結しておれば、問題はない、なかったのですが。経済社会活動の国際化は、それを許してくれません。「第3の開国」を、実感します。「日本法の国際化」という表現が正しいか問題がありますが、こう表現しておきます。(この項続く)

事実の追求と国民的議論の片付け方・イギリスの独立調査委員会

18日の朝日新聞が、「イラク戦、独立調査委員会。英国式戦争のけじめ。前・現首相も公開喚問」を解説していました。次のような内容です。イギリスで、イラク戦争を検証する、独立調査委員会が開かれています。世論や野党の突き上げで、ブラウン首相が設置しました。歴史学者や元外交官ら5人で、構成されています。イギリス国会は強い調査権を持ちますが、二大政党制の下で、手順などをめぐって対立が起き、うまくいかないことが多かったそうです。そこで、政治的に中立で、一般の人から尊敬される議会外の「賢人」に調査を委ねる方式が生まれたのだそうです。もちろん、調査委員会にかけるということが、政治的意図を持つので、完全な中立はあり得ないのでしょうが、一つの知恵ですね。アメリカではニクソン大統領の時に、ウオーターゲイト事件の究明のために、特別検察官を任命したことを思い出します。政策ではありませんが、行政の検証として、日本でも、年金記録問題の調査のために検証委員会がつくられました。これについては、「行政構造改革 第二章第四節1政治の責任(2)行政組織の管理と業績の評価」で議論しました。

政府の機能

佐々木毅教授「政府の危機」『公研』2008年2月号から。
世界の金融市場がサブプライム問題で激しく動揺し、実体経済の行方についても一時の楽観論は少なくなってきた・・東京市場は万国に冠たるほど株価が急落したが、政府関係者は至って冷静というか、無関心で、国際的にも誠に際だっている・・この冷静さは自信の現れではなく、恐らくは無力感の現れである。しかし、このことと無関心とは異なるはずである。無関心とは初めから思考が停止している状態であり、考える気力もエネルギーもない状態を指している・・
・・かつては、政府と民間との関係は極めて密接であり、政府が業界に傾斜していたことは、首相が今度の所信表明演説で認めている通りである。しかしその後、「官から民へ」と構造を変えた結果、今や諸外国に類例を見ないような「官」「民」相互無関心体制になったのではないかというのが、私の疑念である。
・・経済政策とか内需とかいう言葉はほとんど聞かなくなり、無関心の中で国民負担増問題だけが脚光を浴びるという甚だ不正常な状態が続いている。よく日本の存在感が急落しているといわれるが、政府の存在感が国内でも急落しているのであるから、国際的に何が起こっても不思議ではない。
・・「官から民へ」ということには、例えば、政府が市場を上手に活用して国民生活を活性化することが当然含まれている。昔のような行政指導や補助金は使わないで何ができるかが問われている。また、グローバル化時代においては、安定化要因としての政府の機能は極めて重要であり、その役割を真摯に絞り込み、速やかに実行する機動性が求められている(年金問題などを見ていると、政府はそれとは逆に不安定要因として機能している)・・

PKO協力・治安維持

2月10日の日経新聞経済教室は、岩間陽子政策研究大学院大学教授の「今後の国際平和協力の方向・警察の役割が重要に」でした。破綻国家では、治安維持のために、PKO活動として、軍隊ではなく警察の役割が大きいのです。しかし、受け入れ国の実情と、派遣国の実情が異なり、なかなかうまく機能していないのだそうです。記述にあるように、日本は1992年のカンボジアPKOの際に、警察官が死亡するという事件が起きて以来、警察は派遣していません。
事件の後、当時の宮沢首相と河野官房長官の指示で、村田自治大臣兼国家公安委員長が、カンボジアに派遣されました。私は自治大臣秘書官として、お供をしました。その際のことは、今もなお、強い印象として残っています。